2013年12月9日月曜日
オーロラシーズン
どうやら今年も、春までフェアバンクスで働くことになりそうだ。
ここ最近は、現地の手配会社の方達が協力的で、僕がフォトグラファーとして、ツアーに同行することが増えてきた。今年の一本目もカメラマンとしてオーロラツアーに同行する。記念撮影はないけれど、撮影講習会がある。
デジタルカメラがずいぶん発達している。いまではすべての一眼レフカメラでオーロラを撮ることができる。
僕が写真を撮り始めたのは2003年のカナダへの一人旅のとき。それまでもっていた フィルムカメラを、なんと洗濯機で洗ってしまったために、やむなく買い替えるきっかけを作ってしまい、このときに買ったのが Canon の EOS Kiss Digital だった。データの取り扱いになれていなかったけれど、撮ってすぐ確認という、デジカメの最大の武器を存分に享受していた。
いまはNikonに買い替え、モーション撮影などの「動き」に強い装備でアラスカの動物をメインに撮っている。
オーロラは、動く。けっこう速いと感じるときもあるし、すごい速いと感じるときもある。しかし、オーロラは夜、正確には太陽が出ていない時でないと、肉眼でみれないし、カメラにも写らない。
この「夜に動く」というのが厄介なのだ。撮影には適さない。正直、この動きは写真では表現しきれないと思っている。以前にもこのブログで書いたが、こういう動きのあるオーロラは、肉眼で観賞するに限る。だから僕は、オーロラの撮影は嫌いではないけれど、どうしても見る方に集中したくなる。
←オーロラシーズンなので、左のコラムにそのままオーロラ撮影の基礎を記しておきます。
2013年11月4日月曜日
Ely, Minnesota
Downtown Ely |
ひとつの憧れの場所を訪れた。
僕は、だれか有名な人やプロに、習うことはあっても憧れるということは、まずない。
ジム・ブランデンバーグ ギャラリー |
このブログを始めた2008年3月の記述の中に、ジム・ブランデンバーグという写真家についてのことを書いた。
このころからずっと憧れていた。なぜオオカミを自分の思うようにとることができるのか。どうしたらそんなに奇麗に撮れてしまうのか。。。5年経った今でも、僕の中でその半分以上は謎に包まれている。
ほかの写真家がどんな手法を使おうとも、誰にも負けないものが、この写真家にある。それは作中にかなりの訴求力を持って現れる、空気の美しさと色グラデーションである。
僕は、いまでもこの人の写真表現というのを参考にしている。この空気感というのは、 じつはジム・ブランデンバーグと一緒に撮影の現場に立っていたとしても、見ることはもちろんできない。かれの審美眼というフィルターを通さない限り見えてこない世界というのがあるのだ。
ギャラリーではとくに目新しいものもなく、驚きはなかった。
それよりも、ギャラリーがそこに存在している事実。そして次の朝、朝日がイーリーの町に差し込んだときに想った、この表現者の郷里に自分が立っているという事実。ここに、なにか奮い立たせられるものがあった。訪れた理由は、それで十分だった。
中間リング テスト撮影
ニコンのレンズ80ー400mmに、ケンコーのエクステンションチューブ36mmを装着してテストした。(エクステンションチューブは、日本ではたいてい中間リングといっていることが多いかもしれない。以下、中間リングとして記述。)
ちなみに中間リングの一般的な使用目的は、最短撮影距離を縮めることでクローズアップ写真を撮るというもの。
このテストの目的は、望遠レンズに中間リングをつけることにより、今までと異なる写真表現ができるかどうかを模索すること。 できあがりの写真が、中間リングのありとなしで違うことは明らかだが、その表現をつかって、果たして自分の求めるイメージに近づけることができるか。
秋のオークの木がちょうど紅葉していて、ひとときの美しさがあったので、これを対象としてテストしてみた。
今回の対象は植物だが、全体のテーマである生命の循環や成長の力強さのような、言葉では表現できないことについて、 中間リングは、ちいさものに対して、画面いっぱいに写し込めるため、そのちいさな対象を主人公としたストーリーを作ってくことができそうだ。被写界深度がきわめて浅く、ぼけが強調されるため、「やさしい」「やわらかい」「あわい」イメージができやすいかと思うが、動物の子供や、ちいさな生命には使っていけそうである。
念のため、以下に画像クオリティチェック。
左上から、f5.6、右上がf8.0、左下 f11 右下 f16
以前何も付けずに、レンズだけで撮影テストをしたときは、f5.6で全く問題ないと感じたが、中間リングを付けた場合だと、f5.6よりもf8.0のほうが描写力がある。
ピント幅をはっきり自分の中で把握しきれていないので、もう少し厳密にやる場合には、被写界深度計算を取り入れてくべきだろう。
2013年10月18日金曜日
国際オオカミ会議
オオカミが日本にいないために、日本では記事にもされないことかもしれない。日本は自国にないもので、関わりが今までほとんどない場合、そのことには関心を示さないという国柄で、他の国に比べてこの特性は特に強いと思う。
Duluth, Minnesota |
2013年10月10日から4日間、ミネソタ州ダラスで国際オオカミ会議が開かれた。
僕は最後の一日だけ参加をした。
オオカミがいまでも日本にいたなら、その日本のオオカミ研究者も日本と海外に当然いるわけで、この動物は間違いなく日本の生態系に重要な役割を果たし続けていたことだろう。もしそうであったなら、今回の国際オオカミ会議で、日本の研究者や組織団体が参加し、もっと日本でも盛り上がったことと思う。ぼくはこの現状を、過ぎ去ったこととして捉えてはいない。
今回の国際オオカミ会議で、専門家たちが特に注目していたのは、ヨーロッパのオオカミ事情についてだったように思う。そのほか、参加者はやはり米国の方それも中西部から来ている人たちが多かったためか、アイルロイヤル島のオオカミと、ミネソタとウィスコンシンのオオカミをテーマにしたプレゼンに、人々は多く集まっていた。
最後のIUCNのオオカミ専門家たちの会議を傍聴したが、メキシコでのオオカミ再導入問題よりも、ヨーロッパでのオオカミ管理についての方策を練ることの方が、委員たちの関心を示していたということは、僕にとっては意外だった。これにはもちろん様々な見方がある。メキシコは隣国で、IUCNの方針さえ定まっていれば、具体的にアメリカとメキシコだけで話し合っていけばよいわけで、比較的そういった時間は他で取れる。しかし、今回ほどの大きな国際会議は4年に一度も開かれないので、ヨーロッパの専門家たちと、アメリカ、メキシコを含めた直接の話し合いでは、どうしてもヨーロッパの問題に偏ってしまうのも無理はないかもしれない。
しかし、ひとつの絶滅した種を補うために、ふたたび近い種を生態系に導入するというテーマよりも、隣り合う国同士がオオカミをどのように、統一した意志を持って管理していくか、というテーマの方が重要視されていたという事実を鑑みると、IUCNという大きな組織自体が、まだ未熟な機関であるというイメージが強かった。
いずれにせよ、今回の参加は僕にとって非常に有意義だった。オオカミ研究の最高権力者であるデビッド・メッチとルイージ・ボイターニも間近で話を聞くことができた。直接話がしたかったが、実際に彼らの様子と話を聞いていて、僕が話をできる状況にないことはすぐにわかった。かれら研究者を見ることで、オオカミの現状が少しつかめるというのは、すごいことだと思う。今回の参加で、世界のオオカミ事情が漠然と把握することができた。この感覚は、次回プリンスウェールズ島でレイモンドと話をするときにも、必ず持っていなければならない感覚である。
僕は最後の一日だけ参加をした。
オオカミがいまでも日本にいたなら、その日本のオオカミ研究者も日本と海外に当然いるわけで、この動物は間違いなく日本の生態系に重要な役割を果たし続けていたことだろう。もしそうであったなら、今回の国際オオカミ会議で、日本の研究者や組織団体が参加し、もっと日本でも盛り上がったことと思う。ぼくはこの現状を、過ぎ去ったこととして捉えてはいない。
今回の国際オオカミ会議で、専門家たちが特に注目していたのは、ヨーロッパのオオカミ事情についてだったように思う。そのほか、参加者はやはり米国の方それも中西部から来ている人たちが多かったためか、アイルロイヤル島のオオカミと、ミネソタとウィスコンシンのオオカミをテーマにしたプレゼンに、人々は多く集まっていた。
最後のIUCNのオオカミ専門家たちの会議を傍聴したが、メキシコでのオオカミ再導入問題よりも、ヨーロッパでのオオカミ管理についての方策を練ることの方が、委員たちの関心を示していたということは、僕にとっては意外だった。これにはもちろん様々な見方がある。メキシコは隣国で、IUCNの方針さえ定まっていれば、具体的にアメリカとメキシコだけで話し合っていけばよいわけで、比較的そういった時間は他で取れる。しかし、今回ほどの大きな国際会議は4年に一度も開かれないので、ヨーロッパの専門家たちと、アメリカ、メキシコを含めた直接の話し合いでは、どうしてもヨーロッパの問題に偏ってしまうのも無理はないかもしれない。
しかし、ひとつの絶滅した種を補うために、ふたたび近い種を生態系に導入するというテーマよりも、隣り合う国同士がオオカミをどのように、統一した意志を持って管理していくか、というテーマの方が重要視されていたという事実を鑑みると、IUCNという大きな組織自体が、まだ未熟な機関であるというイメージが強かった。
いずれにせよ、今回の参加は僕にとって非常に有意義だった。オオカミ研究の最高権力者であるデビッド・メッチとルイージ・ボイターニも間近で話を聞くことができた。直接話がしたかったが、実際に彼らの様子と話を聞いていて、僕が話をできる状況にないことはすぐにわかった。かれら研究者を見ることで、オオカミの現状が少しつかめるというのは、すごいことだと思う。今回の参加で、世界のオオカミ事情が漠然と把握することができた。この感覚は、次回プリンスウェールズ島でレイモンドと話をするときにも、必ず持っていなければならない感覚である。
2013年10月16日水曜日
動物撮影時の被写界深度(DOF)についてのメモ
動物撮影において、被写界深度の予測は必要な技術となる。
屋外で、たとえばヘラジカを撮影するとき、ニコンD300(APS-C)、400mmのレンズを使用時、ヘラジカは約10メートルの距離にいると仮定する。f5.6, 400mm で撮影する際に、果たして被写界深度は何センチメートルになるか。そして、なぜこんなことを計算する必要があるのか。
上の条件でピントが合う広さは、たったの14センチメートル |
上の条件で得られる値は、14センチメートル。従って、f5.6では、目にピントを合わせたときに、ヘラジカの顔がややカメラの方を向いているだけで、ヘラジカの鼻はピントから外れる。鼻先がピントから外れたヘラジカのポートレートの写真は、きれいには描写されない。ハイレベルでの写真の仕上がりを意識する場合、絶対にさけて通れないのが、この被写界深度の正確な予測である。
上の条件のとき、計算をしていなければ、鼻にピントが合っていないとは気づかず、撮り直すということをおそらくしない。現像する段階で気がつくという結果になる。ある程度の数値が頭に入っていれば、20メートルの位置までヘラジカから離れて、55センチメートルの被写界深度を得るか。ただし、言うまでもないが、画面内のヘラジカの顔が占める割合は4分の1になる。実際的な場合は、このとき、15メートルくらいの位置まで離れて、f8にすると、44センチメートルの被写界深度を得られるので、そうすることになるだろう。ただし、このとき注意することは、被写界深度の幅の手前から三分の一のところにフォーカスが合うということ。すなわち、44センチメートルの被写界深度のとき、手前から14.5センチメートルのところがピントを実際に合わせるフォーカスポイントとなる。大人のヘラジカの目と鼻の距離は、だいたい35センチメートルなので、鼻から15センチメートルほど離れたところにピントを合わせる必要があるということ。これで、この被写界深度の手前15センチほどにある鼻先と、後方30センチメートル以内にある目にもピントが合うということ。
ちなみに10メートルの距離にまで近づける動物は、ヘラジカのほか、ドールシープやシロイワヤギなどの偶蹄類で、この被写界深度は特に、動物に近づくときに注意を要する。そして、近づいて撮るというときは、たいていポートレート写真だろう。
その他、例えばニコンD300、300mmのレンズで20メートルの近さ、f2.8で撮影するときは、被写界深度は、50センチメートルを確保できるので、顔全体に加えて、角があればそれもフォーカスに入れることができる、という計算ができる。
この被写界深度は、自分で計算しようとすると大変なので、こちらのサイトが活用できる。http://www.dofmaster.com/dofjs.html
自分のカメラボディと、使うレンズの長さ(Focal length)と、絞り値(Selected f-stop)それと被写体とカメラの距離(Subject distance)を入力すれば、被写界深度は自動的に算出される。
プリンス・ウェールズ島での日記 21
7月12日
島に入って22日目
頭を切り替えて、帰る準備をしなければならない。今日は午前10時にキャンプ場にタクシーが迎えにくる。アラスカのひとつの島のキャンプ場に、タクシーを呼ぶというと聞こえは変かもしれないけれど、自転車で港まで、全ての荷物を持っていける距離ではない。移動手段はこれしかないのだ。
明日の朝には港を出て、ケチカンの町へ戻る。ケチカンは人口1万3000人ほどの町だが、ひと月ぶりに、やっと人の住むところへ戻るという気分だ。
今回の旅は、次ぎにくるための下地はできた。最低限の目的も達成した。しかし、やはりオオカミをこの目で見ることができなかったのは、とても残念だ。
プリンス・ウェールズ島での日記 20
7月11日
島に入って21日目
今日も湿地帯を中心に歩いてみたが、オオカミに遭遇することはなかった。レイモンドと一緒に行った、アクティブサイトの西側、Open muskeg と、会話中にでてきた「H」の形をした湖のあたりだ。この湖の中央部には、渡り鳥が休憩できるようなスペースがあり、他の場所ではあまり見られない、険しい岩場も存在する。この岩の下を利用して、動物が巣穴を造っていたが、痕跡からみてもどの動物なのか推測することはできなかった。レイモンドに写真を送って聞いてみよう。
2013年10月7日月曜日
プリンス・ウェールズ島での日記 19
7月10日
島に入って20日目
今日は、この島の滞在で一番の収穫の日になった。なんと、オオカミの巣を発見した。
レイモンドにある程度場所は予想させてもらっていたので、自分で見つけきったとは言えないが、オオカミの巣をこの目で見た。本物の、この島で一番勢力の強いHonker Divide Pack の居城である。それは、想像していた以上に大きく、ひとつの生態系の頂点に立つ哺乳類が、群れで住むに適した立地の条件のように思えた。具体的にどういうことかと言うと、まず、枯渇することの無い水源が、巣から30メートルのところにあり、その周囲は、この群れのためだけに作られた庭園のように、仔たちが遊ぶに十分な広さの開けたスペースがあり、巣の周囲はオープンキャノピーだが、ブルーベリーやアルダー(ハンノキ?)などの低木によって覆われていて安全である。いわゆるこのスペースが、この群れにとっての本当のランデブーサイトである。
巣の中心は小高い丘にあり、数本のシトカスプルースの根本に掘られ、アルファメスが、安全に出産できる、広さ一坪くらいで、深さ40センチくらいの空間がある。いま目の前にあるこの巣穴で、アルファメスは今年も仔を産み、育てたのだ。この中心の巣穴は左右にも出入り口があり、ひとつ穴ではない。また、この穴から3メートル以内に、他の群れのメンバーが入り込める穴が3、4つある。この巣穴のエリアは、先ほどのランデブーサイトよりも10メートルは高い位置にあり、群れのメンバーが、出かけているメンバーと遠吠えによるコミュニケーションで合図を取り合う、ハウリングをする場所としても十分に満足いくようなところである。僕は、オオカミのこの、ハウリングするときに、少しでも高いところに登ってするという行動がとても好きだ。
巣の外観はそんなところだが、マクロな視点で見る、巣のロケーションとしても、無意味にここに巣をかまえたわけではなさそうだ。地図を広げてみると、人間が利用する、道路、林道、キャビンなどが散在するが、この巣の位置は、興味深いことに、どの方角にあるこれらの施設からも、ほぼ等距離にあり、5kmは離れているのだ。そんな理由で、僕がここにたどり着くのが困難であったのだが、大きなオオカミの群れは、やはり人間を避け、深い自然の内部へと入っていかなければならないのだ。
オオカミを見ることはできなかったものの、僕はここまでたどり着いた。着想から5年が経つ。今回のプロジェクトは、実質行動できるのが明日のみとなり、あさっての12日には港へ行き、ケチカンの町に戻る。自分がオオカミという動物に非常な興味を持ち、願わくばそんな自然と関わって仕事がしたいと考えた、21才の図書館でのことを思い出した。様々な意味を含めて、これからのこのウェールズ島でのプロジェクトは、僕にとって重要なものになる。
プリンス・ウェールズ島での日記 18
7月9日
島に入って19日目
レイモンドは、約束の時間を5分過ぎた頃に、笑顔でやってきた。コーヒーを片手に、パークレンジャーの制服を着て、似合わないビジネスバッグを持っていた。このバッグの中にパソコンがあり、すべてのオオカミ研究資料とデータが入っていることを僕は知っている。
レイモンドは自分の車をフィールド調査にも使っていて、なかは調査用の道具でいっぱいだ。ピックアップトラックだが、荷台には罠で捉えたオオカミの検体を運ぶための箱が積んである。かなり大きい。車内には、ラジオ信号を発信し、キャッチする道具とアンテナがある。今日はまずこのアンテナを使って、オオカミの居場所を突止めようということだ。オオカミ側にはラジオカラーといって、信号に反応する首輪が着いている。これは一度捉えられ、レイモンドによってラジオカラーを付けられた個体ということになる。この個体は、実は研究中もっとも興味深い個体として、レイモンドが注目している。
この個体を仮に、チェルシーと名付けよう。チェルシーはメスで、今年仔を4頭産んでいる。ふつうオオカミは、子育てを群れで行うということで知られている。しかし興味深い点は、チェルシーが一人で子育てをしているというのだ。これは自然の摂理の例外で、このようなことが実際にはよく起こっているから面白い。チェルシーは仔が小さいときも、仔を巣穴にのこし、一人で狩り出かけていっていたそうだ。たまに父親と思われるオスが姿を現し、エサをおいて去ってくのだそうだが、本当に時折で、仔が成長していけるだけのものは運んで来ない。こんな状態で、チェルシーは2頭餓死させてしまった。
車を走らせること15分、僕の滞在しているキャンプ場に、知り合いの研究者が研究生を連れて滞在中だということで、オオカミ調査に参加するようだ。レイモンドの知り合いの、このスティーブという学者は、齧歯類研究の中では大変有名な、小型哺乳類の足跡研究(Small animal track research)の権威だそうだ。いまはニューメキシコ大学からはるばるアラスカまで来ている。この研究室の学生3名が同行した。
母親オオカミチェルシーの巣を尋ねた。想像していたオオカミの巣よりも、ずいぶん小振りだ。それもこの小さな母と仔だけの群れのためだろう。レイモンドはしきりにアンテナを様々な方向へ向け、信号を受け取ろうとしているが、反応はない。3日前まではこの付近をうろついていたそうだが、今は近くにいないということだけがわかる。
学生たちも、初めは興味深そうにオオカミの巣を眺めていたが、オオカミそのものが見られないのだとわかると、急に残念そうにしていた。レイモンドと僕は、このあとHonker Divide Pack のテリトリーへ入っていく予定だが、その他の学生たちは、往復17、8kmの調査だと聞いて、彼らのベースキャンプへ戻ると決めた。
レイモンドと僕は、結局この日、オオカミを確認することはできなかった。往復18キロ、7時間ほどの調査。調査と言っても目的の場所に、レイモンドが無人カメラを設置する仕事に、僕が同行したというかたち。この時期は、レイモンドによると、今年生まれた
仔たちはずいぶん育っていて、たいていの群れが、巣からはなれて行動範囲を広げているため、目撃するのは難しい時期だと言っている。やはり、設定したスケジュールでは、遅かったのだろうか。。。
調査同行中には、レイモンドがオオカミを良く見かけるという場所へ連れて行ってくれた。そこは、僕が予想していた鬱蒼とした森の中ではなく、オープンマスケグ(Open muskeg)という湖沼地帯であった。水分が多く、土壌がスポンジのように柔らかすぎるために、大きな木が育たない。成長しても倒れてしまうらしく、実際枯れた倒木も所々見受けられた。このような少し開けた見晴らしの良いところで、オオカミは昼の間よくくつろいでいることがあると言う。僕が見つけたオオカミの痕跡や、子鹿の死骸もこのような地帯の近くであったことを思い出した。オオカミがシカを狩るのも、森の中よりもオープンマスケグでの方が多いそうだ。この地域一体を歩いていると、確かにシカを頻繁に見る。シカも地面に生えたやわらかい草が食べやすいのだろう。このプリンスウェールズ島の森林分布地図というものもあって、それを見ると、黄色く色分けされているエリアが、このマスケグエリアを示している。
今日見られなかったからと言って、残りの3日間をあきらめるわけにはいかない。。。確実にオオカミのテリトリーの中心には近づいている。それにしても、巣を見つけるということがここまで大変だとは思わなかった。まだまだ歩き回らなければならない。ここで見つけられずに、来年また訪れて見つけられるとは限らない。
プリンス・ウェールズ島での日記 17
7月8日
島に入って18日目
久しぶりに朝から強い雨が降っている。霧雨のように しとしと と降り続けるのは南東アラスカらしいと感じる。しかし、時折強くなり、テントの上のブルーシートに音を立てて落ちはじめれば、僕は外へ出たくなくなる。今日は休日と決めていたので、テントでゆっくり過ごすつもりだが、雨のせいで湿度が高く、本やその他の書類、ペーパータオル、衣類など全てが水分を吸収し、体もべたつく。気温は15度くらいだから、暑さは無い。
さて、きのう歩いたときに見つけたのは、オオカミがテリトリーの中心に示す(Sent post としての)糞、たくさんの足跡、ランデブーサイトと思われるところを2カ所、それから新鮮なWolf kill (今回は仔ジカ)だった。今までで一日としては、最も多くの痕跡を見つけたことになる。これは、やはりオオカミの巣の近くを歩いた結果だろう。
途中3つの、巣らしき穴を発見したが、どれもタテ:35センチ、ヨコ:25センチくらいのオオカミの巣穴としては小さいものであった。さらに、それが巣であるなら、今年使っていることになるので、もっと周囲にアクティブで新鮮な痕跡が見つかるだろう。これらは、素人から見てもオオカミのものではないと判断できた。おそらくマーティンのものだろう。結局きのうも巣を見つけることはできなかった。
明日、ついにレイモンドとオオカミ調査に出かける。巣の位置は教えてくれないだろうけれど、ここで得られる情報は、大変貴重なものとなるだろう。その他、できる限りの質問をし、今後に役立てたい。しかし、なんとしてもオオカミをこの目で見たい。そして願わくば、写真を撮ることができれば、今回の撮影行は成功となり、次回からのプロジェクトのモチベーションともなろう。
プリンス・ウェールズ島での日記 16
7月7日
島に入って17日目
ひどく疲れた。Honker Divide Pack は間違いなく僕から避けた。
朝6時に出発して、19時30分にキャンプに戻った。途中、5分休憩を4、5回とった以外、ひたすら歩き続けた。Honker Divide Pack のさまざまな痕跡を見つけることに成功した。続きは明日書くことにしよう。
2013年10月6日日曜日
プリンス・ウェールズ島での日記 15
7月6日
島に入って16日目
ひとつ別のルートを発見した。地図を見続けること2時間。Honker Divide Pack のテリトリーの中心への、より近いルートをみつけた。このように、地図をよく眺めることは、撮影行には欠かせない。事前の島へ出かける前にアンカレッジでもよく地図を見ていたのだが、実際に現地に到着してから眺めるのとでは、予測の深さが違う。そのため撮影行の途中時間があれば、できるだけ周辺環境を把握するよう努める。とくにはじめての場所での場合はなおさらだ。
実は2日前、レイモンドにあったときにHonker Divide Pack についての詳細を尋ねた。そのときに巣の一を大まかに指差したので、これを見逃さなかった。研究書の内容とは異なり、今年、Honker Divide Pack は、なんと原生林の中に巣をかまえていない。レイモンドの人差し指は、ちいさな湖の辺りで円を描いた。...池から100メートル以内として、ビーバーの巣がまずこの池にはあるだろうな。僕の頭の中は研究書で固められていた。
プリンス・ウェールズ島での日記 14
7月5日
島に入って15日目
今日は、独立記念日と週末の間の平日なので、クレイグの町にある、公共の図書館が開いているはずだった。そのため、キャンプ場からクレイグまでタクシーにして、帰りは4時間の自転車の旅とした。ことは全てスムーズに済ませることができた。図書館は予想どおり開いていて、メールチェックができ、銀行口座の確認、食糧調達、洗濯にシャワーを浴びることもできた。こんな日常の雑事が、撮影の行程中はふつうできない。
帰りはじめるのが17時を回ってしまったため、自転車での帰りを少し急ぐ必要があった。途中、80年代に切られた山や、今もアラスカでいちばんの木材産出を誇っている木材工場、Viking Lumber. Co. で写真を撮った。
町までのタクシーは、またデールさん(ここの島の面積は広くても、いかに発展途上で人口が少ないかわかる)。またいろんな話をした。彼がこの島に来た88年以降、携わった道路工事では、山を上から削り、爆発物を使って山を破壊し、道路をつくった。主要な町と町を結ぶ時、途中にある自然を少なからず破壊するのは、残念だが当たり前のことである。「おかげで今では、スムーズに他の町へ移動ができる。」デールさんは、仕事で北のコフマンコーブと言う港町へよく出かけるので、とても楽になったのだろう。彼は現在の州知事、ショーンパーネルを讃えている。前回知事のサラペイリンに比べ、ローカル産業の活性化に力を注ぎ、この島での雇用増進も進めている。TLMP(Tongass Land Management Plan)というトンガス国有林での森林管理規定を更新し、新たに林業に力を入れる。林業に力を入れるというのは、言い方を変えれば、森を破壊することを進めていくということ。このデールさんの意見は、とても興味深かった。
自分がこれから行おうとしていることは、部外者にして「島の発展=デールさんたち町の人の、豊かな暮らし」を抑制する動きをするということ。
この質問は、来週レイモンドに会うときにもしてみようと思う。おそらく立場がちがので、明らかに180度違う答えが予想できるが、答える内容に興味がある。
2013年10月3日木曜日
プリンス・ウェールズ島での日記 13
7月4日
島に入って14日目
時に考えや思いなどは、高まると、自分のそのときの意思とは無関係に作用するときがあると時折感じることがある。すでにそういうことになる以前に、そのアイデアとなるものは、細分化され、煮詰められ、十分に熟成されていることを条件に発生する。
なぜかこういうことは、一夜漬けのアイデアではうまく行かず、言葉にしても、伝える側がいる場合に、その言葉は相手の根底にまでたどり着かない。きのう僕が夢中で話し始めた時、アイデアの材料となる論文は、すべて頭の中にあり、それを自分の言葉として話していた。「22個あるオオカミの巣は、すべてオールドグロースにある。Honker Divide のテリトリーの中心にはその主要な森林帯が無いが、一体彼らはどこに巣をかまえているのか。」
レイモンドは、おそらくオオカミ研究者と話をしていた感覚だったろうと思う。とても具体的な話をした。後半は話が発展して、日本にオオカミが棲息を再開することになる場合、この島のオオカミたちが、日本の生態系に適合するのではないかとか、トラップの方法は改良されて、毛をサンプルとしているが、これはオオカミが通り過ぎたり、地中に埋めてあるトラップを掘り出したときに、毛や皮膚がトラップに残るようになっていて、あとでDNA鑑定により同定するなどの、詳しい研究方法まで話が及んだ。そして僕は、「Do I have a chance to go to the field with you? (あなた方と一緒にフィールドに出かけることは可能だろうか?)」とたずねていた。レイモンドは快く返事をしてくれた。そしてすぐにスケジューリングしてくれて、当日同伴するであろう人と電話で話をしていた。
プリンス・ウェールズ島での日記 12
7月3日
島に入って13日目
朝5時に起き、長い一日であった。キャビン最終日であったため、荷物を片付け、北のベースキャンプまで戻る必要があった。その行程は5時間。森、川、ログジャムのなかを歩くのはさすがにしんどい。キャビン滞在のときのオオカミ調査とは違い、湖の右の岸(東)を歩くのだが、多少Wolf kill と思われる、オグロジカの骨は散在するものの、これと言って明確なサインは見当たらない。やはり左岸(西側)がアクティブエリアであるのは間違いなさそうだ。そんな調べをすすめながら黙々と歩いた。来るときよりも食糧分の重量が軽くなっていて、結局は1.5時間ほど早く、ベースキャンプへ到着した。7日間もテントを放置したのははじめてだったが、動物があらしたあとも、誰かが来ていじくり回したあとも見られず安心した。このところ天気もよく、ほとんどの日には雨がぱらつくものの、8日間のうち、5日は晴れだったと言って良い。これは南東アラスカにおいては珍しいことだろう。
ブッシュについた朝露でびしょ濡れになった服を着替え、軽食をとり、顔を荒いひげを剃った。7日ぶりだったので、とてもさっぱりした。疲れていたが、これにより気分を変えて、すぐに移動の準備をした。タクシーがここから3kmのところに午後1時に来ることになっている。
タクシードライバーのデールさんは、今日は息子さんと奥さんを乗せている。僕をピックアップする前に、コフマンコーブの町で仕事をした帰りらしい。僕は今回の旅で、特にこの島での移動や情報収集の不便さに困惑していたので、生活のことや町の人の話などをした。
この7日間でオオカミの決定的なものを写真におさえることができなかったので、どうしても Thornebay の町にあるレンジャーステーションへ行く必要があった。何かしら手がかりを得られるかもしれない可能性に賭けた。オフィスに到着したのが午後2時20分、あと10分で今日は閉まるところだった。
本当に運河よかったとしか言いようが無いが、このオフィスに、僕が研究していた論文、「アレキサンダー諸島のオオカミ」を書いた人物のフィールドパートナーがいた。フィールドパートナーとは、論文研究をデスクでする人の補佐役で、実際に野外に出て調査に当たる人のことで、研究者よりも、このフィールドパートナーのほうが、実際の動物の生態には詳しかったりする。そのフィールドワーカーの名前は、レイモンド。ナショナルフォレスト(USDA Forest Service)の職員だ。彼は論文の著者、David Person とともにこの島のオオカミを研究している。彼は、もとはマーティンのトラップを仕掛け、その個体数調査などをしていたのだが、そのトラップ技術の高さが認められ、オオカミのためのトラップに力を注いでくれという依頼があり、それ以降、オオカミ研究に従事している。年齢は35くらい。もともとオオカミに興味があったわけではないが、関わり、勉強していく中で、これほど生態系に重要な役割を果たす生物は他にいないと確信したという。いまでは、このプリンスウェールズのオオカミの重要性を、共同研究によって証明し、人々に伝えたいという思いで仕事をしている。
このような経緯を知り、僕は夢中になって話を始めていた。気付いたら2時間が経っていて、7月9日に8:30amから一緒にオオカミ調査に行こうということになっていた。
プリンス・ウェールズ島での日記 11
7月2日
島に入って12日目
湖の南側半分の左岸を調べて歩いた。興味深かったのは、キャビンのちょうど対岸辺りから、南側の湖岸沿いには、オオカミの痕跡が一切見当たらないこと。少なくとも糞や毛であれば、1年から2年、シカの骨となれば10年くらいは残りそうなものだが、全く見つからないということは、この近辺がオオカミのhabitat use ではないと考えられる。
早くもキャビン滞在最終日の前日となった。。この一週間のうち、湖を中心に歩き回ったが、オオカミの巣を見つけることはできなかった。ただし、オオカミの遠吠えを聞き、オオカミの生活の痕跡を見て、この付近にオオカミが棲息していることを確認した。2013年のこの夏は、僕にとってプリンスウェールズ島研究の初めの年に過ぎないのかもしれない。このあと、もう一週間、島での滞在が残っているので、引き続きオオカミ情報を追ってみる。
プリンス・ウェールズ島での日記 10
7月1日
島に入って11日目
結果から言えば、オオカミのテリトリーの広さを思い知らされた、というのみ。川沿いに歩いてみると、Wolf kill や、休憩所などが至る所で見つかり、この意味では、僕が歩いた川沿いは、テリトリーのエッジの部分であるという見方もできる。ここを手がかりに巣を突止めるのは、やり方を慎重に検討しなおす必要がありそうだ。
プリンス・ウェールズ島での日記 9
6月30日
島に入って10日目
今日は昨日見つけたランデブーサイトから陸側、つまり山の方へ調べを進めた。プリンスウィリアム森林マップによると、このランデブーサイトは原生林内、しかもクローズドキャノピー(樹冠が覆われて空が見えず、直射日光も注がない森林帯)にある。ここから北側の川沿いのエリアと、すこしseral forest (まだ原生林までに遷移していない森)をはさんで西側の原生林がある。
この夏の時期はオグロジカは、大きく分けて2つのグループに分かれる。決して彼らは群れるわけではないが、標高の高いところへ移動するタイプと、標高が低いが水源に近いエリアを徘徊するタイプとがある。
今日歩いたエリアは、標高で言うと湖が2mのところから、250mほどの、この辺り一帯ではかなりの勾配のある斜面のところを登った。けもの道を調べてみると、ほとんどがオグロジカのもので、オオカミの足跡やサインは特に見つからなかった。夕暮れにもう一カ所、湖の対岸を調べてみよう。
これは僕の予想にすぎないが、このHonker Divide の群れは、かなり極端に水源を好むのではないかと思った。それというのも、ランデブーサイトは湖岸にあり、23日にもこの北の川沿いに休憩する場所があったからだ。遠吠えを聞いたときも湖からさほど離れていないところだった。これらのことが、感覚的に僕には、湖岸にすむオオカミ群と思えてならなかった。今日山側から調べを進めたのも、これを確かめるためであり、山側にはオオカミの痕跡は一切見られなかった。夕暮れに歩いた湖岸沿いには、ランデブーサイトから200m、400mあたりにWolf kill (オオカミに仕留められ、食べられたシカなどの獲物の残骸)が見つかり、この考えを一層強くした。明日に向かうランデブーサイト北側の川沿い周辺で、よりアクティブなサインが見つかることを期待する。
プリンス・ウェールズ島での日記 8
6月29日
島に入って9日目
今日はRendezvous site (ランデブー・サイト)かその痕跡であった場所を見つけた。学者のIan McAllister によれば、ランデブーサイトは巣から300m以内にあり、たいていのパックにおいて、子育てシーズン(4−7月下旬)は巣とこのサイトを行き来するという。この学者も、アレキサンダーオオカミと近種のカナダコースタルオオカミの研究をしており、このプリンスウイリアムのオオカミに近い生態をもつと考えられている。23日にも一カ所、ランデブーサイトとは言えないが、オオカミが確実に休憩したであろう場所を見つけた。そこは今日の場所から1kmほど離れたところにある。この場所も、David Person の研究書によれば、Honker Divide Pack のテリトリー内であるため、この二カ所の周辺を探っていこうと思う。
プリンス・ウェールズ島での日記 7
6月28日
島に入って8日目
この湖には、多くの渡り鳥も飛来してくるようだ。昨晩、ハシグロアビを撮り、今日はカワアイサの親子を遠くに見た。また、警戒心の強いオオハム(Red-throated loon)もみかける。
今日のエクスカージョンは、地図上の原生林を求めて歩いたが、そこは既にオールドグロース(原生林)ではなく、オオカミが巣を作るような場所ではなかった。
ところで現在購入できる、アメリカの地図は、そのほとんどが1950年前後に作られており、60年も経つ。等高線にほとんど変化は無いものの、水域、森林地帯が色分けされたものは、ほとんど役に立たないと考えていい。たとえば、小川にビーバーが巣を作り、ダムを造りはじめると、瞬く間にその周囲の地形や植生は変化する。
疲れがいつもに比べて残るのは、キャビンの中にいながら、熟睡できないためだろう。蚊が多いことと、日が長く24時でもうっすら明るいのが原因かと思われる。
一カ所、今日動物が休憩しそうな場所を見つけた。そこら周辺はまず間違いなくシカの毛が落ちていて、彼らがどっかり腰を落ち着けるような場所ではあったかが、念のため、ミシン糸トラップを仕掛けた。このトラップは、目的とする動物により作りかえる必要がある。その特定の動物が通ると、ミシン糸が落ちる仕組みになっていて、とてもシンプルなものだが、僕はまだこのトラップは素人同然である。
プリンス・ウェールズ島での日記 6
6月27日
島に入って7日目
このキャビンでの目的は、
①オオカミの存在を確認すること。
②オオカミを撮ること。
③オオカミの巣を見つけること。
これらを達成するための行動計画をたててみた。
4:00 起床 skiff ボートで湖の中央へ行き、湖岸全体を監視する。湖に出てきたところを確認できるかもしれないからだ。
これを6:30までおこなう。
7:00 朝食
8:00 巣やオオカミの痕跡を見つけるための調査
11:30 昼食(午前の調査が、少し遠いところへ出かける場合は、行動食)
16:00 キャビンで行動範囲と結果の記録、夕食準備と明日の準備
18:00 夕食
19:00 湖岸全体の監視
21:00 キャビンへ戻り、読書、考察。23:00までに就寝
このような動きに設定するのも、オオカミが、まず朝方と夕暮れ時、他のどの夜行性の動物とも同じように、夜中の次に動きが活発になるからである。また、昼にオオカミが寝ていたり、休んだりして仔たちと遊んでいるようなときに、この6月下旬は、まだ巣の付近にいる可能性が高いため、巣を探すのは、朝夕よりも昼の方が良いと思われる。
そして今日は、なんとオオカミの遠吠えを聞いた!
今までではじめての経験だ。本当にここにはオオカミがいる。早くも目的のひとつを達成できた。オオカミの存在を確認した。
8:30pm まずキャビンから東に、ちいさな丘が見える。そこあたりから、一頭が遠吠えをした。それに答えるかのようにして、すこし南の方角から別の一頭が吠え、それが何度か続いた。8:45pmにふたたび声を聞いたが、このときは東の丘から2、3頭で遠吠えをするのを聞いた。8:30pmの時点での合図は、比較的まだ時期は早いのだが、狩りのための招集の合図かもしれない。または、巣に戻ってくるよう呼びかける合図かもしれない。ただ、ここで僕は想像を膨らませることしかできなかった。
2013年10月2日水曜日
プリンス・ウェールズ島での日記 5
6月26日
島に入って6日目
Honker cabin に到着できた。地図上で見ると、スタート地点からは直線距離にして5kmなのだが、鬱蒼と茂る藪や谷と川、また今回は特に倒木に行く手を阻まれ、結局午前9時に出発し、着いたのが午後4時。7時間もかかってしまった。背負う荷物の重量は30kg近くあり、これも疲れを倍にした。しかし、キャビンが見えたときは、やっとここで7日間オオカミの研究調査ができると思い、晴れた気分であった。
この付近の木々は、シトカスプルース、西洋ツガ、レッドシダー(このThuja plicataはアラスカの本土にはない)、アラスカシダー(Chamaecyparis nootkatensis)これらがほとんどを占める。中でも原生林に入り、樹幹の直径が150cm以上ある木を見ると、そのほとんどが杉の仲間、つまりレッドシダーとアラスカシダーのようである。これらの木々はもちろん整列しているわけではない。あらゆる要素、地形、緯度、気候、方角、周囲の植物との相関関係により、人間には予測ができない、限りなく無秩序に近い秩序のもとに乱立している。
しかし、長く歩いてみると、水と光ということをキーワードに、ある法則があるように思う。しかもこの水源が地表に露出しているところ、つまり湖、池、川、沼地の近くでは、スカンクキャベツやシダ類、そしてこれらはクローズドキャノピー(空が木々に覆われて閉じられており、直射日光が地面に注がない森林のこと)の中であり、光が極めて届きにくい、制限あるところで繁茂している。池や沼では、その水域の広さが広がるほど、その岸辺は必ず日が射し込むところとなり、スカンクキャベツやシダ類から、スゲ類にとってかわる。水源が地表に出ておらず、地下を流れる場合、その地表からの水源の深さと木々の高さは、必ずしも比例しているとは言えないが、少しの相関はありそうである。
今日歩きを阻まれた低木類についても、少し記述しておく必要がある。この周辺のアンダーストーリーの薮には、いくつかのブルーベリーとrusty menzesia 、サーモンベリー、そしてハイキングのときにはとても厄介な、デビルズクラブ(ハリブキ)が存在する。このハリブキは、ちなみに、棘があるために触れられないにもかかわらず、倒木が多い斜面や、川岸で滑りやすそうな石の隙間から生えていることが多い。僕は何度かこれをつかんでしまったことがあるが、あまり思い出したくもない。このハリブキの樹皮は、とても滑りやすい。これを靴でかき分けて、踏み倒しながら進むしか他に方法がないときは、注意を要する。このことも、ハリブキが厄介な植物と言われている理由のひとつであろう。
6月末現在のプリンスオブウェールズでは、アーリーブルーベリーは実をつけ始めていて、先端の方の、実が直径1cm以上あるものであれば、食べられるほどに熟している。このブルーベリーの薮は、歩いているととても邪魔になるのだが、途中の休憩につまんで頬張るととても疲れが癒された気分になる。そんなあとに、この木を見ると、あたかも手のひらの上に1粒の実をのせて、「どうぞ、お召し上がりください」と差し出しているように見えることがある。どうもこれは人間の都合の解釈だが、あちらも利益があるわけで、これもひとつの取り引きなのだと思うと、自然はとても面白い。
2013年8月19日月曜日
プリンス・ウェールズ島での日記 4
6月25日
島に入って5日目
タクシードライバーとの出会い
出会ったタクシードライバーのデールさん(80)は1933年生まれ。1988年にこの島にやってきた。もとはOregon州で働いていた。なぜ移り住んだのかは、具体的に話さなかったけれど、Oregonでも、このプリンス・ウェールズ島でも15年前リタイアするまで、Lumberjack 関係で働いていた。今、Klawock で一緒に住んでいる奥さんとは、たぶんこの島で出会ったのだろう。奥さんはアラスカのReal estate の仕事をしていたと言っていた。
彼が1988年に来たときには、この島の森が、ちょうど注目されていた時で、Thorn bayには、当時世界でいちばん大きなLumberjackの会社があり、道路はまだ舗装されていないにもかかわらず、たくさんのトラックが砂煙を上げながら、島を行き来していたという。それから25年が経ち、今あるViking Lumber .co がトラックでときおり木材を運んでいる。そこに積まれる木々はとても細く、年を経るにつれ年々細くなっているそうだ。デールさんはこの会社でも働いていたが、チェーンソーの使い過ぎにより、耳を悪くしてしまっていた。
昔は原生林を切っていたが、いまではかなり少なくなり、道路をさらに拡張していかなければ、残された原生林に到達できない状況になっている。そして、二次林の森からも切り始めているために、木々が細いことがわかる。デールさんは、この森の見方を、簡単に教えてくれた。
島に入って5日目
タクシードライバーとの出会い
出会ったタクシードライバーのデールさん(80)は1933年生まれ。1988年にこの島にやってきた。もとはOregon州で働いていた。なぜ移り住んだのかは、具体的に話さなかったけれど、Oregonでも、このプリンス・ウェールズ島でも15年前リタイアするまで、Lumberjack 関係で働いていた。今、Klawock で一緒に住んでいる奥さんとは、たぶんこの島で出会ったのだろう。奥さんはアラスカのReal estate の仕事をしていたと言っていた。
彼が1988年に来たときには、この島の森が、ちょうど注目されていた時で、Thorn bayには、当時世界でいちばん大きなLumberjackの会社があり、道路はまだ舗装されていないにもかかわらず、たくさんのトラックが砂煙を上げながら、島を行き来していたという。それから25年が経ち、今あるViking Lumber .co がトラックでときおり木材を運んでいる。そこに積まれる木々はとても細く、年を経るにつれ年々細くなっているそうだ。デールさんはこの会社でも働いていたが、チェーンソーの使い過ぎにより、耳を悪くしてしまっていた。
昔は原生林を切っていたが、いまではかなり少なくなり、道路をさらに拡張していかなければ、残された原生林に到達できない状況になっている。そして、二次林の森からも切り始めているために、木々が細いことがわかる。デールさんは、この森の見方を、簡単に教えてくれた。
2013年7月29日月曜日
プリンス・ウェールズ島での日記 3
6月24日
島に入って4日目
Craig の Public library や、町のスーパーマーケットへの往復で、雑事に追われた。やはり、日頃からWi-Fiや携帯に慣れていると、突然使えなくなったときに躊躇する。
今日は車をHollis へ戻し、明日から車無しの旅となる。道中では、子鹿を2頭見た。親も近くにいただろうが、道路の脇までは出ていなかった。
タクシー予約
July 3rd 1PM at 5 mile Luck Lake Road
プリンス・ウェールズ島での日記 2
6月23日
島に入って3日目
今日はオオカミの痕跡を見つけた。確かなことが言えないが、おそらく食した後のシカの毛と、その骨と、彼らの毛である。まちがいなく、この周辺でオオカミは生活をしている!
判断:自分の所持金を見て、余裕があとどれくらいあるかを見て、また、体力も考えて総合判断を下す。
1.Thorne bay レンジャーステーションにて、Honker Cabin へのアプローチを考える。道路、どこまで続いているか。GPS, キャビン周りのトレイル
キャビンにオールとボートはあるか。カギは付いているか。
2.Craig Taxi が、Coffmancove まで来てくれるか。自転車を積めるか。Luck Lake の方向まで行ってくれるか。
3.Hollis Adventure Rental にTel
Honker Cabin へ持っていくもの。
カメラ機材、予備バッテリー2セット、食器、食糧6日分(カレー粉x3、米12合、ふりかけ)、フィルター、水、バーナー、マッチ、ペーパータオル、弁当箱、衣類(靴下x3、シャツ3、ロンT2、パンツ予備、レインウェア)、寝袋、マット
2013年7月24日水曜日
プリンス・ウェールズ島での日記 1
6月22日
島に入って2日目
車をレンタルしたことにより、行動範囲が広がった。ホリスから入り、クレイグ、ソーンベイ、クロワックの3つの町と、イーグルネスト・キャンプ場、ボールレイク・ピクニックエリア、グラヴィー川ピクニックエリアなど、これから利用していくポイントをまわった。この島の中央部の主要な町の規模、そして各町を結ぶ道路の状況と距離感をつかむことができ、明日以降を有効に動いていけそうだ。明日はいよいよ、Honker divide にあるキャビンを探す。
グラヴィー川ピクニックエリアでは、Sitka black-tailed deer に間近で遭遇した。彼らの性質は、よく観察していた White-tailed deer のそれとかわらない。ゆっくり時間をかけて近づけば、十分に写真を撮らせてもらえる。
日没は9:40くらい。先ほど日が沈んだことになるが、曇っていてその光の良い時間帯を見ることができない。東南アラスカでは、まずこのチャンスは少ないだろう。道端にシカの、車轢による死体がころがっていたため、その場に留まることにした。はやくも、ハクトウワシがその体をついばんでいた。もしかしたらオオカミが現れるかもしれない!もし現れなければ、巣は近くにはないか、あるいはまだ巣を離れていないと考えることができるかもしれない。
島に入って2日目
車をレンタルしたことにより、行動範囲が広がった。ホリスから入り、クレイグ、ソーンベイ、クロワックの3つの町と、イーグルネスト・キャンプ場、ボールレイク・ピクニックエリア、グラヴィー川ピクニックエリアなど、これから利用していくポイントをまわった。この島の中央部の主要な町の規模、そして各町を結ぶ道路の状況と距離感をつかむことができ、明日以降を有効に動いていけそうだ。明日はいよいよ、Honker divide にあるキャビンを探す。
グラヴィー川ピクニックエリアでは、Sitka black-tailed deer に間近で遭遇した。彼らの性質は、よく観察していた White-tailed deer のそれとかわらない。ゆっくり時間をかけて近づけば、十分に写真を撮らせてもらえる。
日没は9:40くらい。先ほど日が沈んだことになるが、曇っていてその光の良い時間帯を見ることができない。東南アラスカでは、まずこのチャンスは少ないだろう。道端にシカの、車轢による死体がころがっていたため、その場に留まることにした。はやくも、ハクトウワシがその体をついばんでいた。もしかしたらオオカミが現れるかもしれない!もし現れなければ、巣は近くにはないか、あるいはまだ巣を離れていないと考えることができるかもしれない。
2013年7月18日木曜日
撮影プロジェクト 第一回終了
主要な町、クレイグの港 |
昨日、一ヶ月間の撮影行を終了し、アンカレッジに戻った。
今回の撮影は、アラスカ州のウェールズ島という島の、自然を主体とした撮影に加え、人の営みにも注目した撮影を続けていた。
以前(2013年3月5日)の投稿に構想を記したように、今回のプロジェクトのいちばんの目的は、この島のオオカミの謎にせまることにあった。島での滞在は20日間。おそらく、ある程度予想していたとおり、5、6年は少なくともかかるプロジェクトになりそうだ。第一年目としては、オオカミの撮影には失敗したものの、かなりの情報と次回のための土台が固まった。
次からの投稿では、僕が過ごしたこの島で、毎日書いていた日記を取りあげていく。
2013年6月14日金曜日
ものづくりの姿勢
緑に覆われる朝日とオジロジカ |
ある本を読んで、自分の辿っている方向性を考えさせられた。去年のことである。その本の著者は、ものを作る人間は、二つのどちらかの道があると言っており、
ひとつは、自分の思いを主体にして、つくりたいものをつくる生き方。自分の価値観や信念にしたがって、自分自身が満足いくものを追い求める。これは採算や生産は度外視することになる。
もうひとつは、自分を社会の一員として位置づけてものづくりをしていくという在り方。需要と供給を意識し、今自分は、何を求められているかを見据えた中に身を置く。これは何をするにも商業ベースで考えていくことになる。
どちらも、いいものをつくりたいという気持ちは同じで、要は、何に価値と意義を感じて生きていくかの違いだと言っている。このことは、僕が出会う写真家皆が意識していて、僕も知っていた。
果たして僕の考えはそのどちらかと言うと、前者であった。しかし残念なことに、自然写真というものを続けていく限り、また、自分の満足する物を追求していく限り、食べていけなければその活動は停滞することを、言葉ではなく実体験として経験している。だから、本当を言うと、この前者と後者の間で、合理的な解決策が見当たらず、3年ほど揺れ動いていたと言っていいかもしれない。(このような自分の中の、悟りに近い、深い決断には、合理的という言葉は無意味かもしれない・・・)
いまは考えが決まっており、バランスがとれつつある。食べていくために、全く違うことも並行して続けていくということは、自分の性分ではないので、なんとか自分の創作活動にもつながるお金の稼ぎ方をしている。
かんたんに分けると、上で言う前者としての撮影活動と、後者に当てる北方の自然を主体とした観光ガイド・撮影ツアー・写真の販売ということになる。
写真家の中には、完全に二者を分け、全く写真と関係ないことをして稼ぎ、時間と金をみつけては撮影に出かける者もいる。また、撮影にほとんどお金をかけないでも、身近に撮影対象を見つけ、立派な仕事をしている写真家もいる。
すべての道を、自分ひとつの体で歩いていくことはできない。自分のスタンスを固める必要があるのだ。僕は昨年そのことにようやく気がつき、あらためて活動を開始したという次第である。
2013年6月4日火曜日
写真の編集
おととし撮影した写真を編集してみた。
下の白頭鷲の写真は、撮影したときのトーンを保つように以前の写真も参考にし、より親子の白頭鷲という主題をハッキリさせるために、思い切ってトリミングをした。
撮影後、半年以上経過している写真を現像するとき、注意しなければならないことがある。
ひとつは、トーンが前と変わってしまうということ。
新鮮な感覚で写真をとらえることができる反面、撮影したときの空気感を、ほぼ完全に忘れているために、以前撮影後にすぐ現像・編集した連作として扱うべきカットとのトーンが変わる。特に露出とホワイトバランスは、以前の編集後の写真を見ながらでないと明るさと色が大きく変わる危険がある。これをそのまま扱うのであれば、違うトーンの写真は別のフォルダに保存するなどして区別しておかないと、いつまでもバラバラなイメージしか仕上がらないという気がする。
下のクロクマの写真は、以前撮影後に編集したときのホワイトバランスが、間違っていたために、そこを調整して、クロクマの毛の青黒い実際の色を意識して現像してみた。いずれにせよ、このトーンは以前の仕上がりと違うので、以前の写真とは並べることはできない。
下のミノ虫の写真は、ジム・ブランデンバーグなど、自然写真をアートととらえる系譜の写真家の写真を参考に現像したもの。僕の構想としては、このような綺麗な自然の部分もとらえ続けていく必要があると感じていて、それは自然に興味を抱く説得力を増すことができると信じているため。上の2枚の写真群とは方向が異なってくるため、一連で織り交ぜていくためにはその表現の方法を考えていく必要がある。
現像の際に注意すべきもうひとつは、トリミングをしたときの写真データの損失を意識しておくこと。
同じ写真でトリミングを思い切ってしたとき、これがいい写真に仕上がったとしてもプリントサイズに限界があるため、データが小さいということを忘れないように明記しておく必要がある。とにかく写真の量が多くなってきているので、写真データの管理にも意識を傾注していかなければならない。
まとめると、一枚ずつ選んでランダムに編集するとき、その写真の何を強調して、その後どうしたいのかを明確にしておかないと、現像して写真を仕上げるだけ無駄になる。なにか実験的に検証するのであれば別だが、いつも違う現像・編集方針でやっていても何も生まれないだろうということ。たぶん、今の自分にとってはここをハッキリさせていく必要がある。
下の白頭鷲の写真は、撮影したときのトーンを保つように以前の写真も参考にし、より親子の白頭鷲という主題をハッキリさせるために、思い切ってトリミングをした。
白頭鷲の親子 |
撮影後、半年以上経過している写真を現像するとき、注意しなければならないことがある。
ひとつは、トーンが前と変わってしまうということ。
新鮮な感覚で写真をとらえることができる反面、撮影したときの空気感を、ほぼ完全に忘れているために、以前撮影後にすぐ現像・編集した連作として扱うべきカットとのトーンが変わる。特に露出とホワイトバランスは、以前の編集後の写真を見ながらでないと明るさと色が大きく変わる危険がある。これをそのまま扱うのであれば、違うトーンの写真は別のフォルダに保存するなどして区別しておかないと、いつまでもバラバラなイメージしか仕上がらないという気がする。
下のクロクマの写真は、以前撮影後に編集したときのホワイトバランスが、間違っていたために、そこを調整して、クロクマの毛の青黒い実際の色を意識して現像してみた。いずれにせよ、このトーンは以前の仕上がりと違うので、以前の写真とは並べることはできない。
クロクマの親子 |
下のミノ虫の写真は、ジム・ブランデンバーグなど、自然写真をアートととらえる系譜の写真家の写真を参考に現像したもの。僕の構想としては、このような綺麗な自然の部分もとらえ続けていく必要があると感じていて、それは自然に興味を抱く説得力を増すことができると信じているため。上の2枚の写真群とは方向が異なってくるため、一連で織り交ぜていくためにはその表現の方法を考えていく必要がある。
朝露とみの虫 |
現像の際に注意すべきもうひとつは、トリミングをしたときの写真データの損失を意識しておくこと。
同じ写真でトリミングを思い切ってしたとき、これがいい写真に仕上がったとしてもプリントサイズに限界があるため、データが小さいということを忘れないように明記しておく必要がある。とにかく写真の量が多くなってきているので、写真データの管理にも意識を傾注していかなければならない。
まとめると、一枚ずつ選んでランダムに編集するとき、その写真の何を強調して、その後どうしたいのかを明確にしておかないと、現像して写真を仕上げるだけ無駄になる。なにか実験的に検証するのであれば別だが、いつも違う現像・編集方針でやっていても何も生まれないだろうということ。たぶん、今の自分にとってはここをハッキリさせていく必要がある。
2013年6月3日月曜日
キツネ
今日はじめて野生動物に追いかけられるという体験をした。
その動物はキツネ(Red fox)なのだが、これはとても興味深い。
これは明らかにキツネの勘違いによるものだからだ。
ぼくは毎日夜にランニングをしている。いままでランニングコースでは、ノウサギはよく見かけていた。キツネははじめてだった。
今日、走り始めにノウサギを2匹見た。彼らは夜行性である。夜は、ゆっくり近づけば10メートルまで行ける。神経を集中した野獣気分で行えば、5メートルくらいはいける。
この距離には必ず地域性があるので、どこのノウサギもというわけにはいかない。
しかし、彼らもいくら夜でも眼が見えるとはいえ、昼よりも動体を認識する能力は落ちるようだ。
僕を追いかけたキツネもまた夜行性だ。このキツネは、僕が見たその2匹のノウサギを追っていたに違いない。僕が往復してコースを戻ってきたときに、同じ場所で僕を追いかけ始めたからだ。もちろん僕も本能的に驚いたし、はじめは気味が悪かったが、途中から笑いそうになった。そして足を止め、正対するとキツネもギョっとしたに違いない。すぐさまキツネも足を止めて、ひと唸りした。そして僕が足を一歩踏み出すと、とっさに逃げ出したのである。
もしこれが狂犬病が伝搬したとか、そういう噂を聞いていたら、僕のほうが一目散に逃げ出していただろう。これが狂犬病に罹患した個体だと、おそらく僕に近づき、かみつくからだ。
もちろん今回も罹患しているかどうかを判断できたわけではない。正対してみて様子をうかがったときに、そういう知識を持っていれば、キツネの行動の異常を感じるはずである。クマに出会うときもハクトウワシの巣に近づくときも、そんな気持ちでやっている。
キツネも狩りのモードに入るということがあるのだろう。そうなると、ただでさえヒトよりも動体に対して敏感な眼が、余計に反応してしまうに違いない。そしてまた自分から逃げていくものだと、それがよりいっそう強まるのだろう。
それにしてもおかしな体験だった。
その動物はキツネ(Red fox)なのだが、これはとても興味深い。
これは明らかにキツネの勘違いによるものだからだ。
ぼくは毎日夜にランニングをしている。いままでランニングコースでは、ノウサギはよく見かけていた。キツネははじめてだった。
今日、走り始めにノウサギを2匹見た。彼らは夜行性である。夜は、ゆっくり近づけば10メートルまで行ける。神経を集中した野獣気分で行えば、5メートルくらいはいける。
この距離には必ず地域性があるので、どこのノウサギもというわけにはいかない。
しかし、彼らもいくら夜でも眼が見えるとはいえ、昼よりも動体を認識する能力は落ちるようだ。
僕を追いかけたキツネもまた夜行性だ。このキツネは、僕が見たその2匹のノウサギを追っていたに違いない。僕が往復してコースを戻ってきたときに、同じ場所で僕を追いかけ始めたからだ。もちろん僕も本能的に驚いたし、はじめは気味が悪かったが、途中から笑いそうになった。そして足を止め、正対するとキツネもギョっとしたに違いない。すぐさまキツネも足を止めて、ひと唸りした。そして僕が足を一歩踏み出すと、とっさに逃げ出したのである。
もしこれが狂犬病が伝搬したとか、そういう噂を聞いていたら、僕のほうが一目散に逃げ出していただろう。これが狂犬病に罹患した個体だと、おそらく僕に近づき、かみつくからだ。
もちろん今回も罹患しているかどうかを判断できたわけではない。正対してみて様子をうかがったときに、そういう知識を持っていれば、キツネの行動の異常を感じるはずである。クマに出会うときもハクトウワシの巣に近づくときも、そんな気持ちでやっている。
キツネも狩りのモードに入るということがあるのだろう。そうなると、ただでさえヒトよりも動体に対して敏感な眼が、余計に反応してしまうに違いない。そしてまた自分から逃げていくものだと、それがよりいっそう強まるのだろう。
それにしてもおかしな体験だった。
2013年5月31日金曜日
WB - what we (retina) see(s) -
Photograph data: D300 f5.6 1/1600 ISO400 RAW image, both photos are developed by CS6
Retouched as a whole |
In contrast below, this is what we see in the nature even though our eyes have slight different aspect of color sight individually.
Retouched each division |
2013年5月29日水曜日
日本の森
写真は日本に帰国した際に撮った、函南原生林の中での写真。
日本に25年間暮らし、そのあと北米で5年間暮らした自分にとって、この日本の森林風景があまりにも新鮮に見えたのは皮肉だ。
函南原生林は、箱根の南側に位置しており、地元の森林組合の意向により長年伐採から免れてきた。森はトレイルが整備されており、2時間程度で一周できるようになっている。
平成元年までは、樹齢700年で日本最古の大ブナと言われた巨木もあった。いまでも樹齢500年以上のアカガシが数本あり、永きに渡って火事を逃れ、人間に守られてきたのだとわかる。
アラスカなどのタイガ森を歩き続けた者なら誰でもわかるように、北方の木々は、主軸がまっすぐに伸び、それを中心として放射状に枝が出るものがほとんどであることがわかる。これはおそらく雪の重さに対応するため、それから冬になる前に、効率よく水分を体から出すために作られた、それら結果の構造なのではないだろうか。自分の成長は、吸収できたエネルギーから、ほぼ同量の生きるためのエネルギーを差し引いて、余分が出たときにだけ考えるといった様子で、凛とたたずんでいる。
対してこのブナを中心とした函南原生林の木々は、ラインが様々な角度で自由奔放に伸びている。寒さなぞ、当分気にしなくていいといった具合に、か細くなってもできる限り幅を広げようと伸びている。当然寿命は北方林よりも永くなる。これは自然なことだろう。それにしても、新緑の葉が太陽の光と一帯となって、存分にエネルギーを得ているようで綺麗だった。
2013年5月28日火曜日
違う空間の認識
家の前の公園近くを散歩していたときのこと。ふと、赤い土管の外側にとまる2匹のハエが目についた。その2匹は、僕の2メートルくらい離れたところにいる。2匹は互いに見合い、静止している。注意は互いに向かっているようだ。
しかし、彼らの眼は複眼で、僕のいる方向は、彼らの視界に必ず入っている。ただ、僕の存在が、「見えている」かどうかは僕にはわからない。そのとき、片方のハエが飛び立った。20センチのところにいたもう一方も続けて飛び立った。どうやら、先に飛び立った方を追いかけているようである。これは雄と雌に違いなかった。空中で(どちらが雄かは見分けがつかないが)2匹は何度か接触していた。そして、またほぼ同じ土管の外側に着地した。
僕はこの一連の動作を見ていて、非常に興味を魅かれた。ためしに、僕は2匹の50センチまで近づいた。案の定、2匹は僕の存在から遠ざかり、少し離れた位置に再び着地した。着地すると、その2匹はまた互いに20センチほどの距離を保っていた。
このとき、僕は彼らと全く別の世界に生きているということを確認できた。僕の存在は彼らにとって、近づきすぎるとつぶされてしまう大きな物体にすぎない。ヒトも犬も猫も、彼らを襲うことができる小鳥や昆虫以外、単なる「避けた方がよい物体」でしかない。
ハエは自分たちの雌雄を見分けるという必要な感覚は備えているが、そのほかは、ほとんど意味をなさない空間の認識をしているようだ。
それにしても、人間の僕から見ると不思議なことは、オスはメスを何らかの刺激で確実に見分けるというその判断の世界の違い。ヒトは視覚世界が大きいから、ほとんど目で見分けている。それで別の感覚から雌雄を見分けるという認識をほとんど理解できない。
もうひとつ不思議なことは、互いに人間には追いつくことのできない瞬発力で反応しあう、この時間の世界の違いである。
観察していると、ハエはあきらかに僕らとは違う世界で生きていると考えざるを得ない。
2013年3月30日土曜日
2013年3月28日木曜日
写真家研究 クラウス・ニゲ
クラウス・ニゲの写真は、彼自身が本当に対象の動物に愛着がわいていて、調べ尽くした中で撮影に至っていると思えるものが多い。作品群は、まとめのバランスがとても良いと感じる。要するに、最後の写真を見終わって、「ああ、なるほど」と言いたいことがほとんどわかる。写真をまとめる上で、その順序は非常に参考になると思うので、くわしく見ていくに値すると勝手に判断した。
以下の僕の記述は、自分が写真の評論家にでもなったかのような書き方をしているが、そのあたりは、そのつもりになって写真を眺めている(見る訓練をしている)と考えてもらえればいい。
1956年生まれ
17才の頃からカメラが好きで撮影をしていた。大学卒業後(23)しばらくは生物学者として活動していたが、野生生物を撮りたいという想いを断ち切れず、1984年に写真家になる(28)。1991年(35)にドイツの自然写真協会(GDT)に入会し、1992年から95年(39)まで、この協会の会長を務めた。フリーランスになったのは、1995年(39)から。写真家としては比較的遅いスタートであるが、彼の作品群を見ていく限り、プロかアマチュアかなどは気にしていないかのように、淡々とテーマに打ち込んでいるように感じる。
彼の今までのプロジェクトを以下に記載する。
プロジェクト開始は想定30才あたりから。彼のプロジェクトの特徴として、野生生物をテーマとするときは、動物種1種を選び、その生態のライフサイクルを数年かけて取材する型をとっている。場所をテーマにするときは、四季とそれに対する多様な動物たちの生活の変化等を織り交ぜて、全体的にバランスの良い作品群に仕上げている。撮影の特徴は、表現に合わせたカメラの使用をしていること。例えば、対象の動物を入れ、風景も含めてその生態環境の写真をシンプルに表現したいときは、やや望遠のレンズを使って、圧縮効果をうまく加え、イラスト調にしているなど。表現としての特徴は、一枚あるいは数枚の写真をつかって、事象の変化を写真だけで完璧に表現できるところだろう。キャプションは、後で詳しい知識を得るときに必要であって、それがなくても十分意図が伝わる作品に仕上がっている。
Project
Stellers Sea Eagle (????
- 1999) NMG 1999.3 掲載
36才(掲載時43才)
Brown Bear (???? - 2001)
Kamchatka (2003? - 2005)
European Bison (2005? -
2007)
Bialowieza Forest (2005?)
American White Pelican
(2004?–2006) NGM 2006.6 掲載
48才(掲載時50才)
Common Crane (2006? –
2007)
49才
Philippine Eagle (2006? –
2008) NGM 2008.10 掲載
52才
Whooping Crane (2008? –
2010) NGM 2010.9 掲載
54才
Flamingo (2010? – 2012)
NGM 2012.4 掲載
56才
2013年3月23日土曜日
自然の見方
カメラを通して自然をみるというのはどういうことだろう。
あらためて基本的な部分を考えなおしてみた。
ふつうに自然の中を歩いているときに見る自然は、自分がその自然を知ろう、その自然の一部になってみて、木々や動物たちの世界を見るという、自分の中へ自然を取り込む行動、インプットしていくという考え方といえる。
それに対して、カメラを通して自然を見るということは、どうしても「表現」ということを意識しなければならない。360度ひろがる現実の自然の中を、四角く切り取らなければならない。これには自分の自然に対する考え方をアウトプットしていく必要がある。自分の楽しみのための記録にしたって、一部を切り取るときは、深く考えれば取り集めたものが「自分の観る自然」といえるだろう。
自分の考える自然とはどういうものなのか。一枚で表すのなら、やはり「驚き」の感覚を捉えること。
数枚で表す場合は、並べてみて自分の自然に対する考え方が反映されるよう表現すること。これが基本になってくるだろう。
自然の中を歩くときに、カメラをもって記録しながら歩く場合は、このインプットとアウトプットを意識して行動する必要がある。
どうしても自然写真は、時代と密接につながっている必要があると思うし、いま生きる僕らの時代に、どのように自然と向き合っていくか。自分の自然の見方というのをアピールしていくべきだ。
あらためて基本的な部分を考えなおしてみた。
ふつうに自然の中を歩いているときに見る自然は、自分がその自然を知ろう、その自然の一部になってみて、木々や動物たちの世界を見るという、自分の中へ自然を取り込む行動、インプットしていくという考え方といえる。
それに対して、カメラを通して自然を見るということは、どうしても「表現」ということを意識しなければならない。360度ひろがる現実の自然の中を、四角く切り取らなければならない。これには自分の自然に対する考え方をアウトプットしていく必要がある。自分の楽しみのための記録にしたって、一部を切り取るときは、深く考えれば取り集めたものが「自分の観る自然」といえるだろう。
自分の考える自然とはどういうものなのか。一枚で表すのなら、やはり「驚き」の感覚を捉えること。
数枚で表す場合は、並べてみて自分の自然に対する考え方が反映されるよう表現すること。これが基本になってくるだろう。
自然の中を歩くときに、カメラをもって記録しながら歩く場合は、このインプットとアウトプットを意識して行動する必要がある。
どうしても自然写真は、時代と密接につながっている必要があると思うし、いま生きる僕らの時代に、どのように自然と向き合っていくか。自分の自然の見方というのをアピールしていくべきだ。
2013年3月17日日曜日
撮影やテーマに対するアドバイス
アラスカで知り合ったプロのカメラマンからのアドバイスの、話を頂いた中の記録。
1.空撮について
2.個展などの展示会について
3.組写真について
4.テーマを持った撮影にあたり
1.空撮について
2.個展などの展示会について
3.組写真について
4.テーマを持った撮影にあたり
2013年3月5日火曜日
夏の計画について - Chase the woleves Part 8 -
久しぶりの投稿になる。
先月は、ブログの記事を書く暇もないほど忙しく動き回っていた。
冬のオーロラツアーシーズンを早い段階で切り上げ、今月から夏の準備に取りかかる。
今季は、前年度からお金を貯めて計画を少しずつ進めていた、ウェールズ島での撮影へ入る。おそらく、僕の見たい生態のシーンを写真で収めるには、3週間は必要になるだろう。
この広大な雨林帯の島は、カナダの東海岸沿いにある南東アラスカといわれる地域にある。瀬戸内海を思わせるインサイドバッセージ(内海の通路)にあり、穏やかな海流がとおる島内は、とてもシンプルな生態で成り立っている。
まず、植物はアラスカ檜がほとんどを占め、古い森には栂(ツガ)の木がまばらに生える。地面はコケに覆われた、太古の時代を思わせる風景だ。数本の川には毎年サケが遡上してくるところがあり、上流の湖に近いところでは、ビーバーが棲息する。夏の間、この島の内陸に行けば、低地を嫌うようにしてシトカオグロジカが丘の上で草を食む。天敵からすぐに逃げられるため、見通しのきく高台が生活の拠点となるのだ。そしてこの天敵というのが、今回の撮影行で必ず見たいアレキサンダー諸島のオオカミである。この比較的小柄なオオカミが、オグロジカに支えられて250頭ほど、この四国の半分くらいの島に生息しているのである。この個体群はタイリクオオカミから分岐した亜種のオオカミ(Canis lupus ligoni)である。
2013年1月10日木曜日
シャープネスについて
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