2011年11月27日日曜日

マイケルクイントン写真研究 -part 5-



マイケルクイントンはナショナルジオグラフィックの契約カメラマン。24のとき、より動物写真をとるチャンスを増やすために、アイダホ州からアラスカ州へと移住したという。

左の写真はマイケルの初期の頃の仕事で、ハシボソキツツキ(Northern Flicher)の飛行をとらえた写真である。ナショナルジオグラフィックから選出される写真すべてに言えることだが、この写真のすごさは、動物自然写真の、基本的な追求すべき要素である、Sense of Wonder (驚異の感覚)を確実にとらえていること。見事にこの鳥の、普段見られない内側の羽を暴露している。

マイケルクイントンはまず間違いなく、この飛行の写真をリモコンかセンサーで撮影している。この撮影場所は、自宅のすぐそばであるという記述があるので、この鳥の行動を予測した上でセッティングしたことは間違いない。彼の中には、すでに出来上がりの構図があり、何を表現するかを見越した上で撮影を実行した。

ナショジオに掲載された、バリエーションカットはこちら


ハシボソキツツキの外見は左の写真のように、地味だ。
動物写真をとらえる上で、ひとつテーマとなるものに、「既成概念を覆す」というのがある。これを示すことで、対象のキャラクターの新しい局面を伝え、人のその動物への見方を変える。

2011年11月23日水曜日

記事から抜粋

 Having something to say
何かいいたいことを加えるということ —クリス・ウェストン
Magazine text is on the bottom of this article.
(以下、日本語翻訳文)


プロでやっている人の話を聞くと、'making images' イメージをつくる、という言葉をよく耳にする。「イメージをつくる」ということと、'taking images'「イメージを撮る」ということの違いは、たった一語の違い以上に大きなちがいがある。そして、このイメージをつくるというアプローチこそが、トップの写真家とその他大勢を区別することになる。まず、何かいいたいことをもつ写真家、ということを頭に入れておこう。


わたしが野生動物の撮影をはじめたのは、動物の行動に魅かれたからだ。私は、なぜ自然のなかの摂理はそのような仕組みをとるのか、という疑問を抱いた。よく思ったことは、「なぜシマウマは、黄色い草原に覆われたサバンナのなかで、シロクロの縞模様なのか」という疑問である。その答えを学ぶとすぐに、わたしはそれを視覚で伝えるためにカメラをもちいた。これは、わたしが写真で何を「言いたい」のか、というきまった考えを頭にいれて、撮影対象にアプローチしたことを意味する。そして、この目的のために、わたしは自分の、自由に使える機材と、画面構成の技術をつかった。カメラを持つずっと前から、このイメージに対するながいキャプションを書いていた。まず、座ってキャプションを取りあげ、どのようにこのキャプションに合ったイメージをつくることができるだろうかと考えるのである。わたしはいまだにこの方法をつかう。たとえば、わたしがフィールドにいたとして、シャッターを押す前に、主題に直面してまよっていたら、「このショットにはどのようなキャプションをつけることができるだろうか?」と考える。動物の種の名前しか思い浮かばなかったら、よりよいシャッターチャンスを待つ。


何をいいたいのかということを知ることは、結局自分の主題を理解することになる。野生動物について学べば学ぶほど、よりアイデアをもてるようになるのだ。わたしはこの知恵をフィールドワーク、本、ドキュメンタリーなどから得るようにしている。主題のことについて知ることは、野生動物写真だけにあてはまるものではない。どのジャンルにおいてもトップの写真家は、対象についての親密な知識を備えている。
(雑誌、Outdoor PHOTOGRAPHY 2010年10月号より)



2011年11月19日土曜日

動物写真家、浅尾省五さん

先週、動物写真家の浅尾省五さんに会った。

浅尾さんは、日本の自然写真の歴史でいえば、第三世代にあたる方。岩合光昭さん、今森光彦さんや、星野道夫さんと同じ世代にあたる。また、浅尾さんは日本の動物写真の本流を築いた、田中光常さんの弟子を経験されている。浅尾さんは70年代に上京されてから、仕事上で田中光常さんと知り合い、2年間、彼のもとでアシスタントを務められた。その後は、交代で星野さんがアシスタントについている。星野さんの次の、前川貴行さんをふくめた3名ともが、同じことを述べていることは参考になる。

「田中光常さんのもとで働いた2年間は、ほとんど写真を撮ることができなかった。しかし、動物写真家がどういうものかを学んだ」


有楽町で浅尾さんと待ち合わせをしてカフェに入った。

現在浅尾さんは、一年の半分を海外での撮影に費やし、50代後半にして現役で世界を飛び回っている。しかし、このように写真の仕事だけでやって行けるようになったのは、10年前の2000年頃からとのこと。動物写真家の内山晟さんもおっしゃって「写真でやっていくのが、どれほど大変か」

浅尾さんは、田中光常さんのアシスタントを務められた後の20代後半から、アフリカで2年間写真を撮り続けるも、独立して継続していくことが大変で、その後は一般企業に就職し、二足のわらじで続ける道を選んだという。

「とにかく、継続して撮影できなくなったら終わり。」
確信した表情で語る。


浅尾さんからのアドバイスとしては、

「誰もやっていないことをやること」
「対象となる動物がいるところへ、できることなら住むこと」
「なにはともあれ、写真で勝負すること」

他にもホームページや雑誌の投稿についてもお話をもらったが、原田純夫さんのアドバイスと、かなり近い意見が多かったということも、とても参考になった。


浅尾さんとは今後、仕事を一緒にやれる機会をつくれるよう進めている。