2013年11月4日月曜日

Ely, Minnesota




Downtown Ely

ひとつの憧れの場所を訪れた。
僕は、だれか有名な人やプロに、習うことはあっても憧れるということは、まずない。



ジム・ブランデンバーグ ギャラリー

このブログを始めた2008年3月の記述の中に、ジム・ブランデンバーグという写真家についてのことを書いた。

このころからずっと憧れていた。なぜオオカミを自分の思うようにとることができるのか。どうしたらそんなに奇麗に撮れてしまうのか。。。5年経った今でも、僕の中でその半分以上は謎に包まれている。

ほかの写真家がどんな手法を使おうとも、誰にも負けないものが、この写真家にある。それは作中にかなりの訴求力を持って現れる、空気の美しさと色グラデーションである。

僕は、いまでもこの人の写真表現というのを参考にしている。この空気感というのは、 じつはジム・ブランデンバーグと一緒に撮影の現場に立っていたとしても、見ることはもちろんできない。かれの審美眼というフィルターを通さない限り見えてこない世界というのがあるのだ。


ギャラリーではとくに目新しいものもなく、驚きはなかった。
それよりも、ギャラリーがそこに存在している事実。そして次の朝、朝日がイーリーの町に差し込んだときに想った、この表現者の郷里に自分が立っているという事実。ここに、なにか奮い立たせられるものがあった。訪れた理由は、それで十分だった。








中間リング テスト撮影


ニコンのレンズ80ー400mmに、ケンコーのエクステンションチューブ36mmを装着してテストした。(エクステンションチューブは、日本ではたいてい中間リングといっていることが多いかもしれない。以下、中間リングとして記述。)

ちなみに中間リングの一般的な使用目的は、最短撮影距離を縮めることでクローズアップ写真を撮るというもの。 


このテストの目的は、望遠レンズに中間リングをつけることにより、今までと異なる写真表現ができるかどうかを模索すること。 できあがりの写真が、中間リングのありとなしで違うことは明らかだが、その表現をつかって、果たして自分の求めるイメージに近づけることができるか。



秋のオークの木がちょうど紅葉していて、ひとときの美しさがあったので、これを対象としてテストしてみた。




今回の対象は植物だが、全体のテーマである生命の循環や成長の力強さのような、言葉では表現できないことについて、 中間リングは、ちいさものに対して、画面いっぱいに写し込めるため、そのちいさな対象を主人公としたストーリーを作ってくことができそうだ。被写界深度がきわめて浅く、ぼけが強調されるため、「やさしい」「やわらかい」「あわい」イメージができやすいかと思うが、動物の子供や、ちいさな生命には使っていけそうである。



念のため、以下に画像クオリティチェック。



左上から、f5.6、右上がf8.0、左下 f11 右下 f16

以前何も付けずに、レンズだけで撮影テストをしたときは、f5.6で全く問題ないと感じたが、中間リングを付けた場合だと、f5.6よりもf8.0のほうが描写力がある。 
ピント幅をはっきり自分の中で把握しきれていないので、もう少し厳密にやる場合には、被写界深度計算を取り入れてくべきだろう。