2009年7月21日火曜日

Kennecott -鉱山の町とその歴史-




Kennecott Mill





Kennecott の町は国立公園内に位置している。


ゴールドラッシュより半世紀、1900年に2人の採掘者により、アラスカに良質な銅山があるという情報がニューヨークに伝わる。Stephen Barch という若い採掘エンジニアによってその採掘権は買われ、J.P.Morgan などの巨大な会社の協力のもと、即座にインフラが整えられ、採掘は開始された。その銅を精製する場所として誕生したのがこの町。
しかし1938年秋には閉山。最後の銅を積んだ列車が去り、町はゴーストタウンとなる。



三つ窓のある建物が病院。
ここにはアラスカで初めてのレントゲン技術が導入された。



Bonanza Mine

Kennecott の町はこのメインの鉱山を含め5つの鉱山から銅の鉱石を集め精製していた。この鉱業場は現在政府に保護されていて、中に入ることもできる。



GEのエンジン。



巨大な滑車で山の麓の町まで鉱石を運んでいた。





鉱石の質を調べる部屋のように思えた。
当時の鉱石の質は体積の70%が銅という、アメリカ最良の銅山だったらしい。



何に使われる道具なのかわからない。
100年前の状態がそのまま残っている。



採掘場の入り口。
雪で埋もれて入ることはできない。

出稼ぎの労働者は当時、低賃金で週七日間働き続けたと記されている。その収入はアメリカ本土にすむ家族に送られていたそうだ。



採掘場から急峻な崖をつたって、鉱石が運ばれていく。





町の精製工場の中には十数段階を経て銅を精製するための層がある。
純粋な銅は、列車に積み込まれ、150キロほど離れた港町まで運ばれる。




現在この町 Kennecott は観光地と歴史的遺産としてアメリカの旅行誌やウェブサイトなどで見ることができる。日本の有名なガイドブックではナショナルパークがコラムとして取り上げられる程度で町のことまで触れられない。アクセスの悪さから旅行者にとっては効率の悪いスポットなのだろう。町も賑わっているとは言えない。しかし、そのことが逆に、この遺産を保護し、感慨深い場所になっているのだと思う。






2009年7月12日日曜日

Chase the wolves -part 5-


 オオカミの撮影を構想し始めて1年半、実際に撮影しにいく計画を実践できた。今回の場所はデナリ国立公園。結果、失敗に終わったが、なぜ見つけることができなかったのか考察する必要がある。

 その考察を今回のデナリ撮影行のみに焦点を当ててみることにする。撮影前の情報として、オオカミの行動パターンを The Wolves of Denali をもとに研究した。現地に行く前日に Layne G. Adams に会い、デナリ国立公園のオオカミ生態についてインタビューした。彼は先述の The Wolves of Denali の著者 David L. Mech とともに研究し、現在 USGS Alaska Science Center で調査研究を行っている生物学者である。また、現地に到着後、レンジャーにオオカミ捜索の方法とオオカミの巣(Wolves' Den)がある場所を尋ねた。
 そして、撮影に臨む際、 Adams 氏から聞いた、オオカミを見かける可能性が高い場所(Storny Dome, Polychrome Pass, East Fork & Toklat River area)に焦点を定め、そこへ入るための許可証をとり、以上の箇所に2泊3日ずつ、3回にわたり計6泊9日の撮影行を試みた。

 以上、大きく3つ。事前知識の習得、学者からのアドバイス、レンジャーからの情報をもとに撮影に臨んだことになる。しかし、撮影できるような状況に自分を置くことはできなかった。
 1つめの自分でのオオカミ勉強の目的は、撮影の際の描写以外に、学者やレンジャーから貴重な情報を引き出すために自分でもオオカミに対する知識をつけておくことだった。 
 では2つめの学者からの情報。今考えてみると、これには利点と欠点がはっきりと考えられる。利点は撮影のためのオオカミの生態情報を得ることができたこと。
 Adams 氏によれば、この時期オオカミは群れ一丸となり、子育てに専念しているということ。ジリスも冬眠しておらず、エサとしては豊富にあること。(群れで大きな動物、ヒツジやシカなどを狩ることはこの時期、非常に珍しいとのこと。ほとんどないと言っていた。)他に、外気温が高く、体力を奪われるため、巣からの行動範囲は限られることなどの話しをしてくれた。これらことから、オオカミの巣の位置がどこにあるのかを突き止めることが非常に重要であったことは理解していた。(ちなみに正確な巣の位置を示すGPS情報はもちろん教えてくれない。)
 欠点は、彼ら生物学者はオオカミを捜索する際、ラジオカラー(電波を発信する研究用の首輪)をもとに、上空からそれをつけたオオカミを見つける。そのため、学者はオオカミを「見つけること」に時間をかけてきた訳ではないということ。 
 3つめのレンジャーからの情報。これは遭遇の可能性を高めてくれていたに違いない。オオカミを捜索する場合、川沿いに注目すべきだということを教えてくれた。どの状態でどちらに向かって歩いているか知ることで、巣の位置がだいたいわかるということ(エサをくわえて向かっている方向はだいたい巣のある方角であるなど)。実は園内で立ち入り禁止されている場所は、オオカミの巣のある場所であるということ。(これは人が危険だからではなく、オオカミの個体数を維持するために保護の目的で閉鎖している。)

 
 オオカミを撮影できなかった理由として考えられることは、

1、滞在期間、観察時間が短かったということ。
2、Adams 氏のアドバイスをもとに撮影場所を設定したこと。
3、滞在期間気温が高く、オオカミの行動は抑えられていたこと。
4、オオカミの巣がある位置はエリア閉鎖されて入れなかったこと。 

 などがあげられると思う。


今年、もう一度トライする機会を作る。


Denali National Park -part 2-







デナリの住居者



オスのムース。角にベルベットと呼ばれる皮をまとっている。



カリブー。二匹ともメス。
カリブーはシカの仲間で唯一、雌雄ともに角が生える。



ゴールデンイーグル。容易に近寄れなかった。
彼らは望遠レンズと同じような目を持っている。



夏毛のライチョウ。



ナキウサギ。
必ずこのような瓦礫の岩場に住み、いつも鳴き声をあげているだが、見つけるのが難しい。



ビーバー。
警戒心は無く、のんびり食事をしていた。



ハタネズミ。すぐに姿を消す。



ホッキョクジリス。
冬の間、自分の体温を氷点下近くまで下げて冬眠するリス。
警戒心も強いが、好奇心もつよいジレンマがある。



ホーリーマーモット。けっこう大きい。
一家団らん中お邪魔した。
一定の距離に近づくとサイレンのような金切り声を上げて子供たちに注意を促す。









Denali National Park -part 1-


デナリの熊




子が溺れないよう、浅い場所を探しながら川を渡る。



平原を元気に駆け回る。



今年生まれの双子。三つ子の写真もたまに見るが稀だと思う。




この個体は明らかに栄養状態が良くない。大きな狐のように見えた。




土の中の食べ物を探す。地リスや根なども食べる。




ここの国立公園にはブラウンベア約350頭が生息している。そのうち僕がみたのは子を除いてたったの5頭。今回の撮影観察だけでデナリの熊の生態を語ることはできない。
また、デナリ国立公園の地形は山岳、ツンドラ、草原、湖、河川など多様。山岳地帯を好むらしいが、熊によってメインに行動をする場所は異なる。これに対してマクニールにいた熊たちはサケの遡上するマクニール川を中心に一様な生活リズムを送っている。
えさの面でもマクニールの熊はこの季節、豊富な鮭を好きなだけ獲れるのに対し、デナリの熊は食べ物を探しまわらなければならない。その面でも生活は異なる。




2009年7月1日水曜日

Think about Crop



デナリ国立公園で本格的に撮影に入る前に、フェアバンクスに立ち寄った。昨年10月に来たときに比べ街並は青青として日差しも強く、違う町にきたような感覚だった。



アラスカ大学フェアバンクス校の図書館に立ち寄り、バックカントリーのルート計画と、写真について準備している時、ふとトリミングのことが気になった。トリミングとはその意味合いを二大別できる。写真をプリントサイズに合わせるための写真の切り取りと、撮った写真の意図をより強調するための切り取りの二つ。

前者はほとんどの人がプリントの段階で行うことになる。大学の授業で、教授は後者のほうはなるべく避けるべきだと話していた。なぜならファインダーをのぞいているときに考える構図がおろそかになりがちだからだと。他にも、写真に詳しい方の意見では、撮影後のトリミングを想定していると写真のセレクトの段階で非常に時間がかかる、という考えも聞いた。

はじめは僕もこれらに同意できていた。しかし、いま僕はこれに関して疑問を抱いている。たしかに撮影後のトリミングを想定していてはその場での感覚がいい加減になってしまう可能性はあるし、トリミングをすればするほど、後のプリントサイズに制限が出てくるということもある。だが、本当にいいと思える瞬間をおさえることができたのが、対象物が小さかったなどという時、それでもトリミングをしない方がいいなどとは思わない。例えば下の写真、


これは僕の持っている最長の望遠レンズで撮ったもの。撮る前に撮影後のプリント構図まで想定できていた。しかし、ここは鳥の保護地区で、これより先に足を踏み入れることはできない。上の写真だと、あきらかに曖昧な写真になってしまう。

これをトリミングしたのが下の写真。


なにが、何をしようとしている瞬間なのかがはっきりわかる。日のあたり具合や親の翼の広げ方に少し不満はあるが、目的の構図を得ることができた。しかしこれはトリミングをしている。この写真のプリントは限界A4サイズがいいところだろう。それでも、このように表現できる方を選びたいと思う。ある程度のフォトグラファー意識が維持できれば、撮影後にどうにでもなるなどと思いながら撮影する写真家はまずいないだろう。

いまのところ、僕は撮影後のトリミングでよい写真表現ができるのであればこれを積極的に行っていく。