2012年12月18日火曜日

NDI -part 2- 無傷の編集を可能にしたメタデータ


第二回:無傷の編集を可能にしたメタデータ

イメージマネジメントシステム(IMS)構築の前の基本知識として、写真の質を保つためのNDI (Non-Destructive Imaging) という画像編集の概念を理解しておく必要がある。これを理解しておくと、デジタル暗室におけるデータと色の編集をムダなく正確に行うことができ、カラーマネジメントの理解にもつながる。

今回は、無傷で高品質を保った画像の編集は、NDIの意義そのものである。現在は、その過程は欠かせないものとなっている。


イメージマネジメントシステム(IMS)構築の前の基本知識として、写真の質を保つためのNDI (Non-Destructive Imaging) という画像編集の概念を理解しておく必要がある。これを理解しておくと、デジタル暗室におけるデータと色の編集をムダなく正確に行うことができ、カラーマネジメントの理解にもつながる。アドビの研究文献(英語ページ)を参考に、5回に分けて記述する。ラベルの「イメージマネジメント」にまとめて編纂していく。

前回の記事にRAWデータの内容を示した。そのなかのメタデータというものが、現在では画像編集に重要な役割を果たしている。今回はこれについて考える。

3ファイルあるうちの真中がメタデータのファイル
RAWデータには必ず埋め込まれている重要な情報だ

2012年12月17日月曜日

NDI - part 1 - RAW画像からモニターへ


第一回:RAW画像からモニターへ

イメージマネジメントシステム(IMS)構築の前の基本知識として、写真の質を保つためのNDI (Non-Destructive Imaging) という画像編集の概念を理解しておく必要がある。これを理解しておくと、デジタル暗室におけるデータと色の編集をムダなく正確に行うことができ、カラーマネジメントの理解にもつながる。

今回は、カメラLCDやパソコンモニターなどで表示される色の違いをもとに、RAWデータについての理解へつなげる。



写真の「色」に注意を向けはじめると、撮影後すぐにデジタルカメラのモニターで確認した写真の雰囲気と、家に帰ってパソコンで見たときの写真の雰囲気に違いを感じる人は少なくないと思う。

Non-Destructive Imaging (NDI)


Non-Destructive Imaging (NDI) とは、オリジナルの画像データを傷つけずに編集・レンダリングし、最終の媒体まで画像を持っていく画像編集のプロセスである。したがって、IMS写真管理全体の、画像を劣化させない効率的な編集プロセスと考えると把握しやすいかもしれない。

JPEG画像A → フォトショップ → JPEG画像Bを新たに作成
JPEG画像を、編集後 "Save As" によって保存することで別の画像ファイルとして作成できる。
結果として、元のデータJPEG画像Aには何の傷も与えない。

もともと、この概念が登場したときは、オリジナルを複写し、その複写を使うことでオリジナルを傷つけずに保管するという考え方だったが、最近はメタデータによる扱いに変ったというのが大きな発展だろう。

ただし、2012年現在において、このプロセスは当たり前になっており、意識せずとも自然に皆が利用できるようになっている。ほとんど全てのイメージソフトウェアに組み込まれている概念なので、興味のない場合は読む必要はない。

イメージ・マネジメント・システム (IMS)



イメージマネジメントの要素
1.写真の質の管理(クオリティ・マネジメント)QMS
2.写真の色の管理(カラーマネジメント)CMS
3.写真のアーカイブ管理(デジタル・アセット・マネジメント)DAM

2012年12月16日日曜日

ツーリズムは自然を破壊するか


結論からいうと、僕の考えでは現時点で、アメリカの国立公園に毎年いくら人が押し寄せても、自然を破壊ことはなく、むしろ逆に生態を守れると考えている。


2012年12月14日金曜日

ナショジオ・スタンダード

昨今のデジタル創世記において、デジタル画像をどこまでいじって良いか、という議論が続いている。これについて自分で答えを持っている写真家の場合は、その表現の限りを極めてゆけば良いのだと思う。

僕は長らくこのことで判断を先延ばしにしてきた。本当にどこまでが良いかの判断基準を持っていなかったからだと思う。

ここ数ヶ月このことばかり考えていて、色についての研究などもしながら答えを出した。

「最先端の技術を利用できるだけ利用し、自分がその場で見た雰囲気と色に限りなく近づける努力をする」

というのが答えになる。

2012年11月24日土曜日

ペレット



霧の立ちこめるなか



アカオノスリ(Buteo jamaicensis)



ペレット

ペレットは、猛禽類がネズミや昆虫などのエサを食べた際に、消化できずに残るものを、まとめて吐き出したもの。ちょうど上の写真のアカオノスリが、電柱に止まっているときに吐き出したので、拾って調べてみた。このペレットには、爪、脊椎の一部、毛、小骨などが含まれていた。おそらくアカリスを捕食したと思われる。


2012年11月8日木曜日

写真アップ


今年の夏に撮影した写真をストックフォトのほうへアップロードしました。
一覧表示はこちらから

春から秋にかけて、今回はムースを主に追って、そのライフサイクルをとらえることを試みた。ひとつのテーマで、ヘラジカについて何かストーリーを作れないだろうか、そうのように考えながらの撮影行だった。

2012年10月28日日曜日

Single photography with a theme

Ephemeral autumn wind

写真は、「短い秋を通り過ぎて、長い冬へ向かう季節の移ろい」を一枚の写真で表現できないだろうかと考えて撮影したもの。

2012年10月20日土曜日

組写真を考える


組写真は、いままで僕が試したことがない写真表現の領域だ。似たことを試みたことはあるけれど、表現を意識したものではないし、正しい制作過程を踏んだわけでもなかった。

まず、単写真とは、一枚の写真で完結させた写真のこと。テーマはひとつに絞る必要がありそうだ。たった一枚の写真に複数のテーマを設ければ、伝える力が分散することになる。
組写真とは、2枚以上の写真を使って、複雑なテーマを題材とする。したがって、一連の写真の中の一枚の写真が、何かを意味していないこともあり得るわけだ。あくまで、全体として表現されていれば成功ということ。

このことを考えると、今後の撮影方法も変わるだろうし、ひとつの大きなテーマにも取り組んでいけることが明らかになる。

組写真の制作過程は、ウェブや書物で調べてみると、まず大きなテーマをひとつ設定し、そのテーマの大きさ(幅広さ)に従って写真枚数をある程度絞り、必要なカットに分解して、撮影を進めていくというのが王道のようだ。

本来、撮影後のカットをパズルするのではないが、 まずテーマを決めて、要素を細分化し、その分解された小テーマに沿う写真が、自分のストックの中にあれば、合わせてみても良いだろう。(イメージトレーニングとして)早速ためしをしてみる。

テーマ:Bears in summer

母親にサケの獲り方を教わる

サケを川の浅瀬に追い込む

体ごとサケに向かって飛び込む

うまくサケをとらえる

ぬれた体の水を切る

表面的には、川にいるクマを写真に表すだけ。それを5枚重ねることで、クマにとっての夏は、サケ獲りに忙しく、サケ獲りはクマにとって切り離せない生活の一部だということを伝える。そのことに加え、一生懸命なクマの様子を表現してみた。


< クマたちの夏を掘り下げた結果、得られた表現意図 >
「サケの遡上する川で、サケ獲りに懸命なクマたち」
  ・表現意図:サケ獲りシーンを複数組み合わせて、クマの夏を表現
  ・個々の写真:クマのサケ獲りに関わるシーンをアップで、動きある写真に
  ・写真の構成:水しぶき、クマ、サケを含める

※上記まとめ方は、HP<我が道を行く写真道>を参照


2012年10月14日日曜日

オーロラと写真のオーロラ

アラスカで頻繁に見ることができるオーロラ

アラスカにオーロラを見に来る方で、カメラを持ってくる方が増えているように思う。
 日本では見られない現象を、記念に残したいという人がほとんどだろう。

ひとつ残念なことだが、このすばらしい現象は、カメラに収めた画像を見ると、肉眼で見るよりも色鮮やかに、ロマンチックな雰囲気まで加えてあらわしてしまう。

あたりまえだが、日本でオーロラに関するあらゆる情報を見るときに目にするものは、カメラを通過した「画像」を見ることになってしまう。

ここでまず、オーロラの「色」に対して誤解が生じる。
また、静止しているものだという勘違いもでてくる。

これらオーロラ写真については、ある意味で、嘘をついていることになってしまうのだ。

このことが最近旅行者とともにオーロラ観測に行くと、皆からよりはっきり言葉として出てくるようになった。

では、一体ほんとうのオーロラとはどんなものなのか、これは実際に見てみないと、正確に伝えられない。写真より色彩が劣ることと、実際に動きのあるオーロラの方が、数倍感動することは確かだ。


いちばんのオーロラ観測の醍醐味としては、「オーロラの動き」は、現場で見なければわからないし、これを見て解説が加わると、オーロラがどんなものかが実感としてわかるということにある。

ここに感動できる人は、アラスカのみならず、自然を正しく見ることができる人だなと感心する。

この感動を、どうしても写真で伝えることが難しいために、僕はオーロラは写真よりも、まだ動きの加わる映像の方が、そのものを正確に伝え、またより感動を伝えることができるものだと考えている。

それにしても、動きのあるオーロラは、1秒ごとにその姿を変え、夜空をロマンチックなものに変える。僕がオーロラ撮影を辞められない所以がここにある。当面の課題としては、自分の作品としてオーロラを撮るのであれば、より実際の感じに近い(肉眼で見るものに近い)写真に仕上げる必要がありそうだ。


2012年10月8日月曜日

ヘラジカ −Alcs alcs gigas−




 アラスカならどこにでもいるヘラジカ。このヘラジカのどこででも見れる姿に興味はない。どこにでもいるくせに、そう簡単に現さない行動を、この目で確かめたかった。それは、ヘラジカがどのような動物なのかを、僕に教えてくれる。



フレーメン行動
秋の繁殖時期になると、オスはメスの臭いによって、自分の行動が決まる。こんな言い方をすると変に聞こえるが、この時期だけに力を集中するオスにとっては、超真剣、大真面目なのだ。

夏まで蓄えたエネルギーを、秋の時期に消費し、冬前に大幅に自分の体重を減らしてしまうオスは、春まで生きるということが最優先なのではない。秋の時期に、子孫を残せるかどうかということが、最優先になる。

※フレーメン行動は、メスの尿の臭いをかいで、メスの状態を探るための行動。とされている。


メスの行動を凝視する


 9月から11月初旬までに、メスは「交尾できますよ」というサインを3回ほど周囲のオスに送る。周囲のオスは、もちろんこのサインを逃さない。力が拮抗するオスが近くにいれば、戦って決着をつける。


彼らは、本能に従って行動してるに過ぎない、と言われたらそれまでだ。生命体とは基本的にそういうものだろう。ではその本能とは?

どの動物においても、植物までもそうであるけれど、地球上すべての生物が、「次の命へつなぐ」ということをする。

このことために、一瞬のこの時期に、立派な角までそのために付けて、全身全霊をかけるヘラジカを、ぼくはより好きになった。

2012年10月6日土曜日

プリンスウィリアム湾 −海の動物−

 
 アラスカも8月になると、気温は上昇し、暖かいところでは25度を上回る。
しかし、海水温は夏でも上がらない。それは雪解け水と、氷河が溶けた水が、夏の間中ずっと流れ込むからだ。


母親(後方)と同じくらいの大きさになった、ラッコの子(手前)

水温5度にもならないアラスカの海で、ラッコは気持ち良さそうに泳いでいる。
ラッコは、海洋性哺乳類の中でも珍しく、厚い皮下脂肪を持たない。 油分を多く含む毛の構造が、水の浸透を防ぎ、ラッコに浮力を与えている。


氷河の末端付近に集まるアザラシとラッコの群れ
彼らの天敵となるのは、海ではシャチのみ。シャチは、氷河が崩壊する轟音をとても嫌うために、この付近には近づいて来ない。このことをアザラシやラッコたちは知っている。


氷塊の上で羽を休めるカモメ
 この氷河のかたまりが、海水面から顔を出している部分は全体のおよそ10%ほど。90%は海の中にあって、アザラシやラッコの休憩場所となるくらいだから、結構安定しているのだろう。



氷上で休息するラッコ
ラッコが海から上がると、その胴体の大きさにいつも驚かされる。体重は、大きい雄で45キロある。

ラッコは、雄と雌のグループに分かれて群れを作り、一定の範囲で行動をともにする。
眠るときに、海の流れに流されてしまわないように、海藻に絡まって寝たり、仲間同士で手をつないで眠ると言うから、一度はそんな姿を見てみたいと思う。


2012年10月1日月曜日

まとまりを作る


 フリップ・トッドは現在、アラスカ州でいちばん多くの仕事を手がける出版社の代表をしている。先日、たまたま彼が僕の写真を土産屋で見つけて、連絡をくれた。

写真集を作らないか、という誘いだった。

会う約束をメールでして、彼のオフィスまで出向く旨を伝えた。

そいえば、動物写真家の岩合光昭さんは、用件があるならそっちから来い、とナショナルジオグラフィックの編集者に言っていたのを何かの記事で読んだ。
そんなくだらないことを思い出しながら、2キロ先のオフィスへ向かった。

もちろん、売れることが確実な写真家であれば、出版社が写真集を製作するのは米国も同じ。
リスクの高い製作では、たぶん初めに自費制作を勧めるのだろう。

おそらく作れば売れる、自費制作の形になるのは仕方がないが、全面的にサポートはすると言ってくれた。

これは確かにチャンスだと思った。トッドの会社はアラスカ中と、アメリカ本土にも卸せる店とのコネクションがたくさんある。

ただ、この機会は、考える必要がある種類のチャンスだと直感した。


来月、シロクマ撮影に行く飛行機に、一席空きがある。
これは飛び乗る。

近所の森で、めずらしい山猫の親子が現れた。
これもすぐ車に飛び乗る。

ギャラリーに数枚写真を飾ってくれないかという誘い。
これもほぼ即答で、お願いしますと言う。

しかし、「写真集」という言葉は、僕にとっては重い。

意識し続けているものの、自分の中でまとめることができたことは、一度もない。
「アラスカ」というテーマでは、まだ写真が足りない。テーマをひとつに絞ってみても、
まだ写真が足りない。
要するに、自分の中で満足のいく、一連のまとまりという物を、所持していない。

今月から2ヶ月間で、考え、企画を提出する、という試みはしてみる。
もちろん本気でやらなければ、やってみたときに成果をきちんと評価できないから、
手を抜かずにやってみよう。

うまく行けば、来年の3月頃に出版される。無理なら今回は断る。






2012年7月14日土曜日

Moose calf その毛色について




この母親と仔の、毛色の違いは何だろうと考えていた。

ヘラジカの仔は、必ず生後2ヶ月くらいまで薄茶色の毛をしていて、

母親のそれと区別できる。


この仔は、背中の毛がもう生え変わろうとしている。

当たり前だが、2週間前はもっと背が低かった。

このあたりの森を歩いていると、自然に朽ちて折れた木々が目にとまる。

それで僕の中で、ひとつの答えが出た。

その折れた木々は、背が低くて薄茶色をしている。

ふと、遠くにあるこれらの木々を目にすると、

その隣にヘラジカの仔か。でも動いていない。

それでやっと木だとわかる。


生きている木々で、この薄茶色をした背の高い木々はない。

みんな折れたばかりが特に、明るい肌色に近い茶色をしている。

仔の茶色の毛色は、ちゃんと周囲の景色にとけ込む保護色の役割を果たしているのだ。

そういう自然の仕組みなのだと、とりあえず理解しておこうと思う。


真っ黒な服装の僕を、母親と勘違いして一時ついてきた。

ところが母親が意外に無関心なのが、この森のヘラジカの特徴だ。


2012年7月9日月曜日

Cow parsnip (オオハナウド)




アラスカでは、雪が解けると生えはじめ、

山の至る所、特に水が多く日のあたるところでは、

このオオハナウドが群生する。

毒があるので、ハイキングに行くときには気をつけたほうがいい、

といわれている。普通に歩いてる分には何ともない。

茂みに入ったときに、直に触れてはあまりよくないそうだ。

とはいえ、いままで山を歩き回って、茂みに入っても

いちどもカブれたことなどない。

きのう見たムースは、これを食べていた。

それより、近よってみるととても綺麗な形と、

かわいらしい小さな花を、てっぺんに無数につけている。

ハイカーには避けられているために、見られていないところだろう。




2012年6月30日土曜日

Potter Marsh (ポッター沼)



太陽の光を浴びて、湖面を埋め尽くすほど茂る。


ポッターマッシュと呼ばれるこの湖沼は、道路を挟んで海に面している。

そのため、潮が満ちるときは、沼に海水が浸透してくる。

程よくミネラルを含み、小魚もたくさんいるということが、

ここを渡り鳥の繁殖場所にしているのだろう。


カナダガンの親子


カナダガンは、皆いっせいに卵を産むということをしないようだ。

親によって、連れ添っている子の大きさが、ずいぶん違う。



小黄足鴫(コキアシシギ)


ミヤコドリに近い歩き方と、鳴き方をする。

ちょうど足が半分くらい水につかるところを、行ったり来たりしてエサを探す。

キョクアジサシとは違い、小魚ではなく土壌の中の生き物を捕食している。



Bluebell




日本では見たことがない。

辞典を調べると、ヨーロッパ原産でユリ科の多年草と出ている。

春の花らしい。

このブルーベルを、背景の色に意識を置いて、撮影した。

青の対照色は、単純にいえば黄色だ。

背景の黄色は、夕方よりのオレンジに近い、

まだオレンジになりきっていない光。

これを反射する、雑草とたんぽぽがうしろにある。


2時間ほど歩き回っていると、ピンク色のも見つけた。



ピンクなので、背景は丸くぼかしてみる。

たぶん、もう少しクローズアップの方がよかった。

花を切り取るときは特に、色と背景の構図が、対象を引き立たせる。

ということがわかった。



2012年6月25日月曜日

夏の子育て


アラスカの夏は、渡り鳥の子育ての場となっている。

アンカレッジの町からすぐの湖沼地帯に、午前6時ごろ足を運んだ。

日曜日の朝は、人がほとんどいないということを鳥たちも知っているようだ。

人の歩く道のそばまで来ている。



子に餌を与えている親鳥。



このポッターマッシュという湖沼地帯で、カナダヅルを初めて見かけた。

6月から7月よく見かける種には、極アジサシ、カナダガン、コキアシシギ、Violet green swallow(日本不明) など。

足しげく通っている人からすれば、20種くらい挙げるのではないだろうか。


2012年6月13日水曜日

異なる対象の撮影



友人の結婚式で、カメラマンとして参列した。
二人のために写真を残せることへのよろこびと同時に、冬から春にかけてトレーニングをしていた撮影技術を、このときに試せる機会でもあり、緊張した。

何をするにも、あるていど時間をかけて努力したことが、正しかったのかそうではなかったのかを試す、試合は、緊張してしまうものだ。



イリノイで進めていた技術トレーニングは、

利き腕よりも弱い左腕の筋肉トレーニング、

カメラを構えて撮影するまでの時間の短縮、

構図もテーマもシンプルな写真づくり

が、おもな練習だった。

筋トレは、カメラを支えて、1時間しないうちに腕に疲れがきていたために、これが長ダマを抱えたとき、ブレにつながっていたと自分なりに分析した。それを克服すること。

撮影までの時間短縮は、動物の動きに対応し、瞬時に適正露出を得ることを、より確実に、すばやくするため。これには、最適な露出を瞬時に選び出す緊張感も伴うため、カメラボディの各ダイヤル操作、光の読みなど、総合的に効果があると考えられた。

シンプルな写真づくりは、自分の中でテーマを持ち、各写真はそのテーマに沿う、あるいはテーマを強調させる、シンプルなサブテーマで撮っていく。




人を撮影することは、多くの意味で動物とは違う。ということを再認識しておく必要があった。

まず、基本的に式の撮影では、顔の表情が写真のほとんどを決めるということ。
これは動物撮影では、ポートレートを撮る以外に、そこまで意識する必要のないことだ。ここが一点。



物撮りも、忙しい式の中、極力その対象をきれいに、正確に撮ることに集中した。


人は動物よりも、カメラを意識するため、それを避けるように撮るということが、もう一点。
友人ということもあって、この点はだいぶ楽にできたと思う。おそらく参加者のなかで自分が一番緊張していたかもしれない。いい意味で。

他にも、当たり前だが、写真を見る人が人間ということもあり、写真の中の人の挙動が、より細かい次元で認識される。そのため、少しバランスの悪い手足の位置で写し止めた場合に、明らかな違和感として表出するということ。これは、今回撮影していて気付いた。


結果としては、自分の中で80点は越えた。

大きな収穫は、いままでの、撮影枚数に対する技術的な失敗の割合が、かなり減ったということ。
それから一枚の写真にひとつのテーマという、シンプルさの表現にも、考えていたよりも近づいた。これには、対象にあまりにも簡単に近づくことができるために、構図をシンプルにすることが簡単だったということを、忘れない方がいい。



2012年6月11日月曜日

1000 と 1


歴史は振り返ったときにはじめて、その区切りが見えるものだと思うけれど、いま、ひとつの自分の中での、写真時代が終わったように思う。

とにかくたくさんを見て、目新しいものに目を向ける、そしてシャッターを切るという時代の終わり。

時代と言うと大げさだけれど、自分に関わることになると、このくらいのイメージだ。

なかなか思うように撮影ができない環境を経て、今までに考えたことのないくらいに、写真を撮ることを考えると、この先やはり、自分にしか撮れない一枚を追求することに絞られた。

1000枚のいい写真よりも、誰もが驚愕する1枚の写真。

ジャーナリズム性はあっていい。そのほうがわかりやすいだろう。感動は継続させて写真に取り込む。

いまは、素地がないから撮りたくても撮れない。かといって、これを言い訳にせずに、撮り続けることはする。ある程度の、おぼろげなイメージはあるから、何とかなる可能性は現状でもある。

これを成功させるために、技術は必要になるだろうけれど、何よりもまず、生態の知識と観察からの確信が必要になる。そして、長期間、腰を据えた取り組みが要になる。




2012年5月3日木曜日

五月

5月に入って、五月らしい写真を、いままで撮った中から選んでみた。

動物か風景か、こだわらずに色と雰囲気で選んだら、これになった。



テーマを自分の中で考えるとき、かならず今までの体験が基になっていると思う。

アラスカで生まれ育った人は、アラスカの5月だから、この写真は選ばないだろう。

もしかしたら、偶然同じかもしれない。でも他の月は違うはずだ。

感性が違うから、ぜんぶ同じにはならない。


日本で育った人が、アラスカの写真をまとめるとき、これは隠す必要はないだろう。

でも、見つけるのが難しく、いまのままだと無意識に隠れてしまう。

ここを掘り下げていく必要がある、ということ。


2012年4月24日火曜日

写真販売 - part 2 -

今年の冬のひとつの試みに、自分の写真がどれだけ売れるかということがあった。


以前にも記述したが、「売る」ということに関して固執はしたくない。あくまでもいいと思う写真を別の形で商品にして、みんなにアラスカを知ってもらうことと、自分の活動を知ってもらうということに焦点を当てたい。

しかし、写真家としてやる場合、いつまでたってもなんらかのアルバイトと並行して活動するのでは、自分のテーマがクリアに見えて来ない。

そんなことも考えていて、今回はフェアバンクス博物館で売られている写真とは別に、自分の写真で、利益を出してみようと試みた。

商品は、アラスカの特注切手、ポストカードセット、フォトカードの3種類。販売先を日本人観光客の訪れるお土産屋さんに絞った。
切手もアメリカから日本へ、旅の途中に送れる料金、$1.05に設定して作成した。また、冬のアラスカということもあって、オーロラの写真を使ったものをより多く作った。


結果として、ポストカード120枚、切手45枚、フォトカード21枚が売れた。
1ヶ月間の販売で、ひと月の食費分くらいの利益は出た。出だしとしては次につながるいいデータが出た。冬は、オーロラだけでいってもいいくらいだというのが感想だ。ただし、オーロラは自分が全面的に出していきたい写真とは大きく異なる、ということがひとつの問題となる。つぎはオーロラについては名無しで出そうかとも考えている。

今回は少数での発注だったため、商品ひとつあたりの原価は少し高くついたが、これをベースに夏期の見込みを作ってふたたびチャレンジする予定。
それにしても、またここで、売れる写真と自分が表に出していきたい写真の大きなギャップを感じたことも事実だった。



2012年4月18日水曜日

ワイズマンでのオーロラ


3月22日
この日は昼から快晴が続き、絶好のオーロラ日和となった。

フェアバンクスでいつも観ているオーロラに比べて、北極圏のここ、ワイズマンで観るオーロラはより濃く、はっきりと確認できた。場所によってオーロラが濃く出るということはないのだけれど、観測地の空気の状態や、まわりのちょっとした灯りなどで見え方は変わってくるのだろう。





霧(きり)についての考察



霧と雲は本来同じものだが、見る側の位置によって名称が変わる面白い言葉の区別だと思う。

雲は空に浮いている蒸気のかたまりなのに対して、霧は地上に接している蒸気と定義できる。


北極圏ブルックス山脈

写真を撮る側としてもこの違いは大きい。単純にどちらも風景写真にひと味加えてくれる。雲は形や光を反射しているその具合によって、一枚の写真をドラマチックにしてくれる。霧は光を拡散させて、写真全体に静寂感をあたえる。

たとえば、雲については上の北極圏での写真だが、ちょうど霧と雲の中間を写したもの。霧は朝方、低い位置で結露しやすいので、狙うとしたら早朝がいい。車でこの山に近づいているときは、まだ裾野まで霧が広がっていたが、30分ぐらいして三脚をセットする頃にはほとんど山にぶつかって、雲になっていた。写真としてこの山をさらに強調するためには、この蒸気に加えて、太陽の光が射込んでくるとよかった。南が晴れていたので1時間くらい待ったが、状況はほとんど変わらず、霧はすべて雲になった。


霧の中を群れをなして飛ぶカナダガン

これは朝5時30分ごろ、水の多い湿原のそばを歩いていたときに撮影したもの。これは蒸気が均一に地上に広がって発生していたので、一枚の写真のなかに光がバランスよく拡散されて、いい雰囲気が出た。

霧はすべてそのまま上昇して雲になるかと言うとそうではないと思う。この日は確か、午前8時間ごろから晴れた。水辺の近くで朝方という条件は霧を作りやすいに間違いないけれど、たしかに発生することを予想するのは難しい。


デナリで見られる風景

この写真は霧から雲に変っていく途中段階での、同じく朝方撮影した写真だが、蒸気が巨大なディフューザーとなって、太陽の光を拡散させている。オレンジ色の朝の光が景観に均一に入ってきているので、霧のない朝はこのような風景は観られない。

おそらく暖かい夜から朝にかけて、ふつうは太陽が次第に地平線に近づいて気温が上がるところ、そうではなくて、気温が下がるような日に霧が発生している。


ドラマチックな雲を狙うなら、暖かかった日の夕方。
静寂をかもす霧を狙うなら、水辺の冷える朝方。


アラスカの静寂をひとつテーマとして撮りたい場所がいくつかあるので、これらを考慮して撮影に臨もうと思う。







2012年2月25日土曜日

カモフラージュ


これは動物撮影のときに使うカモフラージュ。もともとはシカなどの大型哺乳類のハンティングに用いられていたものを、イギリスのステルスギア社が野生動物撮影用に販売している。

話はそれるが、ハンティングというのは最終目的はちがうものの、野生動物の撮影と最後の最後まで同じ行動をする。時折ハンティングの雑誌を読んで、動物へのアプローチ方法や、自分の存在の消し方を学んだりしている。

ストイックに考えれば、このカモをつかうからには、セントリピーレントという自分の体や衣類、撮影道具までも臭いを消す洗剤を使って、数日間待機する方法をとるべきなのだ。

個人的には、この道具をまだ回数を重ねて使用したわけではないので、意見を言うことはできないが、いままで逃げられていた動物に対して使ってみることを考えて購入した。前回に紹介したリモートシャッターとあわせて、ここから200メートル離れた対象を狙う。

冬は雪に隠れるため白のカバーをかけることができる

ただし、どの動物をターゲットとするにしても、自分から近づくのではなく、動物が撮影圏内に侵入したところを狙うわけなので、動物をおびき寄せる、なにかしらのルアーが必要になる。アメリカの国立公園ではそういった規制は厳しいため、ルールに則った行動をとらなくてはいけない。

今年の夏に、数週間を費やしてカモフラージュ撮影をする計画を立てている。この結果や感想はまた投稿したいと思う。

とにかく今までの、自分からアプローチする撮影方法とは大きくスタイルが異なるので、予備知識と忍耐が求められる。



2012年2月17日金曜日

Velbon リモートシャッター


リモートシャッターを購入した。セキュライン社製のツインワンR3という製品。これは今あるリモコンシャッター製品の中で、おそらくいちばん作動距離が長い。Nikonのボディで100メートル離れたところからでもシャッターが切れる。


これを何に使うかと言うと、遠距離の動物を撮影するために使う。近づくことの難しい撮影対象に対して、離れたところからシャッターが切れるので、より撮影の可能性が高まる。600ミリの望遠で100メートル離れ、このリモートで100メートル離れるので200メートル離れることができる。現段階の構想では、自分は200メートル離れた位置で、ブラインドという小さな撮影用テントに入り、動物が来るのを待つ。いままで真剣に取り組んだことのない、動物写真のひとつの王道的な撮影方法。海外の写真家では、ヴァンサン・ムニエや、マイケルニックニコルズが得意としている撮影方法。
もちろん固定カメラだけでは頼りないので、もう一台のカメラをもってブラインドの中で待機する。

難点は、一度セットすると、自分はカメラから100メートル離れることになるので、構図の変更ができない。つまり、レンズの向いている、決められたポイントに動物をおびき寄せる必要があるということ。じつはこれをまずできるようにならなければ、このリモコンを買った意味はないのだが、おびき寄せる練習段階で使っていく必要があった。

テクニックは練習して体得する必要がある。何度もつかって新しいシャッターチャンスをつくりだせれば、写真の幅が広がる。またひとつ撮影の面白みが増えた。

2012年2月16日木曜日

フェイスブック

5年前にやり取りしたメッセージが、そのまま保存されていて、久々に連絡するとその下に追加されていく。

2007年から友達の紹介ではじめたフェイスブックだが、そのときに今生の別れをした友達と、気付いたらすごく身近にコンンタクトをとってる。おそらく、いつか会いにいくと約束したことも、こうして会話をすることでお互い満足しているんだろうと思う。

日本の友達も最近みんな始めてる。たくさんの友達と気軽に連絡とれるのはいいけれど、一期一会の感は、まちがいなく薄まるだろうと不安になる。やっぱり実際に会って話をする方が楽しいに決まっているのに、またフェイスブックで!とか、自分も言ってる。

2012年1月24日火曜日

写真集の研究(情報収集)

アラスカの自然をテーマとした代表的写真集5冊

※推定制作期間はアラスカへの撮影行の歴であって、各写真集のために費やした時間とは限らない。


アートウルフのアラスカ
ALASKA 2000年出版(推定制作期間:25年間)

  内容を山、湖といった自然の地形で分けている。
  特徴はアラスカの動物と風景など、自然を総括した構成になっていること。
  文章はアラスカを代表するライター(ニックジャン)にゆだねている。
  160ページ(文章は写真鑑賞に邪魔にならないよう配慮された構成)
  写真はリズム感と躍動感のある写真が多い。



星野道夫のアラスカ
ALASKA 極北・生命の地図 1990年出版(推定制作期間:14年間)

  内容
  特徴はカリブーやグリズリーなどの生態が中心
  文章は、生命や自然の深遠さを伝えるエッセイ調。
  90ページ



マチアスブレイターのアラスカ
WILD ALASKA  2007年出版(2007年出版(推定制作期間:20年間)

  内容を極北、南東アラスカといったアラスカの地域で分けている。
  特徴は写真の中に小さな写真を挿入して、場所の雰囲気を伝える。
  文章はアラスカの情報を詳細に取り入れた解説調。
  250ページ(各ページがランダム構成。キャプションと本文が入り交じる。)
  写真は404枚使用されていて、半分が説明カットや連写カット



田中光常のアラスカ
世界動物記 アラスカ編 1971年出版(推定制作期間:2年間)

  内容を動物の種で分けている。
  特徴は報道性を重視した、アラスカの動物の紹介に重点を置いている。
  文章は、撮影行日記でノンフィクション調。
  200ページ(前半は写真のみ、後半は文章のみの構成)
  写真はそれぞれ図鑑的な撮影方法で動物にのみ焦点を当てている。



マイケルミルフォードのアラスカ(一部に焦点を当てたもの)
Hidden Alaska –Bristol Bay and Beyond 2011年出版(推定制作期間:不明)
 
  内容を自分のテーマで分けている。
  特徴は、タイトルを「隠されたアラスカ」として、新たな視点を読者に与えるよう配慮している。
  文章はテーマについて、アラスカの隠された部分に新たな見方を与えるもの。
160ページ(写真に対してある程度の文章の文章を添える)



オーロラ



オーロラの不思議さは、やはり動くこと。それも天体と違って不規則だということ。一度として同じ写真になったことはないし、同じ形を見たことがない。一時的に強くなったり弱まったりもする。毎日見えるわけではないことから、その希少さも不思議だという感覚を引き立ててくれる。夜に現れるから、というより夜にしか「見る」ことができないから、恐怖に近い感覚になることもある。
でもいちばんいいのは、こうして写真にすることではなく、肉眼でそれを見るということに尽きる。

2012年1月14日土曜日

時間

今年で30になることを考えた。

単純計算で仮に、60歳までの自分が自由にもつ時間を計算するとこうなる。

のこりの30年間=睡眠時間(10年)+食事など生活で必要な行動時間(5年)+人のために費やす時間(10年)+自分の自由時間(5年)

なにか成し遂げたいことがある場合、残された時間を計算するとき、それが自由である場合と、そうでない場合とで考え方は変わる。自由である場合は、自分のもっている時間が長くなる。

もし、この「自分の時間」の5年間(43,800時間)に、一日をむだに過ごすようなことがあれば、次々に成すべきことから遠ざかる。

また、この自由時間にも、成すためにしなければいけないこと、たとえばお金を稼ぐことがあって、これがすべて自分の自由時間に直結するわけではない。

概算すると約25,000時間が、自分の本当の自由に当てられる時間になる。

これが一生であることを思うと、どれほど短いか。


この考えに非難はあるだろうけれど、何かをしようと人生を自分で動かしている人にだけはわかる。

しかし、慌てたところで何かが変わるわけではなく、狼狽はこの貴重な時間の浪費につながる。とにかく点で過ぎゆく現在を、自分の意志をめぐらせて行動するのみ、というのが新年の抱負になる。