2016年8月18日木曜日

推敲の方法


作品は、最低5人に見せなければ、公に出せない。その5人とは、

1.コーヒーを飲んだり、いい呼吸のリズムで集中し切っている自分
2.昼間の通常状態の自分
3.夜の疲れた時の自分
4.お酒でちょっと酔っている時の自分
5.朝のスタートが切れていない時の自分

この5人に見せてから、次に友達に見てもらったり、
勝手に師匠にしている人に見てもらったりして推敲する。
順番も1〜5がいい。

基本的に、1番目の人が調子に乗って作る。
2と3番目の人が、酷評を入れてくる。
4番が慰める。
5番が、冷静に見る。

そして、 時間的な余裕があれば、

6.1か月後の自分

にも見せられると、より冷静に見られる。つまり、発酵して良くなる。


作品とは、ある目的に当てはめるための一枚の写真、組写真、写真集、写真付き文章、雑誌投稿のための旅日記などのこと。


2016年8月16日火曜日

境界線

 ドキュメンタリーであっても、やはり、主観から語らざるをえない。自分の経験から紡いだ物語を、客観的に語るとしたら、とても重要なものを落としてしまう気がする。自然写真は、そこに写る被写体そのものは事実だが、四隅の辺は主観である。切り崩して4辺を決定するという段階で、つまりシャッターを押す瞬間に主観が伴う。さらにそれを、撮影した者が自分で複数枚並べていこうとすれば、主観的表現にならざるを得ないだろう。
 客観的なことに大きく頼ろうとしている自分がいた。アラスカに行くことを決めた時に、主観に従って行動すると決めたはずだ。それを再び思い起こし、作品制作の段階で、自分のスタンスを軌道修正する。この世の「普遍」というものをこらしめたい気持ちも少しは湧いてきた。