2013年5月31日金曜日

WB - what we (retina) see(s) -

Photograph data: D300  f5.6  1/1600  ISO400  RAW image, both photos are developed by CS6


Retouched as a whole
 This picture above is what CAMERA sees.
In contrast below, this is what we see in the nature even though our eyes have slight different aspect of color sight individually.


Retouched each division


2013年5月29日水曜日

日本の森



写真は日本に帰国した際に撮った、函南原生林の中での写真。

日本に25年間暮らし、そのあと北米で5年間暮らした自分にとって、この日本の森林風景があまりにも新鮮に見えたのは皮肉だ。

函南原生林は、箱根の南側に位置しており、地元の森林組合の意向により長年伐採から免れてきた。森はトレイルが整備されており、2時間程度で一周できるようになっている。
平成元年までは、樹齢700年で日本最古の大ブナと言われた巨木もあった。いまでも樹齢500年以上のアカガシが数本あり、永きに渡って火事を逃れ、人間に守られてきたのだとわかる。

アラスカなどのタイガ森を歩き続けた者なら誰でもわかるように、北方の木々は、主軸がまっすぐに伸び、それを中心として放射状に枝が出るものがほとんどであることがわかる。これはおそらく雪の重さに対応するため、それから冬になる前に、効率よく水分を体から出すために作られた、それら結果の構造なのではないだろうか。自分の成長は、吸収できたエネルギーから、ほぼ同量の生きるためのエネルギーを差し引いて、余分が出たときにだけ考えるといった様子で、凛とたたずんでいる。

対してこのブナを中心とした函南原生林の木々は、ラインが様々な角度で自由奔放に伸びている。寒さなぞ、当分気にしなくていいといった具合に、か細くなってもできる限り幅を広げようと伸びている。当然寿命は北方林よりも永くなる。これは自然なことだろう。それにしても、新緑の葉が太陽の光と一帯となって、存分にエネルギーを得ているようで綺麗だった。

2013年5月28日火曜日

違う空間の認識


 家の前の公園近くを散歩していたときのこと。ふと、赤い土管の外側にとまる2匹のハエが目についた。その2匹は、僕の2メートルくらい離れたところにいる。2匹は互いに見合い、静止している。注意は互いに向かっているようだ。

しかし、彼らの眼は複眼で、僕のいる方向は、彼らの視界に必ず入っている。ただ、僕の存在が、「見えている」かどうかは僕にはわからない。そのとき、片方のハエが飛び立った。20センチのところにいたもう一方も続けて飛び立った。どうやら、先に飛び立った方を追いかけているようである。これは雄と雌に違いなかった。空中で(どちらが雄かは見分けがつかないが)2匹は何度か接触していた。そして、またほぼ同じ土管の外側に着地した。

僕はこの一連の動作を見ていて、非常に興味を魅かれた。ためしに、僕は2匹の50センチまで近づいた。案の定、2匹は僕の存在から遠ざかり、少し離れた位置に再び着地した。着地すると、その2匹はまた互いに20センチほどの距離を保っていた。

このとき、僕は彼らと全く別の世界に生きているということを確認できた。僕の存在は彼らにとって、近づきすぎるとつぶされてしまう大きな物体にすぎない。ヒトも犬も猫も、彼らを襲うことができる小鳥や昆虫以外、単なる「避けた方がよい物体」でしかない。

ハエは自分たちの雌雄を見分けるという必要な感覚は備えているが、そのほかは、ほとんど意味をなさない空間の認識をしているようだ。

それにしても、人間の僕から見ると不思議なことは、オスはメスを何らかの刺激で確実に見分けるというその判断の世界の違い。ヒトは視覚世界が大きいから、ほとんど目で見分けている。それで別の感覚から雌雄を見分けるという認識をほとんど理解できない。

もうひとつ不思議なことは、互いに人間には追いつくことのできない瞬発力で反応しあう、この時間の世界の違いである。

観察していると、ハエはあきらかに僕らとは違う世界で生きていると考えざるを得ない。