友人の結婚式で、カメラマンとして参列した。
二人のために写真を残せることへのよろこびと同時に、冬から春にかけてトレーニングをしていた撮影技術を、このときに試せる機会でもあり、緊張した。
何をするにも、あるていど時間をかけて努力したことが、正しかったのかそうではなかったのかを試す、試合は、緊張してしまうものだ。
イリノイで進めていた技術トレーニングは、
利き腕よりも弱い左腕の筋肉トレーニング、
カメラを構えて撮影するまでの時間の短縮、
構図もテーマもシンプルな写真づくり
が、おもな練習だった。
筋トレは、カメラを支えて、1時間しないうちに腕に疲れがきていたために、これが長ダマを抱えたとき、ブレにつながっていたと自分なりに分析した。それを克服すること。
撮影までの時間短縮は、動物の動きに対応し、瞬時に適正露出を得ることを、より確実に、すばやくするため。これには、最適な露出を瞬時に選び出す緊張感も伴うため、カメラボディの各ダイヤル操作、光の読みなど、総合的に効果があると考えられた。
シンプルな写真づくりは、自分の中でテーマを持ち、各写真はそのテーマに沿う、あるいはテーマを強調させる、シンプルなサブテーマで撮っていく。
人を撮影することは、多くの意味で動物とは違う。ということを再認識しておく必要があった。
まず、基本的に式の撮影では、顔の表情が写真のほとんどを決めるということ。
これは動物撮影では、ポートレートを撮る以外に、そこまで意識する必要のないことだ。ここが一点。
物撮りも、忙しい式の中、極力その対象をきれいに、正確に撮ることに集中した。
人は動物よりも、カメラを意識するため、それを避けるように撮るということが、もう一点。
友人ということもあって、この点はだいぶ楽にできたと思う。おそらく参加者のなかで自分が一番緊張していたかもしれない。いい意味で。
他にも、当たり前だが、写真を見る人が人間ということもあり、写真の中の人の挙動が、より細かい次元で認識される。そのため、少しバランスの悪い手足の位置で写し止めた場合に、明らかな違和感として表出するということ。これは、今回撮影していて気付いた。
大きな収穫は、いままでの、撮影枚数に対する技術的な失敗の割合が、かなり減ったということ。
それから一枚の写真にひとつのテーマという、シンプルさの表現にも、考えていたよりも近づいた。これには、対象にあまりにも簡単に近づくことができるために、構図をシンプルにすることが簡単だったということを、忘れない方がいい。
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