アラスカで知り合ったプロのカメラマンからのアドバイスの、話を頂いた中の記録。
1.空撮について
2.個展などの展示会について
3.組写真について
4.テーマを持った撮影にあたり
2013年3月17日日曜日
2011年11月19日土曜日
動物写真家、浅尾省五さん
先週、動物写真家の浅尾省五さんに会った。
浅尾さんは、日本の自然写真の歴史でいえば、第三世代にあたる方。岩合光昭さん、今森光彦さんや、星野道夫さんと同じ世代にあたる。また、浅尾さんは日本の動物写真の本流を築いた、田中光常さんの弟子を経験されている。浅尾さんは70年代に上京されてから、仕事上で田中光常さんと知り合い、2年間、彼のもとでアシスタントを務められた。その後は、交代で星野さんがアシスタントについている。星野さんの次の、前川貴行さんをふくめた3名ともが、同じことを述べていることは参考になる。
「田中光常さんのもとで働いた2年間は、ほとんど写真を撮ることができなかった。しかし、動物写真家がどういうものかを学んだ」
有楽町で浅尾さんと待ち合わせをしてカフェに入った。
現在浅尾さんは、一年の半分を海外での撮影に費やし、50代後半にして現役で世界を飛び回っている。しかし、このように写真の仕事だけでやって行けるようになったのは、10年前の2000年頃からとのこと。動物写真家の内山晟さんもおっしゃって「写真でやっていくのが、どれほど大変か」
浅尾さんは、田中光常さんのアシスタントを務められた後の20代後半から、アフリカで2年間写真を撮り続けるも、独立して継続していくことが大変で、その後は一般企業に就職し、二足のわらじで続ける道を選んだという。
「とにかく、継続して撮影できなくなったら終わり。」
確信した表情で語る。
浅尾さんからのアドバイスとしては、
「誰もやっていないことをやること」
「対象となる動物がいるところへ、できることなら住むこと」
「なにはともあれ、写真で勝負すること」
他にもホームページや雑誌の投稿についてもお話をもらったが、原田純夫さんのアドバイスと、かなり近い意見が多かったということも、とても参考になった。
浅尾さんとは今後、仕事を一緒にやれる機会をつくれるよう進めている。
浅尾さんは、日本の自然写真の歴史でいえば、第三世代にあたる方。岩合光昭さん、今森光彦さんや、星野道夫さんと同じ世代にあたる。また、浅尾さんは日本の動物写真の本流を築いた、田中光常さんの弟子を経験されている。浅尾さんは70年代に上京されてから、仕事上で田中光常さんと知り合い、2年間、彼のもとでアシスタントを務められた。その後は、交代で星野さんがアシスタントについている。星野さんの次の、前川貴行さんをふくめた3名ともが、同じことを述べていることは参考になる。
「田中光常さんのもとで働いた2年間は、ほとんど写真を撮ることができなかった。しかし、動物写真家がどういうものかを学んだ」
有楽町で浅尾さんと待ち合わせをしてカフェに入った。
現在浅尾さんは、一年の半分を海外での撮影に費やし、50代後半にして現役で世界を飛び回っている。しかし、このように写真の仕事だけでやって行けるようになったのは、10年前の2000年頃からとのこと。動物写真家の内山晟さんもおっしゃって「写真でやっていくのが、どれほど大変か」
浅尾さんは、田中光常さんのアシスタントを務められた後の20代後半から、アフリカで2年間写真を撮り続けるも、独立して継続していくことが大変で、その後は一般企業に就職し、二足のわらじで続ける道を選んだという。
「とにかく、継続して撮影できなくなったら終わり。」
確信した表情で語る。
浅尾さんからのアドバイスとしては、
「誰もやっていないことをやること」
「対象となる動物がいるところへ、できることなら住むこと」
「なにはともあれ、写真で勝負すること」
他にもホームページや雑誌の投稿についてもお話をもらったが、原田純夫さんのアドバイスと、かなり近い意見が多かったということも、とても参考になった。
浅尾さんとは今後、仕事を一緒にやれる機会をつくれるよう進めている。
2011年9月24日土曜日
動物写真家、原田純夫さん
アラスカ州デナリ国立公園でツアーの仕事がシーズンを終え、自分なりに撮りたい撮影地を日本から来た友達と回り、一息ついた。この期間中に自分の写真の道を大きく変えうる出来事がいくつか起こった。これは良い方向になるとか、悪い方向になるという話ではなく、これらのことに対して自分がどのように対応するかということにかかっている。
その中でも特に影響の大きかったことは、動物写真家の原田純夫さんとの出会いである。国立公園で、おしゃべりをしながら、写真を撮りながら一日一緒にまわった。原田さんは舞台を日本にとどめず、北米を拠点に現役で仕事をされている。この点では僕と同じ構想をもっていた人。
その氏からの
「日本で一番って、井の中の蛙」
「動物をテーマにアラスカといっても、アラスカは人が決めたボーダーだけれど」
「あなたは将来的に何かひとつテーマを持った方がいい」
これら3つの言葉で、原田さんの動物写真に対する考え方がわかる。そして僕は刺激され、動物写真家に対する考え方が深まった。そして、それが何たるかが少し見えて来た。
原田さんと話をしてから7日が経つ。
まずテーマはその撮影行の都度持っていればいいのではないのか、一生のスパンでのテーマは必要なものなのか、とテーマを持つことへ疑うことから考え始めたが、やはり必要なことだと結論づけた。それは自分の写真のスタイルを確立するためであり、自分にしかできない本当のプロフェッションを見いだすためである。
いまだに自分の生涯のテーマについて考えているが、だいぶ構想は固まって来た。それをいつか自然に出てくるからと言って蔑ろにするのではなく、主体的に押し進めていく必要性をいま強く感じている。この先多くの制約の中で活動を進めていかなくてはならないが、その制約の中にこそヒントはあるものだとして、まずはテーマのはっきりしたプロジェクトを実行してみる。
2011年1月30日日曜日
オプショナルツアー
写真家柳木氏の写真撮影のツアーに同行。
場所はアラスカ州フェアバンクスの町の中の自然。
僕は仕事での参加だったのだが、柳木氏は僕が写真をしているのを知っていたので、今回は生徒として参加させてもらった。
ツアー当日はあいにくの悪天候だったが、プロとなると悪天候とは認識しない。そのなかで見つけられる対象を探していく。
柳木氏の勧める撮影箇所で、みな自分の構図を見つけて撮影し、見てもらう。
フェアバンクスの町の中の雪景色を撮影するツアー。身近なところにも撮影対象はあるということを考えさせられた。
オーバーキャストのおかげでコントラストが落ち、ZEN感覚の写真になる。こちらは柳木氏の決めた構図。
チェナ川沿いを歩きながらいいスポットをみつけ、構図を決めた後、細かなカメラの調節をしながら数枚撮影する。
柳木氏は現在、自身の写真撮影活動はあまりしていないそうだが、なにかもう一度ビッグプロジェクトを計画していると言う。
2月にまた会う予定なの一度飲みながらその話を聞いてみようと思う。
場所はアラスカ州フェアバンクスの町の中の自然。
僕は仕事での参加だったのだが、柳木氏は僕が写真をしているのを知っていたので、今回は生徒として参加させてもらった。
ツアー当日はあいにくの悪天候だったが、プロとなると悪天候とは認識しない。そのなかで見つけられる対象を探していく。
柳木氏の勧める撮影箇所で、みな自分の構図を見つけて撮影し、見てもらう。
フェアバンクスの町の中の雪景色を撮影するツアー。身近なところにも撮影対象はあるということを考えさせられた。
途中記念撮影も。
オーバーキャストのおかげでコントラストが落ち、ZEN感覚の写真になる。こちらは柳木氏の決めた構図。
チェナ川沿いを歩きながらいいスポットをみつけ、構図を決めた後、細かなカメラの調節をしながら数枚撮影する。
柳木氏は現在、自身の写真撮影活動はあまりしていないそうだが、なにかもう一度ビッグプロジェクトを計画していると言う。
2月にまた会う予定なの一度飲みながらその話を聞いてみようと思う。
2010年12月24日金曜日
対談 写真家
今日勤務先の会社が提携している写真家の方と食事をする機会に恵まれた。
Y氏の撮影テーマはアラスカとオーストラリアがメインで、日本を拠点としている。
いくつか興味深い話の中でもっとも印象的だったのが、いまでもテントでの生活が自分になじんでいて基本の生活スタイルだということ。ご本人は今年還暦を迎える巨匠クラスの方で、厳しさを内に押さえた物腰の軽い社交性を感じさせる人であった。
オーストラリアでの、一日中太陽と星の入れ替わりを360度視界の開けた広野で見続けたという経験談は印象的。
話は、僕からの空気を読まない、急で本質的な質問から入ったため人生哲学的な内容に。
Y氏「人って一度生活水準を上げると戻れないってのがあるでしょ。僕にはそれが必要ないの。マンションでもベランダでテントはって寝てんだから(笑)」
Y氏「いまでも有名にならなきゃだめだよって周りからいわれるけど、じぶんは富とか名声とかってのに全く興味がないんだよ。僕の師匠の白川義員に師事したために反面教師になってね。彼は非常に名声にこだわった。」
中島「でも名声っていうと大げさですが、そこから広がるチャンスもあるんじゃないですか?」
Y氏「たしかにあるよね。でもアシスタントについてしばらくして、師匠みたいなこんな人生おくるもんじゃないって思ったよ」
(白川師匠について、写真のためならどんなことでもやった、と言ったニュアンスの話があり)
Y氏「それから反面教師になっちゃってね。」
中島「徒弟制度って今ほとんど聞かないですよね。学べることも多いんじゃないですか」
Y氏「全米の国立公園全部まわったのはよかった。アラスカに来てなかったら写真やってなかっただろうし。」
(記憶抜け)
Y氏「お金は必要だね。それはたしか。」
Y氏「いまテレビに出て有名になった戦場カメラマンの渡辺っているでしょ。あれなんかも僕と同じ考えではある」「有名になりたいってんじゃなくて、写真撮りにいきたいための金集めでしょ」
中島「自分でも公言してましたよね」
Y氏「結局そうやって稼いだお金って全部使っちゃうんだよ。撮影で。」
Y氏「俺もかなり稼いでた時期があってね。いま思えばもう少し残しときゃ良かった(笑)昔とは(経済)状況が全く違うからね。大変。昔は営業なんてしなくたって雑誌の仕事なんかもたくさんきたからね」
中島「え?営業してないんですか?(これには驚き)」
Y氏「うん。いまもまったく(笑)」
話題は、死ぬまで写真を追求できる可能性について
中島「以前動物カメラマンの方とお会いして印象に残っていることですが、フリーカメラマンって自分の意志如何によっては死ぬまで続けられますよね。」
Y氏「それはあるね。雇用されているわけではないからね」
Y氏「でも結婚してしばらくすると考え方も状況も変わるよ」
中島「たしかに自分の行動に制限はかかるでしょうね。長期撮影行はできないとか」
Y氏「でも、それにしても70歳にしていい写真たくさん撮ってる人もいるからね。そういうかたちもあると思う。早期定年から本腰入れるとか。ほら、いまは60でも若いっていわれるくらいでしょ?」
(そういえば以前お会いしたカメラマンの方は定年以降になって、持ち株を売りながら行きたい撮影地へ飛び回っている人だった。)
中島「そういうパターンの方意外に多いですよね。」
Y氏「若いうちからずっとやってるとあるところで選択しなければならないところが出てくるよ」
中島「選択!?とは?」
Y氏「自分の写真、やめるかやめないか」
ここで会話は仕事の話題へ移行し写真トークは終了。終始冗談混じりで楽しく食事をさせていただいた。
知識ではない実地で学べる知恵とプロの思考については師匠につかないと得られない。そんな教えを自分は求めている!などということはいえなかった。が、これに関しては継続的にいい機会に恵まれそうだという感覚も得た食事会だった。
Y氏の撮影テーマはアラスカとオーストラリアがメインで、日本を拠点としている。
いくつか興味深い話の中でもっとも印象的だったのが、いまでもテントでの生活が自分になじんでいて基本の生活スタイルだということ。ご本人は今年還暦を迎える巨匠クラスの方で、厳しさを内に押さえた物腰の軽い社交性を感じさせる人であった。
オーストラリアでの、一日中太陽と星の入れ替わりを360度視界の開けた広野で見続けたという経験談は印象的。
話は、僕からの空気を読まない、急で本質的な質問から入ったため人生哲学的な内容に。
Y氏「人って一度生活水準を上げると戻れないってのがあるでしょ。僕にはそれが必要ないの。マンションでもベランダでテントはって寝てんだから(笑)」
Y氏「いまでも有名にならなきゃだめだよって周りからいわれるけど、じぶんは富とか名声とかってのに全く興味がないんだよ。僕の師匠の白川義員に師事したために反面教師になってね。彼は非常に名声にこだわった。」
中島「でも名声っていうと大げさですが、そこから広がるチャンスもあるんじゃないですか?」
Y氏「たしかにあるよね。でもアシスタントについてしばらくして、師匠みたいなこんな人生おくるもんじゃないって思ったよ」
(白川師匠について、写真のためならどんなことでもやった、と言ったニュアンスの話があり)
Y氏「それから反面教師になっちゃってね。」
中島「徒弟制度って今ほとんど聞かないですよね。学べることも多いんじゃないですか」
Y氏「全米の国立公園全部まわったのはよかった。アラスカに来てなかったら写真やってなかっただろうし。」
(記憶抜け)
Y氏「お金は必要だね。それはたしか。」
Y氏「いまテレビに出て有名になった戦場カメラマンの渡辺っているでしょ。あれなんかも僕と同じ考えではある」「有名になりたいってんじゃなくて、写真撮りにいきたいための金集めでしょ」
中島「自分でも公言してましたよね」
Y氏「結局そうやって稼いだお金って全部使っちゃうんだよ。撮影で。」
Y氏「俺もかなり稼いでた時期があってね。いま思えばもう少し残しときゃ良かった(笑)昔とは(経済)状況が全く違うからね。大変。昔は営業なんてしなくたって雑誌の仕事なんかもたくさんきたからね」
中島「え?営業してないんですか?(これには驚き)」
Y氏「うん。いまもまったく(笑)」
話題は、死ぬまで写真を追求できる可能性について
中島「以前動物カメラマンの方とお会いして印象に残っていることですが、フリーカメラマンって自分の意志如何によっては死ぬまで続けられますよね。」
Y氏「それはあるね。雇用されているわけではないからね」
Y氏「でも結婚してしばらくすると考え方も状況も変わるよ」
中島「たしかに自分の行動に制限はかかるでしょうね。長期撮影行はできないとか」
Y氏「でも、それにしても70歳にしていい写真たくさん撮ってる人もいるからね。そういうかたちもあると思う。早期定年から本腰入れるとか。ほら、いまは60でも若いっていわれるくらいでしょ?」
(そういえば以前お会いしたカメラマンの方は定年以降になって、持ち株を売りながら行きたい撮影地へ飛び回っている人だった。)
中島「そういうパターンの方意外に多いですよね。」
Y氏「若いうちからずっとやってるとあるところで選択しなければならないところが出てくるよ」
中島「選択!?とは?」
Y氏「自分の写真、やめるかやめないか」
ここで会話は仕事の話題へ移行し写真トークは終了。終始冗談混じりで楽しく食事をさせていただいた。
知識ではない実地で学べる知恵とプロの思考については師匠につかないと得られない。そんな教えを自分は求めている!などということはいえなかった。が、これに関しては継続的にいい機会に恵まれそうだという感覚も得た食事会だった。
2009年10月24日土曜日
クラスノート
今日の授業にナショナルジオグラフィックでエディターとして働いていた、Clark James Mishler がゲストで招かれた。理由はこのクラスの教師であるマイケルが彼のもとで数年働いたことがあることからだった。現在はアンカレッジを拠点としてフォトグラファーとして活動を続けている。
授業が始まるなり、ものすごいテンポで話しだした。しかし滑舌はクリアだ。
「このなかでフォトグラファーとして働きたい人は何人?」
「だとしたら何をするの?」
「わたしはコマーシャルフォトグラファーで、お金のためにやってる。それが第一。」
「ちなみにあなた方は何歳?20ならいいけど、22、3なら今もっているやりたいことを半分に自分で絞りなさい。」
「28をすぎたなら、それをさらにまた半分に絞るべきです。」
「人生は短く、選択の連続です。」
「では、写真の話しを始めましょう。」
イントロで脳が研ぎすまされる感覚だった。授業全体を通してみて、「写真を見る目を養うための基礎講座」と題するとわかりやすい。
何がいい写真で、そのどこがよりよい写真なのか、ということは誰にとっても漠然としているのが普通だ。ただ、どちらが良いということだけがわかる。その「なぜか」を簡単な定義付けをすることで、よりクリアにしていく。その定義のいくつかを彼が教えてくれた。
1. Diagonal Line(斜線) 2. Pattern (パターン) 3. Back Light(逆光) 4. Crop(トリミング) 5. Tilt(傾けること) 6. Flame(フレーミング) 7. Silhouette(シルエット) 8. Motion (動体) 9. Contrast (対比) 10. Scale(スケール) 11. Angle of View(カメラアングル) 12. Rule of Third (黄金律) 13. Selective Focus(フォーカスの選択) 14. Color(色使い)15. Negative Space(余白)
などなど、ほかにもいくつか言っていたが聞き逃した。しかし、なかでも1、3、9、と11の4つが重要で、他写真家との差別化を図るためのキーエレメントであると言っていた。
たとえば、左の写真は彼の写真だが、上記の要素のうちどれが当てはまるだろうか。
答えは、1、2、3、11、14。
メイン構図として1の Diagonal Line をもってきている。
ほかに、基礎をすべて意識できるレベルをクリアした後の、意識すると良いポイントを一つの基準にまとめて教えてくれた。それはFABRICという一つの単語に集約できる。Foreground and Background Repetition Interactive Contrast (前景と背景のコントラストの関係性を繰り返すこと。)
たとえば、左の写真(同じく彼の撮ったもの)では、写真中の右側背景は暗く落としてある。つぎに、女性の顔半分右側に光を当てて明るくしてあり、顔の左側はやや暗い。そのさらに左側の背景スペースは壁に光を当てている。このように、左から、明暗明暗の順で構図を整えている。この前景と背景とのコントラストの繰り返しがいい写真になる基準として、かれはポートレート写真を撮り続けている。それにしてもファブリック(編み物、合成物)とはよく言ったものだ。
なにを良い写真として見るべきなのかが漠然としていたなか、この授業によって一つの解決の道を見いだすことができた。いままでやっていた自分の写真観察トレーニングとして、写真がどのように撮られたのかを分析する、過程の分析に加えて、その写真のどこが人に感動を与える要素となっているか、あるいは出版されうるものに仕上がっているのかを考える、効果の分析の必要性を強く感じた。これからのトレーニングにこれを含めてすすめていこうと思う。
2008年12月20日土曜日
Sudden encounter is accidental? I don't think so.

アラスカの自然写真家に今日偶然出会った。アンカレッジのモール内で個展を開いていた。暇そうにしていたので、気にせず質問攻め。
彼の名は Didier Lindsey。20年のキャリアを持っている中堅フォトグラファー。年は50くらいだろうか。こちらの自然写真家はたいていキャリアの若い頃、パートタイムの写真家としてやっていくのが普通であるのだが、尋ねると彼は2年。18年間がフルタイムの写真家としてというのだからちょっと驚いた。パートタイムでの時間が比較的短いからだ。
話していると、フィルム派。フォトショップなどのデジタルフローが大嫌いで、もっぱら銀塩。フィルターも偏光フィルターくらいで、色を変えるようなフィルター類はいっさい使わないという。「アラスカの自然をそのまま表現したい」と3度くらい言っていた。失礼ながら、年は同じくらいでスタイルが彼とは対照的だと思う写真家(Tim Fitzharris)の話をしてみると、「いい仕事をしている」と絶賛。「しかし、デジタルは好きじゃない」と最後に付け加えて。写真に対する考え方が異なるのだろう。ただし、フィルム派デジタル派に関わらず、光の読みをしっかり考えている写真家はその仕上がりがまったく違う。
アラスカ以外に他の国に行って世界中の写真を撮ろうと考えたことはないかどうか尋ねたときは、ちょっと彼の本音が出たような気がした。言葉では「アラスカが一番だ」「他の国にも行ってはみたいがそこまで興味は無い」と言っていたが、どうやら別の事情がある風な感じがした。もちろんその先は突っ込めなかったが、できるなら誰しも一度は世界中回って、そこで初めて自分のスタイルを固めていきたいのではないだろうか。真意はわからないが。
今後もこのような偶然は大事にしていきたいと思う。家に帰ってからブログに打ち込んでいると、他にも彼に聞きたかったことはいくらでも出てくるからだ。英語での会話の際、日本語での会話ように、相手の話を聞きながら、次の段階に話を深める質問を考えることがなかなかできない。こればかりは実践あるのみ。
2008年8月7日木曜日
70メートルくらいの絶壁の途中で、下は海。体をザイルでしばりつけたまま、何時間もねばるんです。 -宮崎学

次回、8月10日の情熱大陸を見てもらいたい。
日本を代表する動物カメラマン宮崎学についての特集。
この特集については、以前に記述した遺伝学の研究をしている友人が、電話で知らせてくれた。
現在、宮崎氏はハクビシンやヌートリアなどの帰化動物も対象に取り上げているが、都会に住む彼らについての考えを番組で聞けたらいいと思う。番組のメインはどうやら人間の自然環境との共存について、宮崎氏の考えを辿るような内容らしいので、ここではそことは違う彼のエピソードを、番組を先行して記してみたい。
著書『僕は動物カメラマン』のなかでかれは次のように語っている。
「6年生になるまでに、私は、伊那谷にすむ野鳥たちについてはすべて知っていたし、鳴き声を聞いて、瞬時にしてそれが何という鳥であるかくらい、識別できた。そして、いわゆる "自然の読み" なるものも、私は私なりに、すでに体で覚えていた・・・という自負だけはある。」
彼は幼少期から長野県の南部、伊那谷で、その急峻なアルプスの森を相手に自然を学んでいった。中学を卒業すると、進学せず、一度あるバス会社に就職するが3ヶ月で退職。つぎに、ただ何となくで入った「信光精機株式会社」で、カメラへの興味が爆発する。ここでレンズの製造過程を一から勉強でき、給料3ヶ月分する高級カメラを購入する。
宮崎学の撮影活動は、ここから始まる。
「毎日毎日、十時間も木の上に登って観察を続けた」
鷲は木のかなり高い位置に営巣するから、隣の木に登り、足場を作ってカメラをセットする。
人が近くにいると巣作りをやめてしまうので、現在では遠くからカメラをリモコンで操作するという。動物に興味を持ち、撮影などの活動をいまだに続けているのも、結局、幼児体験からだという。彼は、カメラは別として、小さい頃からずっとこんなことを続けてきた。
彼は「見る/観察する」ということを非常に重要視する。撮影の何十倍もの時間を観察する時間に費やさなければ、その動物の本当のことは分からない。
34歳の頃の彼の考えについて興味深い対談を本で読んだことがある。ジャーナリストの立花隆が、世に知られる前の大胆に生きている人々を特集した「青春漂流」。そのなかで、ワシやタカのあらゆる生態について語る宮崎氏を前にしてのこと。
立花「そんな話、どこから学んだんですか?」
宮崎「全部自分で観察したことなんですよ。写真を撮っている何十倍もの時間を観察に費やしている訳ですからね」
立花「動物生態学の本を読むとかはしないのですか?」
宮崎「そんなもの全然読んだことがありません。だって、どんな学者より自分の方がよく知っている自信がありますもの」
立花「自分で観察している時に観察記録みたいなものはつけてるんですか?」
宮崎「いえ、何も。全部、自分の頭の中にしまっておくだけです。観察をつける手間ひまがもったいないから、ひたすら見続けるんです。結局、見るのが好きなんですね。仕事に出かけて双眼鏡を忘れたのに気がついたら、カメラを持っていても家まで戻りますが、双眼鏡は持っていて、カメラを忘れたというなら戻りません。双眼鏡さえあれば見られますからね。若い人で動物カメラマンをこころざす人がけっこういるんですが、みんな撮ろう撮ろうとして、撮る前に見ようとしない。あれじゃだめですね。撮る前に徹底的に見なければ。」
観察を続けること、時間をそれに費やすことで生態の本当の姿が現れる。
15年の歳月をかけた写真集「鷲と鷹」にはそんな記録が残っているのだろう。
「自然の生態において、食物連鎖の頂点に位置するワシやタカといった猛禽類が、いかに貴重な存在であり保護しなければならない鳥たちであるか、そのことを私はもっと訴えたかった。そのためには、まずなによりも、ワシやタカの生態を撮影して、彼らの "生きざま" のすばらしさを、より多くの人たちに視覚によって訴えていくことからはじめなければならないと思った。」 -宮崎学
参考文献:「僕は動物カメラマン」どうぶつ社 83年発行 宮崎学著
「青春漂流」講談社 88年発行 立花隆著
登録:
投稿 (Atom)






