2008年12月31日水曜日

Bald Eagle in Homer -part 6-




Eagle Portrait



最終日、撮影を終え、スティーブさんに2月また会う約束をして、ホーマーを発った。今回の旅で学んだことがたくさんあった。

重要なもののひとつは現地の人とのつながりを持つこと。それは一緒に何かやってみることでわかることがある。これは写真を撮ることに直接関わりはないようだが、間接的には重要になってくる。たとえば今日は他にもカメラマンが4人来ていて、10時に僕を含めた5人はスタンバイをしていた。今日だけ、僕は広角レンズをはじめにセットしていたのだが、ほかの4人はもちろん望遠レンズ。実は昨日の時点で、スティーブさんからエサを変えることを聞いていた。ヒラメやサーモンからイワシに変わる。それはハクトウワシたちが僕らの1m手前までくることを意味する。もちろんその距離の被写体は500mmくらいのレンズでは収められない。この情報は、スティーブさんからしか得ることができないだろう。
もう一つはあらかじめ写真の出来上がりをイメージしておくということ。ぼくは今回5つのイメージを持って撮影に臨んだ。それらのイメージは、ストックフォトのサイトからたくさん想定できるものであり、どのように撮影するべきなのか前もって勉強することができる。あと自分なりに考えついた、馬鹿にできない練習方法が、 YouTube の動画をみながら、自分のイメージする構図で一時停止ボタン(シャッター)を押す、という練習方法。タイムラグがあるが、これがなかなかおもしろい方法だとわかった。特に飛翔中のワシは動きが速いので、タイミングは非常に重要になる。
まだまだ完璧なショットは撮れていないが、今回の旅はいい足がためとなった。


Mystery Hills

帰りのコンディションは行きとは雲泥の差。アンカレッジまで3時間半で着いてしまった。少々飛ばしすぎた。しかし晴れた日にアラスカの山々を縫うようにドライブするのは最高だ。



2008年12月30日火曜日

Bald Eagle in Homer -part 5-


今日はスティーブさんが自宅に招いてくれ、夕食をごちそうしてくれた。彼の自宅はこの町の丘の上に立てられた別荘のような家だ。彼はカナダの西海岸に、もう一つ家を持っていて、3月から夏の間はそちらに移るらしい。


スティーブさん宅 リビングからの眺め

スティーブさんとはたくさんの話をした。ジェーンの容態から始まり、ハクトウワシの給餌を手伝っていること。ホーマに移り住む前の話。奥さんを今年3月に亡くしたこと。奥さんとの思い出話。部屋に飾ってある写真や芸術的な絵画と、彼が世界各国から集めた、原住民の生活用具について。それから南極へ行ったときのことなど。
ジェーンの手伝いをはじめたのは7年前とのこと。また、来年の2月がジェーンが最後に給餌をする月になるという。悲しいことに、彼女の体は法律で許可された2010年までもたないそうだ。来年2月にまたぜひ来てくれと言われた。
話がお互いのバックグラウンドに至ると、二人とも完全なる自然愛好家であることがわかった。彼はネイティブ民族の生活を尊敬していた。部屋に飾ってある写真も絵も非常に上手で、本当の自然とはどこにあるかを教えてくれた。彼によると、アラスカはラストフロンティアと言われているけれども、ほんとうに誰にも手を付けられていないと言える原始自然は限られていると。彼がそこで描いた絵や写真は売れるレベルのものだが、決して売らないと彼は固く決めていた。その写真を見てそこへ行きたいという人が出てくることを心配してのことだ。
彼は29年間、ずっと奥さんと一緒に世界中を回りながら、人のいない完全な自然を求めていた。今年3月に奥さんを亡くし、生活がきついと言っていた。現在62歳である。



ひょっこり現れたムース

部屋の中からはムースだけではなく、クマ、コヨーテ、ウサギ、タヌキ、イタチなど様々な動物が現れるのを見ることができるそうだ。



別の窓から見た夕焼け。

明日早朝にアンカレッジへ戻る予定だったが、予定を変更しスティーブさんにまた明日も会う約束をして、家路に着いた。

2008年12月29日月曜日

Bald Eagle in Homer -part 4-


wing



今日は撮影した後にスティーブさんの手伝いをした。市場から調達された大量のエサを冷凍庫にしまうという作業だった。固く凍った大きな魚を幾度となく上げ下げして、筋肉痛になりそうだ。魚をよく見てみると、ヒラメ、イカ、白身魚のぶつ切りなどなど様々。深海魚のような頭が非常に大きい、見たことのない魚もあった。




撮影ではハクトウワシがエサを見事にキャッチする姿が撮れた。















狙いを定め、一点集中。



絶妙なタイミングでジャンプ。















両足でがっちり捕らえる。 


※写真をクリックすると写真を拡大できます。



ハクトウワシの撮影は明日が最後。どんな構図をイメージして臨むか。これがとても大事だと言うことが今回の撮影行で実感できた。



2008年12月28日日曜日

Bald Eagle in Homer -part 3-


scramble for the perch




ジェーンの小屋に飾られている看板。

前回の投稿の最後に綴った、「問題」とは、昨日スティーブさんが魚を調達に出かけている際、別の関係者の方がやってきて怒られたこと。彼は剣幕な表情で「なんで入ってるんだ」「ここは私有地だぞ」と。訳を話したが、「ジェーンがだめだと決めてるんだ」ということで、泣く泣く撮影を打ち切られてしまったのだ。昨日は、ジェーン本人はお休みで会うことができなかったこともあって、それで次の日が心配だった・・・。

結果から言えば、ひきつづき中から撮影することが許可された。昨晩なんとか中から撮影できないかと考え、今朝クリスマスカードにハクトウワシ保護のための寄付金を添えてジェーンに渡したのが功を奏した。


The Eagle Lady with Bald Eagle

今日はジェーンが直接エサやり。僕のクリスマスカードにご機嫌だと、あとでスティーブさんから聞いた。基本的に気を使われるのが嫌いらしい。I'm OK. I'm OK. と連呼していた。そもそも彼女は若い頃、荒馬を乗り回していたらしい。落馬して入院中の彼女の写真が新聞の一面を飾ったこともある。その写真のなかの彼女は満面の笑顔だった。
彼女は現在、正直なところ元気という感じではない。使命感と気力だけでがんばっているのだろう。強い人だと思った。


小屋の周りの至る所にこの警告の看板が設置されている。




観光客はこのように車の中から撮影する。運が良ければ中から撮影。



Sunset in Homer

日没と言ってもこの写真の時刻は正午。向こうに見える山々の稜線に沿うようにして、太陽が移動する。アラスカはこの時期、日の入りもゆっくりである。日本のように地平線に対して垂直に日が入っていくのではなくて、ほぼ平行に入っていく。そのため日が沈んだ後もかなり長い間うすら明るい。

今日は晴れたので、ISO感度を下げ、画質をキープしながら撮影。荒くない写真を撮ることができた。



2008年12月27日土曜日

Bald Eagle in Homer -part 2-



Bald Eagle


ジェーンのお手伝いをしているスティーブさん

僕が撮影場所に到着し、独りでとぼとぼ歩いていると、関係者らしき人から「車から出ちゃだめだよ」「鷲がみんな逃げちゃって、戻ってこなくなる奴もいるんだ」と注意を受けてしまった。仕方なく戻って車の中から撮影していると、先ほどと同じ人(スティーブさん)から、「中に入ってここから撮ってみるかい?」と小屋付近から天の声がかかった。本来中に入れてくれないのだが。観光客ではなく、ちょっと写真家っぽくしてみるといいのかもしれない。

食料分配鷲会議

もちろん彼らは自分でとったエサを分け合ったりはしない。だだ取り合う。特別分け与えるのは我が子のみ。

Bald Eagle in flight

人の指先のように広がる初列風切羽。ある程度の距離と、シャッター速度が無ければ撮れないのだが、運良くシャープに写すことができた。

ものになるショットを撮れたものの、実は画像のクオリティとして良くはない。それは晴れる予定の今日の天候が曇りだったためだ。シャッター速度を上げると、光量が足りずにフィルム感度(ISO)もあげざるを得ない。ISO感度をあげると、光を素早く吸収する分、画像が荒くなる。上の写真はすべて ISO: 3200 で撮ったもの。シャッター速度を 1/500 にするとこれくらいになってしまった。Nikon D300 でもさすがに無理がある。
明日は晴れなのでリトライ。しかしひとつ問題が・・・。





2008年12月26日金曜日

Bald Eagle in Homer -part 1-


明日から南アラスカのホーマーという町でハクトウワシの撮影を開始する。


ホーマースピット(砂州)

ここホーマーには20年以上もの間、ハクトウワシにエサをあたえ続けている、 Eagle Lady という愛称で呼ばれる女性(本名:ジェーン)がいる。この情報は公共の図書館にあった写真集から得た。写真集は2003年出版のものだったのだが、ネットで調べてみると、継続して餌やりをしているようだった。
町の議会はこの女性に冬期のみ毎日ハクトウワシに餌やりをしてもいいという特別な権利を与えている。これは数十年前、連邦政府が一時期ハクトウワシを絶滅危惧種に指定した経緯から来ているものかもしれない。実際、その数が激減した歴史がある。
彼女に与えられた特別な権利は今回は2010年まで適用されるそうだ。しかしひとつ心配事がある。それはジェーンの年齢が85歳だということ。加えて数年前、彼女の体に乳がんが発見され、急遽エサやりを休んでいる実態があるということ。今なお健康でいてもらいたいと願う。

以上のような情報と気がかりを抱え、夜が明ける前の6時半に車に乗り込み、アンカレッジを出発した。予想通りの悪天候に、5時間半で到着するところ、8時間半かかってしまった。
やっとの思いでロッジに到着(写真下)し、先日からの寝不足と、長時間の運転で参りそうだったが、撮影場所の下見はしておく必要があった。


ジェーンの餌やり小屋はこのロッジから車で15分のところにあった。近くを散歩している人がいい情報をくれた。「ジェーンは毎日11:00から餌やりをはじめるよ。」「10:30くらいには来ておいた方がいいと思う。」

ジェーンの健在が確認できた。
明日から3日間は晴れの予報である。

2008年12月22日月曜日

Location Scouting -flattop mountain-

 今日は近所の山にロケーションスカウティングに出かけた。標高は1000mくらいだが、いちおう雪山なので警戒しながら登る。

日照時間はこの時期4時間半くらい。あまり長居できないのが惜しいところ。

トレイルは所々このような柵がある。写真はわざと急峻な雰囲気を出したので、実際はこんなに傾斜は強くなく平坦。

丘の上は雪が風で吹き飛ばされ、このような岩肌が露出している。

寮から車で20分くらいのところから、30分登るだけで、アンカレッジの町が一望できる。
途中かなり急な傾斜がありトレイルの最後まで行けなかったので、次回別ルートを探って行ってみたい。

 冬の山を登るのは7年前のカナダ・サルファーマウンテン以来だ。あの頃、冬期立ち入り禁止のサインを読み取れずに2300mの山を、長いなと思いながら登ったのを思い出す。スタート地点のバンフという町が既に海抜1500mくらいだったのでたいしたことはないが、寒かったのは覚えている。



2008年12月20日土曜日

Sudden encounter is accidental? I don't think so.


アラスカの自然写真家に今日偶然出会った。アンカレッジのモール内で個展を開いていた。暇そうにしていたので、気にせず質問攻め。

彼の名は Didier Lindsey。20年のキャリアを持っている中堅フォトグラファー。年は50くらいだろうか。こちらの自然写真家はたいていキャリアの若い頃、パートタイムの写真家としてやっていくのが普通であるのだが、尋ねると彼は2年。18年間がフルタイムの写真家としてというのだからちょっと驚いた。パートタイムでの時間が比較的短いからだ。

話していると、フィルム派。フォトショップなどのデジタルフローが大嫌いで、もっぱら銀塩。フィルターも偏光フィルターくらいで、色を変えるようなフィルター類はいっさい使わないという。「アラスカの自然をそのまま表現したい」と3度くらい言っていた。失礼ながら、年は同じくらいでスタイルが彼とは対照的だと思う写真家(Tim Fitzharris)の話をしてみると、「いい仕事をしている」と絶賛。「しかし、デジタルは好きじゃない」と最後に付け加えて。写真に対する考え方が異なるのだろう。ただし、フィルム派デジタル派に関わらず、光の読みをしっかり考えている写真家はその仕上がりがまったく違う。

アラスカ以外に他の国に行って世界中の写真を撮ろうと考えたことはないかどうか尋ねたときは、ちょっと彼の本音が出たような気がした。言葉では「アラスカが一番だ」「他の国にも行ってはみたいがそこまで興味は無い」と言っていたが、どうやら別の事情がある風な感じがした。もちろんその先は突っ込めなかったが、できるなら誰しも一度は世界中回って、そこで初めて自分のスタイルを固めていきたいのではないだろうか。真意はわからないが。

今後もこのような偶然は大事にしていきたいと思う。家に帰ってからブログに打ち込んでいると、他にも彼に聞きたかったことはいくらでも出てくるからだ。英語での会話の際、日本語での会話ように、相手の話を聞きながら、次の段階に話を深める質問を考えることがなかなかできない。こればかりは実践あるのみ。

2008年12月19日金曜日

18mm


レンズを買った。
シグマの 18mm~50mm (デジタル換算)の中古。これはとりあえず広角を持っておこうと思って買ったもの。
値段はなんと日本円にして2000円ちょっと。レンズはなるべく高いものの方が後々いいのは知っているが、二千円でなら試してみるのも悪くないと思った。
今までは、24mm がいちばんのワイドだったので初めての画角を試すことになる。

買って早速デジタルカメラに取り付けて撮影。ずっと 18mm で固定して撮り続けた。帰って画像の詳細をチェックしてみると、鮮明とは言えない。
しかし、この安さを、画像の鈍さを逆手にとって、さらに画像を荒くするため、ISO感度を高めて撮ることでモノクロにおいてはいい雰囲気が出せる。たぶんプリントするわけにはいかないと思うけれど、少なくともモニターでは楽しめるし、いい練習ができそうだ。

右の画像は、アンカレッジの中心部にあるスケートリンク。週末はイベントなどで賑わうらしい。カラーも自分では他の高いレンズとの違いがわからないくらいの色は出る。しかしシャープネスはやはりかなり劣る。

自動ピント合わせに時間がかかり、画像も不鮮明となれば被写体は限られるし、クローズアップも期待できないだろう。なかなか難しいが、風景用とモノクロ用として使ってみようと思う。



2008年12月10日水曜日

no reason, you are an A+

昨日Beginning Photography 最後の授業に出席した。テストは筆記試験と写真の評論会。正直この評論は話についていけないので嫌いだ。ただそうも言っていられないので参加はする。
筆記試験は25分間で50問の問いに答える選択式。結果は86点だった。あとで見返してみるとなんてことは無い問題。ほとんどが読み間違いによるミス。本当に知らなかったことは3問。
筆記のあと、場所をスタジオに移し評論会。いつしゃべらされるかわからなく、緊張しっぱなし。ほとんどしゃべることなく終えてしまった。自分の写真を発表するときはさすがにどう撮影したかなどしゃべらなければならないので必死に説明した。結果、大絶賛だった。
選んだ写真は前回の投稿に載せたものすべてと+1点の7点を発表した。そこから5点を選んで、最後に教授に成績をもらう流れだったのだが、あなたは必要ないよといわれた。「あなたは文句なしのAです」と。
最後に教室を出る前に、教授に言われた。
「写真を続けなさい」「それから、頻繁にミュージアムに行きなさい。そしてあなたの写真と比べなさい」と。
うれしかった。

ちなみに最後に加えた写真はこれ。(このままだとわかりづらいので、写真をクリックすれば大きくできます。)


タイトル:Identities in my mind(建物に住む、同種の人間たち)

もちろんデジタル処理はいっさいしていない手作業。エクスペリメンタルフォトグラフィーと言って、ただ撮るだけではなく色んなアイデアを一枚の写真の中に詰め込む、一種のモンタージュである。図書館で写真の本を読んでいる時にふと思いついた。この写真は教授が次のクラスで使いたいと言ったので差し上げた。完成した写真を見ると楽しい場面ではある。ただ、撮影しているときは本当に馬鹿な姿である。

2008年12月5日金曜日

Final 5 prints

写真授業の最後の作品選びに入った。この授業で撮った600枚くらいの写真の中から5枚を選んでファイナルプリントとして提出する。600枚のうち自分の中で写真と言えるものは20枚くらい。その中でも提出できそうなのは10枚もないだろう。
自分の中で5つだけを選ぶというのはなかなか難い。とりあえず提出前に6枚候補を選んでみた。すべて動物か風景で行きたいところだったが、初歩の授業で偏る必要は無いと思い、極力ジャンルを広げた。


パルマーという町の競馬大会に行ったときのもの。スキャンしたのでここではデータとして存在するが、実際右上のハイライトが飛んでいるので、写真として提出するのが難しいかもしれない。ファイナルとしてはそこをもっと焼く必要がある。


ダウンタウンのゴミ収集場の裏。1番レーンの枠を調整する必要がある。説明しづらいが、気に入ってるショット。



野生ではなくて動物園のワシ。結構野生の表情を出そうとがんばった。気に入ってる。ファイナルとしては右上角の白いスポットなど、背景をもっと調整する必要がある。



ライティング写真のアサインメントで撮影したもの。自分の部屋&自分の腕。写真自体はいい雰囲気が出てるが、撮影してる姿は本当に泥臭いと思う。あまり見られたくないところ。



スタジオを借りて1灯ライティングで撮影したもの。アブストラクトのアサインメントで提出したが、教授に拒否された。「ファイナルで使いなさい。これはアブストラクトではないです」といわれて。たしかに、よくよく考えると松の葉だとすぐにわかってしまうし出したかったパターン性もあまり出ていない。雰囲気としては出したい感じに近づいたが、松の細かいゴミを取り除ききれなかった。デジタルならフォトショップで簡単にきれいにできるのだが。


住んでいる寮の裏庭。スキャンの際に上の方がデータとして出なかったが、プリントの方ではまだ大丈夫。シャドウ部を弱めるとともに、もう少し焼き付ける必要があると思う。この調整はかなり難しい。

以上の6点+まだ出していない2点の8点の中から5枚を選ぶ。
とりあえず技術というよりジャンルの枠は広げつつ、好き嫌いで選ぶことになりそうだ。




2008年12月1日月曜日

Information retrieval

情報収集サイト
自然写真を撮るうえで、とても貴重な情報を提供してくれているサイトがあるのでここで載せておく。まだ自分の中で体系が出来上がっていなく、あいまいだが、撮影に出かける際は地理情報やその日のコンディションを下記のサイトから得るようにして、極力無駄足を運ばないよう気をつけている。他にも撮影テクニックやイメージのアイデアなどが得られるサイトもあるのでかなり活用している。日本で見ていたサイトに比べて実践的だと思う。英語なので文章の理解に苦しむものの、やはりこちらのサイトは強力だと認めざるを得ない。

一番活用しているサイト

写真撮影、特にテクニックに関するサイト

きれいな写真を見ることができる。
おなじみ。作られた写真が多いそうだが参考になるものばかり。

自然写真のロケーション情報をPHDファイルで提供

国立公園で撮影するときのための情報

アウトドア知識の貯蔵庫

天気予報

写真に関する本を検索できるサイト

写真のビジネスに関する情報


すべてがネイチャーフォトに特化したサイトではないが、かなりの詳細情報を得ることができる。リストを設けて自分の撮影行を体系立てていきたい。


2008年11月24日月曜日

Eagle River -part 2-


どれだけ頭の中で準備をしていても、こればかりは拭えなかった。
初めて見た野生の熊の足跡に緊張が走る。これは10月4日に出かけた時のもの。足跡は2、3日は経っているだろうか。動物園と違い、柵など無い。冷静に周囲の情報を得ようとしたが、なかなか次の行動に移せない。この写真を撮っている最中も常に聴覚だけは外部に注意を向けていた。この足跡は、森の中を少し抜けた川の中州のようなところで発見した。
野生の熊が人間を襲う事は実は非常に稀なことで、母親とその小熊の間に立ってしまった場合のみ、ほぼ100%襲われる。したがって、小さな熊を見つけた場合がもっとも注意を払わなくてはいけない状況と言える。しかし野生ではない熊であった場合には状況が異なる。半野生の熊のことである。彼らは人間慣れしているため、平気で近寄ってくるそうだ。ひとが襲われた事件のほとんどがこの半野生の熊による。この川の中州は町からさほど離れていないところで、耳を澄ませば自動車の音が聞こえてくるくらいの場所。完全な野生の熊か半野生かなど判断のしようがない。足跡くらいで緊張している場合ではないが、想像と実情はかけ離れていた。

2008年11月17日月曜日

Chase the wolf -part 3-

フェアバンクスへ行った時にアラスカ州魚類狩猟局(ADF&G)に行くことができた。運良くオオカミの研究を以前やっていた学者に会うことができた。ロニィーボーティーという生物学者で、今はオオカミ研究を終えて、引き続きそれと関連性のあるムースの生態を研究している。彼の部屋にはこれから使用する新しいムースのラジオカラー(生態調査のために個体につける首輪。無線でキャッチできるようになっている)が3つ床においてあった。オオカミの物と比べるとかなり大きかった。失礼ながら挨拶みたいな話はすぐに済ませて、率直にオオカミを見つけたいんだけれどもどこで一番見つけられるのか。アンカレッジの近くで見つけることは可能か。といった内容を質問した。研究者にとってつまらない質問ではあるけれど、丁寧に答えてくれた。

「デナリに行かないと、写真で撮るのはほぼ不可能だよ」
「オオカミは君が近づくずっと前から君の存在に気づいていて、避けようとするから」

「足で近づくということはやっぱり難しいですよね。」
「そうだね」

「デナリでは冬でも見ることができますか?」
「たぶん。雪をバックに撮るのはいいかもね。」

「一番いいアプローチ方法は何ですか?」
「僕ら研究者がやっているように飛行機で無線を使って追うという確実な方法があるけど・・・。」

「むずかしいですね(笑)」

「最後にすみません。デビッドメッチさんは今でもここへ頻繁に訪れるのですか?」
「頻繁ではないけど、くるよ。いつ来るかは僕にはわからないなあ。いまは僕はオオカミに直接関わってないからね。」

「あなたの研究書類をなにかもらうことはできますか?」
「古いやつだけど、これ。」

「ありがとうございました。」

彼の学会で発表した資料をもらって部屋を出た。なぜ研究対象を変えたのか尋ねたが、ムースの個体数の方が今は重要だと言うことしか聞き取れなかった。もっとたくさん話してたはずだけど。もっと英語に慣れなくては、詳細情報が得られない・・・。

(ちなみに会話の中のデビッドメッチとはミネソタ大学のオオカミ博士のことである。オオカミといえば Mech という印象が僕の中にはある。)

彼がくれた資料を早速読んでみた。カナダの学会用のものは『ムースの個体群動態に伴うオオカミの繁殖率の変化について(1992)』。ワイルドライフジャーナルに寄稿されたものは『オオカミコントロールによる有蹄類の増加について(1996)』オオカミコントロールをうまく訳せないけれど、この魚類狩猟局と連邦政府がオオカミの数が増えすぎないように個体数を管理している。増えすぎた場合は狩猟制限を緩めたり、屠殺したりして調整している。そのことである。有蹄類とは、蹄(ひづめ)のある哺乳類、ムース、カリブー、エルク、などなど。研究対象を変えたとはいえ、彼は食物連鎖の一点を研究しているに変わりはなかった。焦点をオオカミからムースに変えたことで何がわかったのだろう。

とにかくじっくり調べて行きたい。11月の後半になればこれらの調査に時間がかけられそうだ。

2008年11月11日火曜日

Fairbanks photos

到着すると、北極オオカミがお出迎え。剥製にするとやはり表情は変わっちゃうんだな。

フェアバンクスの街並み。少し黄ばんだ空気があるのは、このまちが暖房器具やその他燃料を使いすぎているからとのこと。

サーモン加工工場。フェアバンクスダウンタウンの南にある。なかでは試食をしながら加工の様子を観察できる。試食に夢中で、加工の様子を見るのを忘れてしまった・・・。

初めてこれを見る人は何を思うだろう。アラスカ大学フェアバンクス校のキャンパス内にある総合博物館で。

オーロラ観測の場所(シャンダラーランチ)オリオン座が北東の方角にではじめた。
星は写真のように空を埋め尽くすほど。流れ星も見上げて30秒もすれば見れた。



シャンダラーランチ牧場のおじいちゃん、おばあちゃんと、フェアバンクスにつれてってくれた僕の友達。ここで食べたムースの肉はおいしかった。

フェアバンクスの北東から南西方向に見た夕焼け。先に見えるのはマッキンリー山。



フェアバンクス郊外の風景。ほんとうに写真のようにピンク色できれいだった。



2008年11月7日金曜日

ありじごく


母親が日記を送ってくれた。僕が書いた、小学四年の頃のもので、中には理解不能の文章もたくさんあったが、その頃の僕の考えが記されていた。1992年6月、ちょうどこの月は、映画「Into The Wild」(2007)の主人公クリストファーが実際にフェアバンクスの大地で孤独で厳しい生活を送っていた月である。その遥か南西で、僕は平和にもありじごくについての日記を書いていた。日記、といっても詩のように短いが、ちょっと面白かったので書き写してみた。

ありじごく

きょう、ありじごくを、見つけました。
そこは、なんと、ぼくの、家の、ガレージの、下にありました。
そして、大っきいのと、小ーさいのと、5つぐらいできていました。
ありじごくのすは、ありがはいってしまうと、すべってでられなくなるようになっています。
でも、ありじごくの小ーさいのは、ありを、入れても、出てしまいます。大っきいのは、入れたら、ありじごくにすわれてしまいます。
すわれるというのは、血かなにかを、すっているとおもいます。
なぜかというと、いつもありを入れたら、はらのふくらんでいるところだけ、すなにうまって、50秒ぐらいで、ありじごくが、「ポンッ」と、ありを、すてます。そのありはもう死んでいます。
そのありはかわいそうだな、と思ったんだけど、ずっと見ているとたのしいです。
もっと大きくなって、ウスバカゲロウという虫になってほしいです。


ま、この文章が小学四年生としてどうなのかは不明だが、なかなかいい観察の仕方をしているなと感じた。今の自分からすれば、もっと深く突っ込んだ内容がほしかった。ともあれ、いちおう論理展開もしてるので良いということにしておこう。また、不思議なことに、この観察をしたことの記憶は、この日記を読むことではっきりと甦ってきた。ありじごくが住み着いたのにも訳があった。三島の実家のガレージはカーポートがあるために梅雨でも雨が注ぐことが無く、芝生の枯れた部分が夏に亜熱帯砂漠と同じ環境になる特殊な部分だ。こういった特殊な乾燥した砂地に住み着くありじごくが、木造建築し始める時代以前の日本にもいたのだろうか。森やちょっとした洞窟のようなところを見つけられるにしても、ウスバカゲロウにとってありじごくとして生活する幼虫期が梅雨と重なってしまっては住みにくいはずだ。

ところで、ありじごくを実際に見たことがある人はいまどれくらいいるんだろう。この昆虫は普通に生活していたら見ることはできない。成虫になって飛べるようになったウスバカゲロウだってそんなに見れるものじゃない。実家に帰った時にはまた見つけて観察してみたいと思う。

秀逸な研究を見つけたので興味のある方は→こちら 小学生でこれだけの研究ができるのか・・・。今の子供はすごいのかも。

2008年11月3日月曜日

投稿特集 第四回:オーロラを見る!+撮影方法


予定が好転して実際に自分がオーロラを見ることとなった。友達が日本から来てくれて僕をフェアバンクスまで連れて行ってくれたのだ。机上の空論述べてる場合じゃないよと言われて・・・(笑)そして、幸運にも一度のトライでオーロラを見ることができた。写真はその時のものである。(ちなみに左下の赤いライトは街灯です)以下撮影情報。10月26日22時03分、天気:快晴、月齢:ほぼ新月、気温:−20℃くらい、方角:北西、シャッタースピード30秒、ISO感度3200、絞り開放。焦点距離:∞、三脚使用、NikonD300を使ったので、思っていたよりも楽に撮ることができた。見たものはそこまで明るいオーロラではなかっただろうが、モニターに写されたオーロラを見た時はとても感動した。たぶん明るいオーロラなら、ISOを下げてもうまく行くだろう。また、ケーブルリリースがあれば、バルブ撮影(シャッターの開閉を手動で行う撮影方法)をもちいてもっと鮮やかに撮ることができると思う。
 他には待機する際は部屋の中をできるだけ暗くしておいた方がいいということ。これも実感できた。明るいところから出てすぐには暗い夜空を見上げてもあまり良く見えない。これは星がどれくらい見えるかで計ることができると思う。明るい部屋から出て15分くらい夜空を見ていると星が見違えるように綺麗に、そしてたくさん見えてくる。実際オーロラが見えたその日は、星も無数に輝いていてとても綺麗だった。
 
 THE AURORA WATCHER'S HANDBOOK -NEIL DAVIS- によるとフィルム選びを誤るとフィルムによっては相反則不軌(露光時間が長くなるにつれて生じる感度の低下)が起こるので注意が必要とのこと。デジタルではこれが起こらないのでデジタルがいい。また、今回のオーロラは小さめだったので、長時間露光で写せたが、揺れるような大きな物の場合はできるだけシャッター速度を落とした方がいいとのこと。著者は最後に気温についてはかなり気を配った方がいいと述べている。オーロラ撮影の後でこの本を見つけて読んだので手遅れだが、外気温が氷点下の場合、暖かい部屋に入ったり出たりを繰り返してはいけないとのこと。これにはかなり反省した。友達のカメラも壊れていないことを祈る。
 いずれにせよ、マニュアル機能付きのコンパクトデジタルを使うのが一番簡単に撮ることができる。友達はGRを使って、楽しんでいた。今回オーロラを見ることができたのも彼らのおかげだし、特集内容も充実したと思う。彼らには本当に感謝。

 次回はカーテンのようなオーロラを見てみたい。



2008年10月18日土曜日

投稿特集 第三回:赤祖父俊一さん

 オーロラについて語るためには、この人について知っておく必要がある。アラスカ地球物理学研究所の所長を長年務めた赤祖父俊一(あかそふ・しゅんいち)さんである。氏はこれまでオーロラ現象の定説とされてきた理論を何度も覆してきた方である。初めて”赤祖父”という名前を知ったのは僕がアラスカについてしらべていた昨年の冬のことである。静岡県三島市立図書館で、赤祖父さんの自伝的著作、”北極圏へ”というタイトルの本をみつけて、本人のオーロラに対する情熱に引かれ、一気に読んでしまったのを覚えている。ちなみに氏は故星野道夫さんとも交流があり、定かではないが、星野さんの有名なオーロラを背景にマッキンリー山を撮っている写真は、赤祖父さんがお願いをして撮りにいったんだという。その撮影の大変さについては”アラスカ光と風”(星野道夫著)のなかで時に苦々しく語られている。今回、赤祖父さんの研究についてというよりも、ある一つの”きっかけ”をテーマに書いてみたいと思う。

赤祖父さんは1930年に長野県佐久市の生まれで、父親は旧制中学校の英語教師。
自宅でも英語教育の研究に励み、家庭には本があふれていた。

 ”母がよく口ずさんでいたのが、「さすらいの唄」でした。行こか戻ろかオーロラの下を、ロシアは北国果て知らず……。5歳くらいになって大体の意味が分かってきましたが、オーロラという言葉だけは分からなかった。意味をたずねたら「遠い北国の空に現れる美しいもの」と答えてくれたのを覚えています”

 学部を卒業するころには「オーロラ研究をやろう」と心に決めたそうだが、道はまっすぐではなく、なんとか資金を捻出せねばならなかった状況だったと語っている。
その後、長崎大学で助手のポストを得たが、長崎ではオーロラの研究はできず、1年半ほどで仙台に帰り、東北大学の大学院に入っている。

 ”そのころ短波通信の乱れに関する研究が盛んで、電離層委員会という研究会がありました。大学院生も末席を汚しており、あるとき私が何かを発表したら、南極観測隊の隊長を務めた東京大学の永田武教授から「チャップマン・フェラーロの論文を読んだか」と尋ねられました。私は名前も知らなかった。そうしたら「君はオーロラについて発言する資格はない」と言われてしまいました。大学の図書館で論文を見つけて読み始めたが、難しくて分からない。そこで、論文の著者であり地球物理学の大家であるシドニー・チャップマン教授に質問の手紙を書きました。駆け出しの院生に返事をくれるはずないとも思ったのですが、すぐに返事が来て「あなたの質問には私も全部答えられない。アラスカに来て私の下で研究したらどうか」とあった。留学など夢にも思っていなかったので「貧乏院生だから無理です」と断りの手紙を書いた。そうしたら小切手が送られてきた。こうなったら行かざるを得ないということで、1958年末にアラスカ大学地球物理研究所に行きました。”

と、淡々と脚色も無く語られているが、送った手紙のレベルが桁違いだったんだろう。あるいは、氏は研究者としてつねに想像力が豊かであったと言われているため、地球物理学の権威であるチャップマンでさえも考えもしなかった発想から書かれた疑問だったに違いない。チャップマンに出会ってからは研究者として恩師の生涯を終えるまで、研究をともにしている。アンカレッジの旅行会社のA氏は赤祖父さんとよく会われており、氏の濁りない純粋な性格を賞賛されていた。一度手紙で断っているものの、”きっかけ”あるいはチャンスに対する事前の準備が整っていなければ、こういった道が開かれることはなかっただろう。それにしてもすごい幸運だ。

 現在赤祖父さんは研究所を退任されており、基本的には日本におられるそうで、11月に氏がフェアバンクスに戻るということで、会いにくるようにと呼ばれているそうである。チャンスがあれば僕もぜひ会いにいきたいものだ。


以下、日経新聞に連載された赤祖父さんに関する記事である。どんな方なのか想像しながら読んでいただきたい。


2008年10月13日月曜日

投稿特集 第二回:オーロラの発生としくみ

  そもそもオーロラはどのように発生し、消えていくのだろうか。
どうせ見るのならただ綺麗、というよりもなぜそれが発生しているのか、ということを知った方がより想像力が駆り立てられ、地球の神秘を実感できるのではないだろうか。僕は、想像力を膨らませるにはかなりの程度の背景知識が必要だと思っている。未知のものを知らないまま一生懸命イメージするというだけではなくて、その対象となる事柄について、より深く知識を積んでおくことが、より深い感動を得ることにつながるものだと考えている。もちろんこれは僕のスタンス。知らないままにしておいてオーロラに対して畏敬の念を抱くのも一つの手段だと思う。

◉ MECHANISM
 それではオーロラはどのように生じるのか。アラスカ大学の研究所が発行する旅行者用のパンフレットに基づいて考えてみようと思う。
まず、発生についてのポイントは3つ。太陽から、太陽風と呼ばれる風が毎日地球に降り注いでいるということ。地球は大きな磁石だということ。太陽風と地球の空気が衝突すると電気が発生するということ。要約すると以上。


次に図を見ながら。太陽風とは太陽から吹き出す高熱のガスのことで、海王星にまで到達するほどの勢いがある。このガスは電離した水素ガス。これが地球に降り注ぐわけだが、地球の磁場によってそれは地表には到達できず、地球の夜側にプラズマシートとしてそのガスが溜まる。この溜まったガスが、一気に地球の大気(酸素原子などの粒子)に向かって衝突してくると、オーロラが発生するということになる。このとき、非常に強力な電力が発生するので、オーロラが強く出る時は短波通信や国防レーダー網などに重大な障害をもたらす。このように地球の磁力が深く関係している。

◉ LOCATION

 オーロラは北国で見るイメージが強いが、実は北で見えているときに同時間帯に南極側でも発生している。(右図は南極光のみ)南極光についてはキャプテンクックがインド洋南部を航海中に南でもオーロラが発生していることを発見し、その後アラスカ大学地球物理学研究所が、飛行機を二機、北と南の対称点に飛ばし、そこへ到達したときに両方のオーロラの状態を記録してこれを証明している。ちなみに南極光のこのクックの発見は18世紀後半ということになるが、ここまで遅れたのも、南極側のオーロラベルトにヒトが生活していないためだろう。
 高度については発生している色においても異なるが、地上約100kmから500kmの高さで発生。低い位置だと大気濃度が濃いためたくさんの電子が粒子に衝突できるので明るいオーロラが、高い位置だと粒子濃度が薄いのでうっすらとしたオーロラがでる。

◉ COLOR

 オーロラには大きく赤緑青の三種類の色がある。ここで虹について考えると、虹は七色ある。どうしてだろう。オーロラの色について文献を読んでいるときに、ふと疑問に思ったことである。太陽の影響でいろんな色を生じるという点ではオーロラも七色に見えてもいいように思える。しかし、虹とオーロラには根本的な違いがある。虹は、太陽の光が水滴に反射して、その連続的な屈折した光を僕らは見ているということ。そしてそれは7色ではなく、連続した波長なので無限色あることになる。これに対してオーロラは、太陽から来た電子が地球にある限られた原子にぶつかって、色が反射ではなく発生しているということ。現に、太陽風の電子と地球にある窒素原子が衝突すると青いオーロラ、酸素原子が衝突すると緑色のオーロラと赤いオーロラが発生するという。先述したが、高度が低いと大気の濃度が高いので、そこにプラズマガスが注いだなら強く光る。一般的に、緑白色で見られるオーロラの頻度が一番高いと言われている。つまり、虹は光の科学、オーロラは分子の化学といえる。

 以上のように、オーロラは奇跡ではなく物理的に頻繁に地球上で発生している。そして、赤く濃いオーロラは非常に稀で、これを見れたら運がいいと言えそうである。このような真理を理解することは非常に面白い。これを機に時間を見つけてより深くオーロラについて知りたいと思うようになった。また、このように仕組みを論理的に理解し享楽できるのは人間だけの特権だが、動物たちはもっと違う領域の現象を知覚しているのかもしれない。ヒトが見るオーロラや風景よりももっと壮麗なものを見ているのではないかと思うとうらやましくも思う。




"それはつまりわれわれが世界に於いて覚知し、領解するものは、万象の中のほんの一端であって、われわれの目の前にあらわれ、又われわれの感覚と魂とに印し得るだけのものに過ぎないのです。しかし、其の余のものは無限の茫漠の中に沈潜しています。そしてわれわれの極く近くでさえも、無数のものがわれわれには匿されています。われわれが其れを捉え得るように組織されて居ないのです"
       —オーギュスト・ロダン(ロダンの言葉 訳:高村光太郎)