2009年10月24日土曜日

クラスノート

今日の授業にナショナルジオグラフィックでエディターとして働いていた、Clark James Mishler がゲストで招かれた。理由はこのクラスの教師であるマイケルが彼のもとで数年働いたことがあることからだった。現在はアンカレッジを拠点としてフォトグラファーとして活動を続けている。

授業が始まるなり、ものすごいテンポで話しだした。しかし滑舌はクリアだ。

「このなかでフォトグラファーとして働きたい人は何人?」
「だとしたら何をするの?」
「わたしはコマーシャルフォトグラファーで、お金のためにやってる。それが第一。」
「ちなみにあなた方は何歳?20ならいいけど、22、3なら今もっているやりたいことを半分に自分で絞りなさい。」
「28をすぎたなら、それをさらにまた半分に絞るべきです。」
「人生は短く、選択の連続です。」

「では、写真の話しを始めましょう。」


イントロで脳が研ぎすまされる感覚だった。授業全体を通してみて、「写真を見る目を養うための基礎講座」と題するとわかりやすい。
何がいい写真で、そのどこがよりよい写真なのか、ということは誰にとっても漠然としているのが普通だ。ただ、どちらが良いということだけがわかる。その「なぜか」を簡単な定義付けをすることで、よりクリアにしていく。その定義のいくつかを彼が教えてくれた。

1. Diagonal Line(斜線) 2. Pattern (パターン) 3. Back Light(逆光) 4. Crop(トリミング) 5. Tilt(傾けること) 6. Flame(フレーミング) 7. Silhouette(シルエット) 8. Motion (動体) 9. Contrast (対比) 10. Scale(スケール) 11. Angle of View(カメラアングル) 12. Rule of Third (黄金律) 13. Selective Focus(フォーカスの選択) 14. Color(色使い)15. Negative Space(余白)

などなど、ほかにもいくつか言っていたが聞き逃した。しかし、なかでも1、3、9、と11の4つが重要で、他写真家との差別化を図るためのキーエレメントであると言っていた。



たとえば、左の写真は彼の写真だが、上記の要素のうちどれが当てはまるだろうか。








答えは、1、2、3、11、14。
メイン構図として1の Diagonal Line をもってきている。




ほかに、基礎をすべて意識できるレベルをクリアした後の、意識すると良いポイントを一つの基準にまとめて教えてくれた。それはFABRICという一つの単語に集約できる。Foreground and Background Repetition Interactive Contrast (前景と背景のコントラストの関係性を繰り返すこと。) 


たとえば、左の写真(同じく彼の撮ったもの)では、写真中の右側背景は暗く落としてある。つぎに、女性の顔半分右側に光を当てて明るくしてあり、顔の左側はやや暗い。そのさらに左側の背景スペースは壁に光を当てている。このように、左から、明暗明暗の順で構図を整えている。この前景と背景とのコントラストの繰り返しがいい写真になる基準として、かれはポートレート写真を撮り続けている。それにしてもファブリック(編み物、合成物)とはよく言ったものだ。



なにを良い写真として見るべきなのかが漠然としていたなか、この授業によって一つの解決の道を見いだすことができた。いままでやっていた自分の写真観察トレーニングとして、写真がどのように撮られたのかを分析する、過程の分析に加えて、その写真のどこが人に感動を与える要素となっているか、あるいは出版されうるものに仕上がっているのかを考える、効果の分析の必要性を強く感じた。これからのトレーニングにこれを含めてすすめていこうと思う。







2009年10月17日土曜日

Japanese aesthetic sense

 左の絵は「騎象胡楽図」といって、奈良正倉院にある日本の絵画である。見たところ中国の絵のようなのは、紀元前の時代の中国から影響を受けているからだとされている。しかし、この絵画自体は中国が唐の時代に日本で作られたものであり、当時すでに日本のこの絵に用いられている画法は中国のそれと異なっていたそうだ。

この絵から見て取れる風景画の特徴として、二方向からの風景を遠近法の妙技によって、それらを不自然なく融合させている点にある。具体的には前景に、象とともに踊る4人のひとたち(主対象)を用いており、背景にその土地の様子を用いて、中景でそれらをとけ込ませている。

この技法は、遠近法の矛盾をその時代、故意に興したものととらえるべきなのか、それとも、次の水墨画の時代でこの技法が修正されたように、技術的な未熟さから、発展途上のものとしてとらえるのか、そこを文献から読みとるのは難しい。しかし、写真をやる場合に、これを一つの確立された技法ととらえ、この技法を応用させることは可能である。
それをした場合、少なくとも3カット(主題1カット、風景2カット)必要になり、合成することになるのだが、それが真実性を失うかと言えばそうではなく、一つの土地柄を表現する芸術として考えることができるかもしれない。

日本人である限り(というような考えはやはり留学すると身に付いてしまうものなのだろうか?)、その芸術の歴史を知る必要が出てくる。日本人の感受性は自分のそれと何らかの関連があるだろうし、外国人の撮る写真と自分の切り取る写真とに違いを感じるのにもこの点から理解できるかもしれない。どちらが優れているか、というようなことではなく、日本人の観点からの写真を撮る必要はありそうだ。




2009年10月12日月曜日

Alaska -scenic view-


ancient days and now



breezing of the sunlight



divided by the light



shadow reflections



clouds and the horizon





※写真はすべて夏から秋にかけて撮影したもの。