2014年2月21日金曜日

厳冬期のマッキンレー


2月17日のマッキンレーを撮影した。


フェアバンクスから小型機(ナバホ)で南下すること約1時間。アラスカ山脈の北側斜面に到達する。2月の厳冬期ではあるが、太陽の日差しはすでに春を感じさせる。




2014年2月2日日曜日

樹氷、再び


先週まで異常にあたたかかったフェアバンクスは、今朝になって、本来の寒さを取り戻してきた。

町の北側にある北方林の朝


2月になって、ずいぶん昼が長くなってきた。つい2週間前までは、朝日からすぐに夕日にかわっていたことを考えると、春も近いのだと感じる。いまの日照時間は7時間。ちなみに2週間前は5時間ほどだった。

昨日から快晴を予想して、今日は日の出前の8時過ぎから撮影にでかけた。

気温が上がり、一度地上に降りて無くなった樹氷の水分も、昨日あたりから冷え込み、再び木々の枝まで運ばれて、またそこで固まった。

もう一度くらい−30度までさがるだろうか。最近のフェアバンクスは5年前に比べるとずいぶん暖かく、冬が短く感じる。






2014年1月10日金曜日

極北のロッジ

明けましておめでとうございます。

オールド・ベテルス・ロッジ

北緯66.5度の北極圏内ある村、ベテルス。
看板には、人口63人と書いてあるけれど、いまは20人ほどしか住んでいない。

今年は、オーロラを見に来たお客さんと、ここで新年を迎えた。
オーロラ観測の穴場として知られるベテルスだけあって、30日31日と大きなオーロラを見ることができ、お客さんもとても喜んでいた。


オーロラロッジ内装

水道水に鉄分が多く含まれているので、慣れない人には大変かもしれない。
滞在中は、昼のアクティビティもあり、スノーモービルや犬ぞりも、有料にて楽しむことができる。



2013年12月9日月曜日

オーロラシーズン



どうやら今年も、春までフェアバンクスで働くことになりそうだ。

ここ最近は、現地の手配会社の方達が協力的で、僕がフォトグラファーとして、ツアーに同行することが増えてきた。今年の一本目もカメラマンとしてオーロラツアーに同行する。記念撮影はないけれど、撮影講習会がある。

デジタルカメラがずいぶん発達している。いまではすべての一眼レフカメラでオーロラを撮ることができる。

僕が写真を撮り始めたのは2003年のカナダへの一人旅のとき。それまでもっていた フィルムカメラを、なんと洗濯機で洗ってしまったために、やむなく買い替えるきっかけを作ってしまい、このときに買ったのが Canon の EOS Kiss Digital だった。データの取り扱いになれていなかったけれど、撮ってすぐ確認という、デジカメの最大の武器を存分に享受していた。

いまはNikonに買い替え、モーション撮影などの「動き」に強い装備でアラスカの動物をメインに撮っている。

オーロラは、動く。けっこう速いと感じるときもあるし、すごい速いと感じるときもある。しかし、オーロラは夜、正確には太陽が出ていない時でないと、肉眼でみれないし、カメラにも写らない。

この「夜に動く」というのが厄介なのだ。撮影には適さない。正直、この動きは写真では表現しきれないと思っている。以前にもこのブログで書いたが、こういう動きのあるオーロラは、肉眼で観賞するに限る。だから僕は、オーロラの撮影は嫌いではないけれど、どうしても見る方に集中したくなる。



←オーロラシーズンなので、左のコラムにそのままオーロラ撮影の基礎を記しておきます。

2013年11月4日月曜日

Ely, Minnesota




Downtown Ely

ひとつの憧れの場所を訪れた。
僕は、だれか有名な人やプロに、習うことはあっても憧れるということは、まずない。



ジム・ブランデンバーグ ギャラリー

このブログを始めた2008年3月の記述の中に、ジム・ブランデンバーグという写真家についてのことを書いた。

このころからずっと憧れていた。なぜオオカミを自分の思うようにとることができるのか。どうしたらそんなに奇麗に撮れてしまうのか。。。5年経った今でも、僕の中でその半分以上は謎に包まれている。

ほかの写真家がどんな手法を使おうとも、誰にも負けないものが、この写真家にある。それは作中にかなりの訴求力を持って現れる、空気の美しさと色グラデーションである。

僕は、いまでもこの人の写真表現というのを参考にしている。この空気感というのは、 じつはジム・ブランデンバーグと一緒に撮影の現場に立っていたとしても、見ることはもちろんできない。かれの審美眼というフィルターを通さない限り見えてこない世界というのがあるのだ。


ギャラリーではとくに目新しいものもなく、驚きはなかった。
それよりも、ギャラリーがそこに存在している事実。そして次の朝、朝日がイーリーの町に差し込んだときに想った、この表現者の郷里に自分が立っているという事実。ここに、なにか奮い立たせられるものがあった。訪れた理由は、それで十分だった。








中間リング テスト撮影


ニコンのレンズ80ー400mmに、ケンコーのエクステンションチューブ36mmを装着してテストした。(エクステンションチューブは、日本ではたいてい中間リングといっていることが多いかもしれない。以下、中間リングとして記述。)

ちなみに中間リングの一般的な使用目的は、最短撮影距離を縮めることでクローズアップ写真を撮るというもの。 


このテストの目的は、望遠レンズに中間リングをつけることにより、今までと異なる写真表現ができるかどうかを模索すること。 できあがりの写真が、中間リングのありとなしで違うことは明らかだが、その表現をつかって、果たして自分の求めるイメージに近づけることができるか。



秋のオークの木がちょうど紅葉していて、ひとときの美しさがあったので、これを対象としてテストしてみた。




今回の対象は植物だが、全体のテーマである生命の循環や成長の力強さのような、言葉では表現できないことについて、 中間リングは、ちいさものに対して、画面いっぱいに写し込めるため、そのちいさな対象を主人公としたストーリーを作ってくことができそうだ。被写界深度がきわめて浅く、ぼけが強調されるため、「やさしい」「やわらかい」「あわい」イメージができやすいかと思うが、動物の子供や、ちいさな生命には使っていけそうである。



念のため、以下に画像クオリティチェック。



左上から、f5.6、右上がf8.0、左下 f11 右下 f16

以前何も付けずに、レンズだけで撮影テストをしたときは、f5.6で全く問題ないと感じたが、中間リングを付けた場合だと、f5.6よりもf8.0のほうが描写力がある。 
ピント幅をはっきり自分の中で把握しきれていないので、もう少し厳密にやる場合には、被写界深度計算を取り入れてくべきだろう。


2013年10月18日金曜日

国際オオカミ会議


 オオカミが日本にいないために、日本では記事にもされないことかもしれない。日本は自国にないもので、関わりが今までほとんどない場合、そのことには関心を示さないという国柄で、他の国に比べてこの特性は特に強いと思う。

Duluth, Minnesota


2013年10月10日から4日間、ミネソタ州ダラスで国際オオカミ会議が開かれた。
僕は最後の一日だけ参加をした。

 オオカミがいまでも日本にいたなら、その日本のオオカミ研究者も日本と海外に当然いるわけで、この動物は間違いなく日本の生態系に重要な役割を果たし続けていたことだろう。もしそうであったなら、今回の国際オオカミ会議で、日本の研究者や組織団体が参加し、もっと日本でも盛り上がったことと思う。ぼくはこの現状を、過ぎ去ったこととして捉えてはいない。


 今回の国際オオカミ会議で、専門家たちが特に注目していたのは、ヨーロッパのオオカミ事情についてだったように思う。そのほか、参加者はやはり米国の方それも中西部から来ている人たちが多かったためか、アイルロイヤル島のオオカミと、ミネソタとウィスコンシンのオオカミをテーマにしたプレゼンに、人々は多く集まっていた。

    最後のIUCNのオオカミ専門家たちの会議を傍聴したが、メキシコでのオオカミ再導入問題よりも、ヨーロッパでのオオカミ管理についての方策を練ることの方が、委員たちの関心を示していたということは、僕にとっては意外だった。これにはもちろん様々な見方がある。メキシコは隣国で、IUCNの方針さえ定まっていれば、具体的にアメリカとメキシコだけで話し合っていけばよいわけで、比較的そういった時間は他で取れる。しかし、今回ほどの大きな国際会議は4年に一度も開かれないので、ヨーロッパの専門家たちと、アメリカ、メキシコを含めた直接の話し合いでは、どうしてもヨーロッパの問題に偏ってしまうのも無理はないかもしれない。

 しかし、ひとつの絶滅した種を補うために、ふたたび近い種を生態系に導入するというテーマよりも、隣り合う国同士がオオカミをどのように、統一した意志を持って管理していくか、というテーマの方が重要視されていたという事実を鑑みると、IUCNという大きな組織自体が、まだ未熟な機関であるというイメージが強かった。

 いずれにせよ、今回の参加は僕にとって非常に有意義だった。オオカミ研究の最高権力者であるデビッド・メッチとルイージ・ボイターニも間近で話を聞くことができた。直接話がしたかったが、実際に彼らの様子と話を聞いていて、僕が話をできる状況にないことはすぐにわかった。かれら研究者を見ることで、オオカミの現状が少しつかめるというのは、すごいことだと思う。今回の参加で、世界のオオカミ事情が漠然と把握することができた。この感覚は、次回プリンスウェールズ島でレイモンドと話をするときにも、必ず持っていなければならない感覚である。