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2013年10月16日水曜日

動物撮影時の被写界深度(DOF)についてのメモ


 動物撮影において、被写界深度の予測は必要な技術となる。

 屋外で、たとえばヘラジカを撮影するとき、ニコンD300(APS-C)、400mmのレンズを使用時、ヘラジカは約10メートルの距離にいると仮定する。f5.6, 400mm で撮影する際に、果たして被写界深度は何センチメートルになるか。そして、なぜこんなことを計算する必要があるのか。


上の条件でピントが合う広さは、たったの14センチメートル

 上の条件で得られる値は、14センチメートル。従って、f5.6では、目にピントを合わせたときに、ヘラジカの顔がややカメラの方を向いているだけで、ヘラジカの鼻はピントから外れる。鼻先がピントから外れたヘラジカのポートレートの写真は、きれいには描写されない。ハイレベルでの写真の仕上がりを意識する場合、絶対にさけて通れないのが、この被写界深度の正確な予測である。

 上の条件のとき、計算をしていなければ、鼻にピントが合っていないとは気づかず、撮り直すということをおそらくしない。現像する段階で気がつくという結果になる。ある程度の数値が頭に入っていれば、20メートルの位置までヘラジカから離れて、55センチメートルの被写界深度を得るか。ただし、言うまでもないが、画面内のヘラジカの顔が占める割合は4分の1になる。実際的な場合は、このとき、15メートルくらいの位置まで離れて、f8にすると、44センチメートルの被写界深度を得られるので、そうすることになるだろう。ただし、このとき注意することは、被写界深度の幅の手前から三分の一のところにフォーカスが合うということ。すなわち、44センチメートルの被写界深度のとき、手前から14.5センチメートルのところがピントを実際に合わせるフォーカスポイントとなる。大人のヘラジカの目と鼻の距離は、だいたい35センチメートルなので、鼻から15センチメートルほど離れたところにピントを合わせる必要があるということ。これで、この被写界深度の手前15センチほどにある鼻先と、後方30センチメートル以内にある目にもピントが合うということ。


 ちなみに10メートルの距離にまで近づける動物は、ヘラジカのほか、ドールシープやシロイワヤギなどの偶蹄類で、この被写界深度は特に、動物に近づくときに注意を要する。そして、近づいて撮るというときは、たいていポートレート写真だろう。

その他、例えばニコンD300、300mmのレンズで20メートルの近さ、f2.8で撮影するときは、被写界深度は、50センチメートルを確保できるので、顔全体に加えて、角があればそれもフォーカスに入れることができる、という計算ができる。



この被写界深度は、自分で計算しようとすると大変なので、こちらのサイトが活用できる。http://www.dofmaster.com/dofjs.html


自分のカメラボディと、使うレンズの長さ(Focal length)と、絞り値(Selected f-stop)それと被写体とカメラの距離(Subject distance)を入力すれば、被写界深度は自動的に算出される。



2013年3月28日木曜日

写真家研究 クラウス・ニゲ


クラウス・ニゲの写真は、彼自身が本当に対象の動物に愛着がわいていて、調べ尽くした中で撮影に至っていると思えるものが多い。作品群は、まとめのバランスがとても良いと感じる。要するに、最後の写真を見終わって、「ああ、なるほど」と言いたいことがほとんどわかる。写真をまとめる上で、その順序は非常に参考になると思うので、くわしく見ていくに値すると勝手に判断した。


以下の僕の記述は、自分が写真の評論家にでもなったかのような書き方をしているが、そのあたりは、そのつもりになって写真を眺めている(見る訓練をしている)と考えてもらえればいい。

写真家クラウス・ニゲ
1956年生まれ

 17才の頃からカメラが好きで撮影をしていた。大学卒業後(23)しばらくは生物学者として活動していたが、野生生物を撮りたいという想いを断ち切れず、1984年に写真家になる(28)。1991年(35)にドイツの自然写真協会(GDT)に入会し、1992年から95年(39)まで、この協会の会長を務めた。フリーランスになったのは、1995年(39)から。写真家としては比較的遅いスタートであるが、彼の作品群を見ていく限り、プロかアマチュアかなどは気にしていないかのように、淡々とテーマに打ち込んでいるように感じる。

彼の今までのプロジェクトを以下に記載する。
プロジェクト開始は想定30才あたりから。彼のプロジェクトの特徴として、野生生物をテーマとするときは、動物種1種を選び、その生態のライフサイクルを数年かけて取材する型をとっている。場所をテーマにするときは、四季とそれに対する多様な動物たちの生活の変化等を織り交ぜて、全体的にバランスの良い作品群に仕上げている。撮影の特徴は、表現に合わせたカメラの使用をしていること。例えば、対象の動物を入れ、風景も含めてその生態環境の写真をシンプルに表現したいときは、やや望遠のレンズを使って、圧縮効果をうまく加え、イラスト調にしているなど。表現としての特徴は、一枚あるいは数枚の写真をつかって、事象の変化を写真だけで完璧に表現できるところだろう。キャプションは、後で詳しい知識を得るときに必要であって、それがなくても十分意図が伝わる作品に仕上がっている。

Project

Stellers Sea Eagle (???? - 1999) NMG 1999.3 掲載
36才(掲載時43才)

Brown Bear (???? - 2001)
Kamchatka (2003? - 2005)
European Bison (2005? - 2007)
Bialowieza Forest (2005?)

American White Pelican (2004?–2006) NGM 2006.6 掲載
48才(掲載時50才)

Common Crane (2006? – 2007)
49才

Philippine Eagle (2006? – 2008) NGM 2008.10 掲載
52才

Whooping Crane (2008? – 2010) NGM 2010.9 掲載
54才

Flamingo (2010? – 2012) NGM 2012.4 掲載
56才


2013年3月23日土曜日

自然の見方

カメラを通して自然をみるというのはどういうことだろう。

あらためて基本的な部分を考えなおしてみた。

 

ふつうに自然の中を歩いているときに見る自然は、自分がその自然を知ろう、その自然の一部になってみて、木々や動物たちの世界を見るという、自分の中へ自然を取り込む行動、インプットしていくという考え方といえる。

それに対して、カメラを通して自然を見るということは、どうしても「表現」ということを意識しなければならない。360度ひろがる現実の自然の中を、四角く切り取らなければならない。これには自分の自然に対する考え方をアウトプットしていく必要がある。自分の楽しみのための記録にしたって、一部を切り取るときは、深く考えれば取り集めたものが「自分の観る自然」といえるだろう。

自分の考える自然とはどういうものなのか。一枚で表すのなら、やはり「驚き」の感覚を捉えること。

数枚で表す場合は、並べてみて自分の自然に対する考え方が反映されるよう表現すること。これが基本になってくるだろう。

自然の中を歩くときに、カメラをもって記録しながら歩く場合は、このインプットとアウトプットを意識して行動する必要がある。

どうしても自然写真は、時代と密接につながっている必要があると思うし、いま生きる僕らの時代に、どのように自然と向き合っていくか。自分の自然の見方というのをアピールしていくべきだ。








2012年10月20日土曜日

組写真を考える


組写真は、いままで僕が試したことがない写真表現の領域だ。似たことを試みたことはあるけれど、表現を意識したものではないし、正しい制作過程を踏んだわけでもなかった。

まず、単写真とは、一枚の写真で完結させた写真のこと。テーマはひとつに絞る必要がありそうだ。たった一枚の写真に複数のテーマを設ければ、伝える力が分散することになる。
組写真とは、2枚以上の写真を使って、複雑なテーマを題材とする。したがって、一連の写真の中の一枚の写真が、何かを意味していないこともあり得るわけだ。あくまで、全体として表現されていれば成功ということ。

このことを考えると、今後の撮影方法も変わるだろうし、ひとつの大きなテーマにも取り組んでいけることが明らかになる。

組写真の制作過程は、ウェブや書物で調べてみると、まず大きなテーマをひとつ設定し、そのテーマの大きさ(幅広さ)に従って写真枚数をある程度絞り、必要なカットに分解して、撮影を進めていくというのが王道のようだ。

本来、撮影後のカットをパズルするのではないが、 まずテーマを決めて、要素を細分化し、その分解された小テーマに沿う写真が、自分のストックの中にあれば、合わせてみても良いだろう。(イメージトレーニングとして)早速ためしをしてみる。

テーマ:Bears in summer

母親にサケの獲り方を教わる

サケを川の浅瀬に追い込む

体ごとサケに向かって飛び込む

うまくサケをとらえる

ぬれた体の水を切る

表面的には、川にいるクマを写真に表すだけ。それを5枚重ねることで、クマにとっての夏は、サケ獲りに忙しく、サケ獲りはクマにとって切り離せない生活の一部だということを伝える。そのことに加え、一生懸命なクマの様子を表現してみた。


< クマたちの夏を掘り下げた結果、得られた表現意図 >
「サケの遡上する川で、サケ獲りに懸命なクマたち」
  ・表現意図:サケ獲りシーンを複数組み合わせて、クマの夏を表現
  ・個々の写真:クマのサケ獲りに関わるシーンをアップで、動きある写真に
  ・写真の構成:水しぶき、クマ、サケを含める

※上記まとめ方は、HP<我が道を行く写真道>を参照


2012年6月30日土曜日

Bluebell




日本では見たことがない。

辞典を調べると、ヨーロッパ原産でユリ科の多年草と出ている。

春の花らしい。

このブルーベルを、背景の色に意識を置いて、撮影した。

青の対照色は、単純にいえば黄色だ。

背景の黄色は、夕方よりのオレンジに近い、

まだオレンジになりきっていない光。

これを反射する、雑草とたんぽぽがうしろにある。


2時間ほど歩き回っていると、ピンク色のも見つけた。



ピンクなので、背景は丸くぼかしてみる。

たぶん、もう少しクローズアップの方がよかった。

花を切り取るときは特に、色と背景の構図が、対象を引き立たせる。

ということがわかった。



2012年6月13日水曜日

異なる対象の撮影



友人の結婚式で、カメラマンとして参列した。
二人のために写真を残せることへのよろこびと同時に、冬から春にかけてトレーニングをしていた撮影技術を、このときに試せる機会でもあり、緊張した。

何をするにも、あるていど時間をかけて努力したことが、正しかったのかそうではなかったのかを試す、試合は、緊張してしまうものだ。



イリノイで進めていた技術トレーニングは、

利き腕よりも弱い左腕の筋肉トレーニング、

カメラを構えて撮影するまでの時間の短縮、

構図もテーマもシンプルな写真づくり

が、おもな練習だった。

筋トレは、カメラを支えて、1時間しないうちに腕に疲れがきていたために、これが長ダマを抱えたとき、ブレにつながっていたと自分なりに分析した。それを克服すること。

撮影までの時間短縮は、動物の動きに対応し、瞬時に適正露出を得ることを、より確実に、すばやくするため。これには、最適な露出を瞬時に選び出す緊張感も伴うため、カメラボディの各ダイヤル操作、光の読みなど、総合的に効果があると考えられた。

シンプルな写真づくりは、自分の中でテーマを持ち、各写真はそのテーマに沿う、あるいはテーマを強調させる、シンプルなサブテーマで撮っていく。




人を撮影することは、多くの意味で動物とは違う。ということを再認識しておく必要があった。

まず、基本的に式の撮影では、顔の表情が写真のほとんどを決めるということ。
これは動物撮影では、ポートレートを撮る以外に、そこまで意識する必要のないことだ。ここが一点。



物撮りも、忙しい式の中、極力その対象をきれいに、正確に撮ることに集中した。


人は動物よりも、カメラを意識するため、それを避けるように撮るということが、もう一点。
友人ということもあって、この点はだいぶ楽にできたと思う。おそらく参加者のなかで自分が一番緊張していたかもしれない。いい意味で。

他にも、当たり前だが、写真を見る人が人間ということもあり、写真の中の人の挙動が、より細かい次元で認識される。そのため、少しバランスの悪い手足の位置で写し止めた場合に、明らかな違和感として表出するということ。これは、今回撮影していて気付いた。


結果としては、自分の中で80点は越えた。

大きな収穫は、いままでの、撮影枚数に対する技術的な失敗の割合が、かなり減ったということ。
それから一枚の写真にひとつのテーマという、シンプルさの表現にも、考えていたよりも近づいた。これには、対象にあまりにも簡単に近づくことができるために、構図をシンプルにすることが簡単だったということを、忘れない方がいい。



2012年4月18日水曜日

霧(きり)についての考察



霧と雲は本来同じものだが、見る側の位置によって名称が変わる面白い言葉の区別だと思う。

雲は空に浮いている蒸気のかたまりなのに対して、霧は地上に接している蒸気と定義できる。


北極圏ブルックス山脈

写真を撮る側としてもこの違いは大きい。単純にどちらも風景写真にひと味加えてくれる。雲は形や光を反射しているその具合によって、一枚の写真をドラマチックにしてくれる。霧は光を拡散させて、写真全体に静寂感をあたえる。

たとえば、雲については上の北極圏での写真だが、ちょうど霧と雲の中間を写したもの。霧は朝方、低い位置で結露しやすいので、狙うとしたら早朝がいい。車でこの山に近づいているときは、まだ裾野まで霧が広がっていたが、30分ぐらいして三脚をセットする頃にはほとんど山にぶつかって、雲になっていた。写真としてこの山をさらに強調するためには、この蒸気に加えて、太陽の光が射込んでくるとよかった。南が晴れていたので1時間くらい待ったが、状況はほとんど変わらず、霧はすべて雲になった。


霧の中を群れをなして飛ぶカナダガン

これは朝5時30分ごろ、水の多い湿原のそばを歩いていたときに撮影したもの。これは蒸気が均一に地上に広がって発生していたので、一枚の写真のなかに光がバランスよく拡散されて、いい雰囲気が出た。

霧はすべてそのまま上昇して雲になるかと言うとそうではないと思う。この日は確か、午前8時間ごろから晴れた。水辺の近くで朝方という条件は霧を作りやすいに間違いないけれど、たしかに発生することを予想するのは難しい。


デナリで見られる風景

この写真は霧から雲に変っていく途中段階での、同じく朝方撮影した写真だが、蒸気が巨大なディフューザーとなって、太陽の光を拡散させている。オレンジ色の朝の光が景観に均一に入ってきているので、霧のない朝はこのような風景は観られない。

おそらく暖かい夜から朝にかけて、ふつうは太陽が次第に地平線に近づいて気温が上がるところ、そうではなくて、気温が下がるような日に霧が発生している。


ドラマチックな雲を狙うなら、暖かかった日の夕方。
静寂をかもす霧を狙うなら、水辺の冷える朝方。


アラスカの静寂をひとつテーマとして撮りたい場所がいくつかあるので、これらを考慮して撮影に臨もうと思う。







2012年1月24日火曜日

写真集の研究(情報収集)

アラスカの自然をテーマとした代表的写真集5冊

※推定制作期間はアラスカへの撮影行の歴であって、各写真集のために費やした時間とは限らない。


アートウルフのアラスカ
ALASKA 2000年出版(推定制作期間:25年間)

  内容を山、湖といった自然の地形で分けている。
  特徴はアラスカの動物と風景など、自然を総括した構成になっていること。
  文章はアラスカを代表するライター(ニックジャン)にゆだねている。
  160ページ(文章は写真鑑賞に邪魔にならないよう配慮された構成)
  写真はリズム感と躍動感のある写真が多い。



星野道夫のアラスカ
ALASKA 極北・生命の地図 1990年出版(推定制作期間:14年間)

  内容
  特徴はカリブーやグリズリーなどの生態が中心
  文章は、生命や自然の深遠さを伝えるエッセイ調。
  90ページ



マチアスブレイターのアラスカ
WILD ALASKA  2007年出版(2007年出版(推定制作期間:20年間)

  内容を極北、南東アラスカといったアラスカの地域で分けている。
  特徴は写真の中に小さな写真を挿入して、場所の雰囲気を伝える。
  文章はアラスカの情報を詳細に取り入れた解説調。
  250ページ(各ページがランダム構成。キャプションと本文が入り交じる。)
  写真は404枚使用されていて、半分が説明カットや連写カット



田中光常のアラスカ
世界動物記 アラスカ編 1971年出版(推定制作期間:2年間)

  内容を動物の種で分けている。
  特徴は報道性を重視した、アラスカの動物の紹介に重点を置いている。
  文章は、撮影行日記でノンフィクション調。
  200ページ(前半は写真のみ、後半は文章のみの構成)
  写真はそれぞれ図鑑的な撮影方法で動物にのみ焦点を当てている。



マイケルミルフォードのアラスカ(一部に焦点を当てたもの)
Hidden Alaska –Bristol Bay and Beyond 2011年出版(推定制作期間:不明)
 
  内容を自分のテーマで分けている。
  特徴は、タイトルを「隠されたアラスカ」として、新たな視点を読者に与えるよう配慮している。
  文章はテーマについて、アラスカの隠された部分に新たな見方を与えるもの。
160ページ(写真に対してある程度の文章の文章を添える)



2011年11月27日日曜日

マイケルクイントン写真研究 -part 5-



マイケルクイントンはナショナルジオグラフィックの契約カメラマン。24のとき、より動物写真をとるチャンスを増やすために、アイダホ州からアラスカ州へと移住したという。

左の写真はマイケルの初期の頃の仕事で、ハシボソキツツキ(Northern Flicher)の飛行をとらえた写真である。ナショナルジオグラフィックから選出される写真すべてに言えることだが、この写真のすごさは、動物自然写真の、基本的な追求すべき要素である、Sense of Wonder (驚異の感覚)を確実にとらえていること。見事にこの鳥の、普段見られない内側の羽を暴露している。

マイケルクイントンはまず間違いなく、この飛行の写真をリモコンかセンサーで撮影している。この撮影場所は、自宅のすぐそばであるという記述があるので、この鳥の行動を予測した上でセッティングしたことは間違いない。彼の中には、すでに出来上がりの構図があり、何を表現するかを見越した上で撮影を実行した。

ナショジオに掲載された、バリエーションカットはこちら


ハシボソキツツキの外見は左の写真のように、地味だ。
動物写真をとらえる上で、ひとつテーマとなるものに、「既成概念を覆す」というのがある。これを示すことで、対象のキャラクターの新しい局面を伝え、人のその動物への見方を変える。

2011年11月23日水曜日

記事から抜粋

 Having something to say
何かいいたいことを加えるということ —クリス・ウェストン
Magazine text is on the bottom of this article.
(以下、日本語翻訳文)


プロでやっている人の話を聞くと、'making images' イメージをつくる、という言葉をよく耳にする。「イメージをつくる」ということと、'taking images'「イメージを撮る」ということの違いは、たった一語の違い以上に大きなちがいがある。そして、このイメージをつくるというアプローチこそが、トップの写真家とその他大勢を区別することになる。まず、何かいいたいことをもつ写真家、ということを頭に入れておこう。


わたしが野生動物の撮影をはじめたのは、動物の行動に魅かれたからだ。私は、なぜ自然のなかの摂理はそのような仕組みをとるのか、という疑問を抱いた。よく思ったことは、「なぜシマウマは、黄色い草原に覆われたサバンナのなかで、シロクロの縞模様なのか」という疑問である。その答えを学ぶとすぐに、わたしはそれを視覚で伝えるためにカメラをもちいた。これは、わたしが写真で何を「言いたい」のか、というきまった考えを頭にいれて、撮影対象にアプローチしたことを意味する。そして、この目的のために、わたしは自分の、自由に使える機材と、画面構成の技術をつかった。カメラを持つずっと前から、このイメージに対するながいキャプションを書いていた。まず、座ってキャプションを取りあげ、どのようにこのキャプションに合ったイメージをつくることができるだろうかと考えるのである。わたしはいまだにこの方法をつかう。たとえば、わたしがフィールドにいたとして、シャッターを押す前に、主題に直面してまよっていたら、「このショットにはどのようなキャプションをつけることができるだろうか?」と考える。動物の種の名前しか思い浮かばなかったら、よりよいシャッターチャンスを待つ。


何をいいたいのかということを知ることは、結局自分の主題を理解することになる。野生動物について学べば学ぶほど、よりアイデアをもてるようになるのだ。わたしはこの知恵をフィールドワーク、本、ドキュメンタリーなどから得るようにしている。主題のことについて知ることは、野生動物写真だけにあてはまるものではない。どのジャンルにおいてもトップの写真家は、対象についての親密な知識を備えている。
(雑誌、Outdoor PHOTOGRAPHY 2010年10月号より)



2011年10月3日月曜日

マイケルクイントン研究 -part 4-




この写真の主題は静寂、対象が湖面にいる白鳥と考えられる。

基本撮影データ予測:1/125 f/4 ISO50 200mm PLフィルター使用

白鳥を対象とした写真は以前にも考察したが、この水面に漂っている白鳥は同じ白鳥であってもイメージが異なる。白鳥が湖面を動くスピードは緩やかで静かである。この曇りの日の薄く淡い光が主題にマッチしていることで写真全体が統一されている。無駄なものがない写真である。また、白鳥が2羽であることも重要で、もし一羽だった場合、表現は「孤独」が加わり、やや暗い印象の「孤独な静寂」という写真に仕上がる。2羽いることが静寂を「平和な静寂」となるようサポートしているようだ。

技術的なことを言えば、この背景に体の真っ白な白鳥の適正露出を得るためには、測光方式を中央部重点にしていても2段は落とす必要がある。おそらくクイントンは白鳥の向かう方向を予想して、白鳥が目的のポイント(この写真の位置)に来る前に何度か試し撮りをして適正露出を得たに違いない。チャンスを直前に予測し準備した写真。

2011年3月30日水曜日

マイケル・クイントン研究 -part 3-


この写真は構図やライティングについて考察するよりもこの状況について考えた方が得るところが大きい。

基本撮影データ予測:1/500 f/5.6 ISO400 200mm

背景のボケかたと全体の遠近感からして撮影距離はそこまで遠くない。このリンクスにそこまで近づいているところがまず驚かされるところ。おそらくテント型ブラインドをもちいて数週間あるいは一ヶ月以上探し続けたか待ち続けたに違いない。国立公園外であればキャットルアーを用いたかもしれない。少なくともリンクスに遭遇できる可能性の高いポイントを見つけるまでに数ヶ月かかっているだろう。マイケルクイントンはそのようなことができる写真家である。実はこれ以上彼の行った具体的なアプローチを考えつかないが、たまたまこの状況に遭遇して素早く撮った写真ではないことは明らかである。
 もう一つ考えられる可能性の高いストーリーは、右隅にマスクラットの巣穴らしきものがある。マスクラットがここに巣穴を作るということは、クイントンは川を挟んで対岸に対象を観ていることになり、場面は川辺である。初めにリンクスはこのラットを追ったのだが巣穴に逃げられてしまっている。そのような雪の乱された痕跡がある。リンクスは「待ちの名手」の異名を持つことから、その大きなカンジキのような足で音を立てずに忍び寄り、待ち続け、クイントンも事前に予期して待ち続け、マスクラットが巣穴からひょっこり出て来たところシャッターを切ったものではないだろうか。この続きの写真も2枚あり、このマスクラットは仕留められている。

2011年1月15日土曜日

マイケルクイントン研究 -Part 2-



基本撮影データ予測:1/250 f/8 ISO400 600mm ミラーレンズ使用 三脚あるいはそれに代わる固定機材使用 フラッシュ使用(?)

いい写真にしているポイントを考えてみると、
①サイドライティングによって対象に立体感を与えている。②対象と背景との距離が十分あるために背景全体がうまくボケている。③対象と同じ目の高さから撮影することで違和感のないパースペクティブになっている。④ピントを近い方の目に合わせている。

おそらく「置きピン」での撮影。背景からミラーレンズを使用しているのは間違いないが、フクロウのすむ光量の少ない条件下でミラーレンズを使いこの露出を得ながら、ピンがしっかり来ていることから、あらかじめピントを合わせておき、対象(フクロウ)が来たところでシャッターを押す置きピン撮影と考えられる。レンズ選択、対象、光条件を素早く判断したプロの仕事であるのはすぐにわかる。置きピンであるというのは予測にすぎないが、だとすると、フクロウが人の目の高さの木に止まることは考えられないので、彼は対象の止まるこの木の高さまで登って待ち、シャッターを切ったことになる。
彼の撮影するフクロウの写真の中でも、光と背景がフクロウという被写体に一番マッチしている一枚といえる。

2010年11月22日月曜日

マイケルクイントン研究 -part 1-



Michael Quinton の作品

※マイケルクイントンはアラスカ在住のナショジオフォトグラファーで、特に動物を対象としたときの彼の作品には注目すべきである。写真家本人についてはまたの機会に記述する。

比べるに値すべき写真を持ってくるべきだが、第一考察では自分の写真の中からクイントンのストックの中に似たものを探し、比較してみることにする。差のわかりきった写真の比較から始めた方が、後の考察へ発展させやすいこともあるためである。

まず、基本撮影データ予測をした後に、クイントンが良い作品制作に成功しているポイントを挙げていく。

基本撮影データ予測:1/250 f/5.6 ISO 100 300mm 日の出から30分 やや雲天

① 背景のぼかしによって対象を浮き立たせている(基本)②対象の露出の適正 ③背景の色とトーンを対象である白鳥の白との大きな対比としている。④太陽の角度が低くややオーバーキャストの光を用いてドラマチックに仕上げている。⑤対象の白鳥の毛並みが良い。⑥対象のシンプルな特徴とシンプルな背景という単純だが力強い構図に仕上げている。⑦湖面に反射する白鳥をやや波立たせることで本物をより強調している。⑧アイレベルに近いアングル(やや高い位置から撮影している)。


自分で撮影したもの

次に、自分の写真の問題点をクイントンの写真の利点を活かした考察をしてみる。❶対象と湖面とのトーンが似通っているために、白鳥が中途半端に主張している。❷トウヒの黒い反射が紅葉と白鳥のトーンを邪魔している。❸白鳥が後ろむき(前向きであれば少し力強さが増すだろう)❹対象の二羽の占める割合が狭いため縦位置構図を無駄に使っている。❺対象に近づけきれていない。

総評してみると、やはり自分の対象に対する研究不足ということになるだろう。白鳥のシンプルな体の作りと色、毛並みの良い季節、行動様式を最低でも知った上で、このモチーフの写真を撮る必要がある。実際にこのときは白鳥を撮ろうとして撮影に出かけた訳ではなく、見つけたので撮ったのである。かけた時間もわずか1時間半ほど。この場合、白鳥をモチーフにするのであれば、先の事前知識が必ず必要であった。したがって、そのときの自分の撮影状況であれば、風景(紅葉)を対象とし、ポイントとして白鳥を入れるのが正しい対象選びであったということになるだろう。写真そのものについてのまとめとしてはクイントンが対象をはっきりさせ、それを引き立たせる技術を駆使させているのに対し、自分の対象は中途半端であるという点に尽きる。

2010年10月20日水曜日

写真と絵画は何が違うか - part 2 -

レトリック(修辞)に関しての違いから自分の追求する写真へ



そもそも、絵画というのは画家が見た、あるいは認識した物を線や色彩によって描き出すことであって、その画家本人の思想を、高度な視覚表現の技術をもちいてキャンバスに含めることができる。 つまり100%に限りなく近い程度、その画家が造る(修辞する)ことができるものである。これは絵画の本質である。とくに16、7世紀の西洋絵画はこれなしでは絵画でなかった時代もあるようだ。逆に写真はもともと存在する「もの」を光と撮影技術を使ってフィルムに写し出す。したがって、写真においてレトリック(修辞)を含ませる場合それは造られた写真ということになる。(注:ここでのレトリックとは、政治的な思想などを言語化されていない絵柄として巧妙に織り込んでいくその手法のことである。したがって、美学でいうレトリックとは区別される必要がある。)これは、様々な意見があるとは思うが、僕の考えでは写真の本質ではない。
写真はありのままを写し出すアクチュアリティが本質なので、「撮る」という行為は本質でも、仕組まれた物を写し、表現までもっていくことは本質から外れる。このようにイデオロギーを含んだ写真は修辞学からは考えられるが、純粋な美学からは考えるべきではない。
したがってレトリックは絵画において公正な創造基準として見ることができても、写真に於いてはそうではないと考えられる。

いずれにしても写真に自分の意思を含めてはいけないと考えている訳ではなく、僕の考えでは第一に写真を「きれいに撮る」ということが基本的なことであって、第二に構図、色の配置、視線の誘導の技術、第三に意思である。
自然写真における写真作品を創作する上で絵画から学ぶべき明確なところは、上記三点を絵画について考えた場合、この第二のところのみである。また、レトリックというフィルターを除去した絵画、修辞学ではなく美学で考えることのできる絵画を選別していかなければ、絵画から写真を学ぶことは危険である。なぜなら、その構図が、色の配置が、視線の誘導が、作者の意図するイデオロギーのために用いられたとするなら、それは僕が学ぶべき手法ではないからである。

自分の求める写真とは、時にイデオロギーを含ませることは自分の表現を一般的にわかりやすくするために必要なのかもしれないけれど、そうではなくて、動物あるいはもっと大きい範疇での「自然」の普遍性をディスカバーしていく写真でありたい。 そういった意味では自分の求める写真は芸術ではないのかもしれないが、このことは今後作品を仕上げていく上で意識し続けなければいけない自分への制約である。

2009年10月17日土曜日

Japanese aesthetic sense

 左の絵は「騎象胡楽図」といって、奈良正倉院にある日本の絵画である。見たところ中国の絵のようなのは、紀元前の時代の中国から影響を受けているからだとされている。しかし、この絵画自体は中国が唐の時代に日本で作られたものであり、当時すでに日本のこの絵に用いられている画法は中国のそれと異なっていたそうだ。

この絵から見て取れる風景画の特徴として、二方向からの風景を遠近法の妙技によって、それらを不自然なく融合させている点にある。具体的には前景に、象とともに踊る4人のひとたち(主対象)を用いており、背景にその土地の様子を用いて、中景でそれらをとけ込ませている。

この技法は、遠近法の矛盾をその時代、故意に興したものととらえるべきなのか、それとも、次の水墨画の時代でこの技法が修正されたように、技術的な未熟さから、発展途上のものとしてとらえるのか、そこを文献から読みとるのは難しい。しかし、写真をやる場合に、これを一つの確立された技法ととらえ、この技法を応用させることは可能である。
それをした場合、少なくとも3カット(主題1カット、風景2カット)必要になり、合成することになるのだが、それが真実性を失うかと言えばそうではなく、一つの土地柄を表現する芸術として考えることができるかもしれない。

日本人である限り(というような考えはやはり留学すると身に付いてしまうものなのだろうか?)、その芸術の歴史を知る必要が出てくる。日本人の感受性は自分のそれと何らかの関連があるだろうし、外国人の撮る写真と自分の切り取る写真とに違いを感じるのにもこの点から理解できるかもしれない。どちらが優れているか、というようなことではなく、日本人の観点からの写真を撮る必要はありそうだ。




2009年9月30日水曜日

写真は絵画と何が違うか -part 1-


 ※撮影の工夫次第で絵画のような写真が撮れる。三脚を用いて、シャッター開口中、やや斜め方向に直線的にカメラをずらすことでブラシストロークのように表現したもの。しかし、即席でできるものの、本当の絵筆に比べれば当然表現方法に制限が出てくる。この写真は僕が撮ったものだが、まねをしてみただけである。このようなアブストラクト写真を撮るカメラマンの狙いは何だろうか。




先日アンカレッジ市内の写真展を見に行き、確かめさせられることがあった。それは自分が写真をやるのはなぜかということ。

展示の中にエディーソロウェー(クリックでページにジャンプ)という写真家の写真が展示されていた。この写真家の講演に夏参加したばかりだったのだが、写真展で彼の写真をじっくり見ていて、夏の講演のときに一つ質問をしなかったことに後悔した。「絵画ではなく、写真で抽象画のような画像を撮るのはなぜですか」
それはカメラで絵筆に対抗しようという運動なのか、それとも自然美をスピーディーに見つけられて、さらに仕事が早く進められて楽しいからか、あるいは単にきれいだからとるのだろうか。
リアリズムという範疇において、自分の活動も、なぜ絵画ではなく、写真なのかという質問がされうる。これには僕は、世の中の動きや、動物の保護活動というキーワードでもって答えることができる。しかし、彼のような抽象画を写真で撮る人は、自由な描写ができる絵筆やブラシではなく、なぜ制限のかかるカメラでそれをやろうとするのか。





2009年9月21日月曜日

Eye level






カメラで動物を撮るときのセオリーとされているアイレベル。もちろん動物だけではなく、ポートレイトで対象を撮る時の基本とされている。僕としては目線を対象の高さにあわせることで、対象となる動物の世界に鑑賞者を引き込む効果がある、と考えている。
学校の先生に頼まれて先生の赤ちゃんを撮影。先生には悪かったけれど、動物を撮るような感覚で赤ちゃんを撮影してみた。






人、といってもここでは赤ちゃんだけれど、人を撮影するときに動物を撮るときと同じ感覚で撮ったことは今までなかったのだが、一つ違いに気がついた。同じような感覚で臨んだものの、明らかに動物を撮るときと比べて自分自身が落ち着いて撮影していた。赤ちゃん相手なので落ち着けて当たり前なのかもしれないが、自分は動物を撮る時、人を撮るときに比べて気を張りすぎていた。そのことが今一歩、撮りたい動物に近寄れない、近づいても逃げられてしまう原因だったのかもしれない。






2009年8月26日水曜日

撮影 宿題 授業


2年目の秋学期がスタートした。

今期、写真のクラスは Advanced Photography と Color Photography を受講する。

Advanced Photography のクラスでは写真家としてのスタートを切るための授業内容になっている。これまでのクラスのように、一つのアサインメントに対して数枚の写真を創っていくのとは異なり、自分ではじめにポートフォリオ(作品集)の構想を練り、それに沿ったアサインメントを自分で決めて撮影プリントし、作品を制作していく。主に教授はそのポートフォリオの制作とプレゼンテーションの仕方に関わり、撮影の技術的なことに関しては口を出さない。
 こちら米国では、ポートフォリオがそのアーティストのビジネスを左右すると言われているほど重要視されている。そのような伝統からか、印象としてはこの授業まるごと、ひとつの作品集づくりのための授業に構成されているような感じを受ける。


Color Photography の授業では、昨年までのフィルムでのカラー写真から完全デジタルに移行し、薬品を使った現像/焼きのレクチャーをいっさいせずに、光の読み方とそれによって現れる色についての講義とデジタルワークフローに焦点が当てられている。個人的にはケミカルワークフローを学ぶよりも、色の関係性や効果的な色の画面配置などを学びたかったので、好ましい方にカリキュラムが移行された。







2009年4月18日土曜日

Scratch Board


絵画の授業で、スクラッチボードの課題が出た。絵画の授業では、描く対象物をほとんど自分で決めることができるので、スティルライフの課題をのぞいて、すべて動物か植物を描くことにしている。


今回のスクラッチボードでは、ハクトウワシを写真で捉えた構図で、そのまま正確に写すことを試みた。下はもとの写真。描いていて意外と足が太いんだな、とか、くちばしの鼻孔の部分はカラスと同じような作りになってるんだな、とか気づくことがあり面白かった。

スクラッチボードではあるけれど、絵画の中で詳細を描き出す苦労をいままで味わったことがなかった。それを描くためには対象に対する深い洞察が必要で、じっくり観察しなくてはならない。写真の中でのワシの羽をそのままスクラッチしてもリアル感は出ない。そのため、ワシの羽がどのように生えていて、どっち向きなのかなどを調べ、考えながら削っていく必要がある。
さらにボケの部分の描写は一番難しい。2Dのなかに3D感を出すためにボケ味の箇所を作ることは、上のような構図の場合は必要で、ボケているのでテキトーに、と安易に削るとなかなかその遠近感が出ない。

フォトグラフィックリアリズムを短時間で求めることが難しいのは当たり前なのかもしれない、と削りながら考えたりした。このワシは、少なくとも5年かかってこの本当のワシとして生きている。5年の歳月を経て創造されたものをたかが4、5時間の授業で同じに表すことなど不可能なのかもしれない。