2010年7月24日土曜日

Simple Coexistence Model


7月初旬、南東アラスカ、ジュノー

友人の協力により小型ボートをレンタルし、南東アラスカのインサイドパッセージ(氷河やフィヨルドなどからできている多くの入り江や自然の水路)へ。
初日上陸した、人も住めないほどの小さな島。


淡いグレーの砂浜は満潮時には海面となる。


この孤島の一部に草原とはいえないほど小さな、上の写真でちょうど丘の部分にとても興味深い生態があった。


ルーファスハチドリ(英名:Rufous Hummingbird)

アラスカにこの奇妙な進化を遂げた鳥がいることは知らなかった。昨年冬のカリフォルニアで見かけたときに、撮影してみたいと思っていた鳥だ。そばまでくると、大きな蜂が近づいてきたと思えるほど大きな羽音が聞こえる。それほどものすごい速度で羽ばたいていることになる。ちなみにこのときのシャッター速度は1/320。一カ所で羽を止める写真を得るためには1/1000以上のシャッター速度が必要だといわれている。



オダマキ(英名:Red Colombine)とハチドリ

この2種類の生き物はお互い依存し合っている。これはとてもわかりやすい共生のうちの一つで、昆虫が花の蜜をもらう代わりに、花粉を運び、他の花の雌しべへの受粉を助けているという最も有名な共生と全く同じである。少し違うのは、このオダマキの花が、ハチドリに蜜を与える際に花粉を預けやすいよう、『ハチドリ型』に花弁を変形させている点。実は花のように見える赤い部分は萼(ガク)にあたる部分で花びらではない。花弁の部分を筒状に進化させてハチドリが蜜線にくちばしを届かせたときに、雄しべがちょうど頭にくるようになっている。(上の写真)ハチドリのほうも、その重さから昆虫のように花に停まるわけにはいかないため、空中に停まれるようホバリングという奇怪な運動特性を身につけている。


この2種のセットで進化していく生き物たちは、ダーウィンが注目したランと蛾の共進化を連想させる。生物界にはこれら以外にも無数の共進化の例があるが、少しずつ自分で発見し、写真に収めていけたらと思う。





2010年7月21日水曜日

Authentic Inhabitant nature created







冬の間は最もオオカミを警戒しなければならなく、夏はジリスにその役を任せて。
東からのそよ風にふかれながらくつろぎのときを過ごす。

いつもかれらは非常に落ち着いた表情でこちらを見てくる。デナリの動物の中でもっとも堂々とそこを自分の住処としているのは彼らのように感じる。



2010年7月19日月曜日

like a question without an answer


デナリ国立公園から帰ってきて考えていたことだけれど、いまだに答えが出ない。

 大昔、まだ動物がいなかった植物のみの時代、有機物はすべて同じ方向の流れだった。
しかしあるときから全く逆の流れが現れて、その個体の尽きたとき地に帰るような仕組みができた。

植物は時間の流れに従って還元していくながれ。逆に動物は酸化していく流れ。どこからこの酸化していく流れが生まれたのか。それにもまして、なぜ自然は逆の流れを必要としたのか。
自然は無駄なことをしない。
これもひとつのある一定量を超えると質が変わるという自然の理のひとつなのだろうか。

 こんなことに答えなどないのかもしれないけど、不思議でついついぼーっとその思いに耽ってしまう。



Mountains in Denali NP

これらの山は天候、季節、時間帯などの外的要因だけではなく、その山の標高、鉱質、表面の植生が占める割合などの内的要因によって見せる表情が違っていることが、歩いてみるとわかる。風景は外的な要因によってみせる姿があまりにも大きく左右されるけれど、本当にそのものの見え方を知る場合には登る以外に方法はない。登ればその山が朝夕だけでなく昼でもオレンジ色に輝く理由や、いつも隣の山の高さに負けて日陰であるのに、エメラルドグリーンのきれいな色を反射し続けているわけが解る。









もちろん写真としてその風景を主観的に切り取ることで見え方がかわることと、カメラによる編集と編集ツールによる編集によって見え方が大きく変わることも間違いない。極力編集は人間の目で見た感じに近づけていくようにしている。作品としては主観描写を画角と色によって自分で表現する必要があるけれど、客観性を失うほどのことはしたくない。