2009年4月22日水曜日

Mosquito Lake




Moose Reflection in the Lake


期末試験のための写真を撮るためと、この時期の明け方の様子を見たいのとあって、朝4時半に起床して近場の湖に出かけた。湖と言っても大きさは50メートル四方くらい。この湖は大学図書館のすぐ隣にありながら、周囲が木々に囲まれて中まで入っていく道がないために、人が訪れることは稀なのだと思う。

到着して湖岸のきれいなグラデーションを収めようと準備をしていると、さっそく現れたのは昨日からアンカレッジに渡ってきているカモメたち。場所を競うようにして、カナダガンの10羽ほどの群れが到着。朝5時にしてかなり騒がしい。
鳥たちも写真に収めながらゆっくりあたりを眺めていると、対岸にムースもやってきた。オスだ。オスの角はそろそろ生えはじめるのだろうか。どれくらいの期間であの立派な角は完成するのだろうか。


(写真はフォトショップのリフレクション効果を使って編集。この時期、湖面はまだ薄く氷がはっている。)



2009年4月18日土曜日

Scratch Board


絵画の授業で、スクラッチボードの課題が出た。絵画の授業では、描く対象物をほとんど自分で決めることができるので、スティルライフの課題をのぞいて、すべて動物か植物を描くことにしている。


今回のスクラッチボードでは、ハクトウワシを写真で捉えた構図で、そのまま正確に写すことを試みた。下はもとの写真。描いていて意外と足が太いんだな、とか、くちばしの鼻孔の部分はカラスと同じような作りになってるんだな、とか気づくことがあり面白かった。

スクラッチボードではあるけれど、絵画の中で詳細を描き出す苦労をいままで味わったことがなかった。それを描くためには対象に対する深い洞察が必要で、じっくり観察しなくてはならない。写真の中でのワシの羽をそのままスクラッチしてもリアル感は出ない。そのため、ワシの羽がどのように生えていて、どっち向きなのかなどを調べ、考えながら削っていく必要がある。
さらにボケの部分の描写は一番難しい。2Dのなかに3D感を出すためにボケ味の箇所を作ることは、上のような構図の場合は必要で、ボケているのでテキトーに、と安易に削るとなかなかその遠近感が出ない。

フォトグラフィックリアリズムを短時間で求めることが難しいのは当たり前なのかもしれない、と削りながら考えたりした。このワシは、少なくとも5年かかってこの本当のワシとして生きている。5年の歳月を経て創造されたものをたかが4、5時間の授業で同じに表すことなど不可能なのかもしれない。


2009年4月11日土曜日

Landscape: Anchorage coast area



雲によって地上で光が拡散された絵は何か雰囲気があって好きだ。


今回デジタルクラスの最後の宿題として、ランドスケープの写真課題が出された。教授はランドスケープと言っても、自然の風景写真でなくてもいいと言っていたが、自分の中で風景写真と決めた。構想の段階で出遅れ、課題の話があがった2週間後にようやく一回目の撮影行。
場所は年始に一度言ったことのあるアンカレッジの南、海岸沿いの沼地。


木漏れ日ならぬ雲漏れ日の写真は前から奇麗だと思っていたので、くもり時々晴れの中途半端な天気を狙った。結構待ったが、思ったよりうまく光が差し込んでくれず、提出用まではもっていけなかった。

撮影の時間はやはり日の出あるいは日没のどちらかでないといいなと思う写真がなかなか撮れない。この写真は夜の8時半。今の時期、アンカレッジの日が完全に没するのは9時半くらいだろうか。あまり日が長いと、日没後のバスの時間がなくなるので困る。



2009年4月5日日曜日

Photoshop Retouch & True Photography

どれくらいだろうか、授業とその宿題で50時間くらいは費やしただろうか。フォトショップの基本操作はだいぶ身に付いてきた。撮影したものはなるべくすぐに調整するよう心がけている。下の写真は大学内で行われたファッションショーでのもの。悪条件の中での撮影でとてもい練習になった。



これはとりっぱなしの写真。撮影状況は暗く、ISO3200まで上げなければならなかった。そんな状況下で手持ちの400mmではボケのないものは数枚しか撮れない。



最悪、ピントさえあわせられれば、フォトショップでなんとか引き上げることができる。ポートレイトのレタッチはたくさんレイヤーを使って調整。動物のポートレイトのときもほぼ同じ。



しかし、とりっぱなしで顔面にメインライトが届いてない場合では、ピントがあっていても後の修正が難しいことがわかった。



時間をかけて引き上げたとしても、どうしても違和感が出てくる。


やはり、後でどうにでもなると思って撮影していてはいい仕上がりはできない。3年前の冬、写真家の内山さんと話をしていたときのことを思い出した。現場で決めるという大切さについて話してくれたことを。


このさき、機械の技術でどうにでも写真を操ることができるようになるだろう。実際、大手メーカー2社はD-SLRでの動画撮影に踏み込んだ。これで撮影する画質が時を経るに従い向上していくことは必然で、そうなれば録画中ずーっと高速連写撮影をしているのと同じである。あとの編集の段階でいいと思う画像で静止させ、高画質でそれをピックアップしてしまえば終わり。屋外でシャッターを切る人がいなくなるのではないか。それは言い過ぎにしても、カメラの意義が近々大きく変化する予感がする。
しかし、現場、いわゆる生の映像にかなうものはないと思う。どんなに技術が発達して、高画質で簡単に画像をピックアップできるようになったとしても、そんなものに負けるような写真は撮りたくない。技術では絶対に超えられないような芸術の壁は現場でしか見つけられないと考えている。