2009年12月28日月曜日

California

冬休み、カリフォルニアへ旅行。
アラスカと同じ季節とは思えない景色。
初めての旅行地で「わー、きれい」という感情からシャッターを切らないよう注意して撮影した。あまり準備に時間をかけられなかったが、アラスカとの植生の違いとカリフォルニアの土地の特徴をとらえようと試みた。



サバンナ気候ほど強くないが雨期と乾期があるため、ダム建設の必要性がある。2006年に最高水位を記録するなど、近年に不安定な気候の兆しが見られる。今年は逆に旱魃の大きな問題を抱えている。




ところどころこのような枯木が見られるのは落雷か、古くなって自身の重みに耐えられなくなった古木だろう。




原住民インディアンは姿を変えてしまったが、昔の彼らの生活の様子を現代の子孫たちが学べるよう再建をかさね、村が保護されている。ここはミウォク族の部落。




横に大きく広がろうとする木々が多い。



1500mほどまで登ると、南アラスカの植生に似てくる。しかし地球が激しく大地を煽動している様子は異なる。



 ゆっくり観察していると、アラスカの大地よりも緯度の低い本土のカリフォルニア部分のほうが地形の変動速度が速いのではないかと思えた。それが気候から来るものなのか、マントルの活動からかわからないが興味深い違いを見て取れた。
 本腰をいれて動物を追う撮影行をする時間は作れなかったが、次回またくるための視察ができたと思う。






2009年12月9日水曜日

Final Portfolio

授業での最終ポートフォリオ





































2009年12月8日火曜日

Artist Statement

期末試験の週に入った。自分のすべきことはプレゼンの準備を徹底することだけ。写真はもちろん風景と動物の自然写真。なんとか自分の写真を共有してもらおうと、アーティストステートメント(芸術家としての大義名分みたいなもの)をつくってクラスメイトに配る予定だ。そうでもしなければ、今の状態で自分の言いたいことは、しゃべりだけでは伝わらない。

ステートメント
 写真撮影を通して、私は風景や動物のそれぞれが持つ特色を表現したいと考えている。それをする理由として、結果として人々の注意を自然へ向けることができるからである。最終的に、その人々に自然保護への貢献となる行動をはじめてもらえれば幸いである。したがって、その第一歩として、私は人々に写真を通して、自然や動物に興味を持ってもらうことから始める。
 そのために、私は現在写真を編集する際に、動物の機微、その場の空気感、対象物の臭いなどの実感覚を写真に含めようと、実験的な試みをしている。これが今回のポートフォリオの写真の中で色彩を強調したり、強いコントラストやシャープネスを使う理由である。(もちろん、誇張表現は避けなければならないが。)
 私が以前までに勉強してきた動物行動学、解剖学、生態学などが、自然の持つ特異点をとらえるための重要な要素となっていると信じている。これを考慮に入れたうえで、このポートフォリオは私がそれぞれの対象の特徴を強調し、その美しさを表現しようとした一つの実験結果となっている。


Artist Statement
When taking a photograph, I want to express the peculiarity of a place or an animal. My reason for doing this is so that I can bring nature to people’s attention. I hope, as a result, people start taking actions that contribute to the protection of nature. Thus, my first step is to make people become interested in nature and animals through my photographs.
To this end, I am empirically trying to put real feelings into my works, by such means as highlighting the subtleties of animals and the atmosphere of a place, and representing the smell of a subject, when retouching pictures. This is why I enhance color and use high contrast and sharpness in this portfolio (Of course, I have to avoid exaggerated expression).
I believe that my previous study of animal behavior, animal anatomy, and ecology are important factors in how I capture the peculiarities of natural scenes. Taking this into consideration, this portfolio is one of the results of my experiment where I attempt to emphasize a feature of each subject and express its beauty in each photograph.

 このステートメントを作る時、どうしても後付けになってしまうような部分が出てくるのが否めなかった。なぜなら、常に上述したようなことを考えながら撮影している訳ではないからだ。しかし、自分の脳裏にある部分をもっと掘り下げて、なぜ写真を撮るのかを考え続けていかなければならない。



2009年12月5日土曜日

Victor, from Dominica Republic

学校のクラスメート、ビクターが家族に写真を送りたいというので撮ってあげた。とにかく「かっこ良くしてくれ」って言っていた。











にしても楽しいヤツだったなあ。

2009年11月16日月曜日

Barrow -町の犬たち-

























Barrow -町周辺に住む動物-

北極圏内に入ると、そこに住む生物の数はすごく限られてくる。
それでも、未だに不思議に感じることではあるけれど、この極寒の地に住み続ける動物たちがいる。このバローの町で見られる有名な動物は、クジラ、ホッキョクグマ、キタキツネ、カンジキウサギ、シロフクロウ。ほかにホッキョクオオカミやカリブーを見かけることもあるそうだ。



ボーンパイル

クジラは春先と秋の中頃。僕が訪問したときはすでに秋シーズンを終えていた。写真は町で捕れたクジラのいらなくなった部分が捨てられたり、死骸が集められたりするところ。


ホッキョクグマ

かなり遠方だが、なんとか確認できた。現地のガイドに聞いたところ、12月は所中見かけるが、太陽がでないため写真には適さないことや、夏でもよく来るという現地でしか聞けない情報もくれた。この日は水面の氷が薄かったため、車でより近くへアプローチすることができなかった。


キタキツネ

町周辺にいる個体は警戒心が強いのだろうか。この後すぐに姿を消した。真っ白で、思っていたより見つけるのが難しい。


シロフクロウ

フクロウは夜行性のイメージがあるが、この種は日中よく動く。古くから白夜のシーズンも行動してきたからだとされている。バローは森林限界を超えているため木々がなく、「木にとまるフクロウ」という姿も見られない。写真はちょうどカモメを捕らえたところ。






2009年11月9日月曜日

Barrow -現在の姿-



米国最北の町
(大陸の一番北に表示されているのがバローの町)

つい最近まで原住民たちはこの町を拠点とした狩猟と採集の暮らしを営んでいた。



クジラの骨で作られたアーチ

バローという町の紹介写真などで必ず見つけるこのオブジェクト。今では町のシンボルになっているが、昔から住む現地の人に聞いたところ、誰かがおもしろがって始めたら、いつの間にか有名になってしまったそうだ。



バローの街並

上の写真のように送電線と小さな家屋が、まるで日本の田舎町のようだった。10年前にこの町にきたことがあり、現在町のレストランで働いている韓国人と少し話しをした。彼女の話しによると、現在はほとんど10年前の人々の暮らしが見られないという。クジラ漁も人々の生活のための手段から、観光客を交えたひとつのイベントのようになってしまったそうだ。ほかにも、ほとんどの住民が車を持ち、子は他の都会の大学へ行くようになっている。近代化の波が昔の暮らしを一掃してしまったのだという。
また、アラスカの全住民にはPFD (Permanent Fund Dividend=アラスカから産出された石油による利益を毎年人々に還元するプログラム)という特権があるが、原住民であるイヌピアックエスキモー(Inupiaq)の人々は、それ以外の人々の3〜4倍もらっているという。その額はは何もせずに毎年50万円もらえるのと同じくらいだ。
もちろん彼ら本来の文化を維持しようとダンスや伝統工芸の出展などの催し物を頻繁に行っているそうだが、それが本来の生活の一部に戻るようなことはもうないのだろう。



北極海の夕焼け



現地の子供




2009年10月24日土曜日

クラスノート

今日の授業にナショナルジオグラフィックでエディターとして働いていた、Clark James Mishler がゲストで招かれた。理由はこのクラスの教師であるマイケルが彼のもとで数年働いたことがあることからだった。現在はアンカレッジを拠点としてフォトグラファーとして活動を続けている。

授業が始まるなり、ものすごいテンポで話しだした。しかし滑舌はクリアだ。

「このなかでフォトグラファーとして働きたい人は何人?」
「だとしたら何をするの?」
「わたしはコマーシャルフォトグラファーで、お金のためにやってる。それが第一。」
「ちなみにあなた方は何歳?20ならいいけど、22、3なら今もっているやりたいことを半分に自分で絞りなさい。」
「28をすぎたなら、それをさらにまた半分に絞るべきです。」
「人生は短く、選択の連続です。」

「では、写真の話しを始めましょう。」


イントロで脳が研ぎすまされる感覚だった。授業全体を通してみて、「写真を見る目を養うための基礎講座」と題するとわかりやすい。
何がいい写真で、そのどこがよりよい写真なのか、ということは誰にとっても漠然としているのが普通だ。ただ、どちらが良いということだけがわかる。その「なぜか」を簡単な定義付けをすることで、よりクリアにしていく。その定義のいくつかを彼が教えてくれた。

1. Diagonal Line(斜線) 2. Pattern (パターン) 3. Back Light(逆光) 4. Crop(トリミング) 5. Tilt(傾けること) 6. Flame(フレーミング) 7. Silhouette(シルエット) 8. Motion (動体) 9. Contrast (対比) 10. Scale(スケール) 11. Angle of View(カメラアングル) 12. Rule of Third (黄金律) 13. Selective Focus(フォーカスの選択) 14. Color(色使い)15. Negative Space(余白)

などなど、ほかにもいくつか言っていたが聞き逃した。しかし、なかでも1、3、9、と11の4つが重要で、他写真家との差別化を図るためのキーエレメントであると言っていた。



たとえば、左の写真は彼の写真だが、上記の要素のうちどれが当てはまるだろうか。








答えは、1、2、3、11、14。
メイン構図として1の Diagonal Line をもってきている。




ほかに、基礎をすべて意識できるレベルをクリアした後の、意識すると良いポイントを一つの基準にまとめて教えてくれた。それはFABRICという一つの単語に集約できる。Foreground and Background Repetition Interactive Contrast (前景と背景のコントラストの関係性を繰り返すこと。) 


たとえば、左の写真(同じく彼の撮ったもの)では、写真中の右側背景は暗く落としてある。つぎに、女性の顔半分右側に光を当てて明るくしてあり、顔の左側はやや暗い。そのさらに左側の背景スペースは壁に光を当てている。このように、左から、明暗明暗の順で構図を整えている。この前景と背景とのコントラストの繰り返しがいい写真になる基準として、かれはポートレート写真を撮り続けている。それにしてもファブリック(編み物、合成物)とはよく言ったものだ。



なにを良い写真として見るべきなのかが漠然としていたなか、この授業によって一つの解決の道を見いだすことができた。いままでやっていた自分の写真観察トレーニングとして、写真がどのように撮られたのかを分析する、過程の分析に加えて、その写真のどこが人に感動を与える要素となっているか、あるいは出版されうるものに仕上がっているのかを考える、効果の分析の必要性を強く感じた。これからのトレーニングにこれを含めてすすめていこうと思う。







2009年10月17日土曜日

Japanese aesthetic sense

 左の絵は「騎象胡楽図」といって、奈良正倉院にある日本の絵画である。見たところ中国の絵のようなのは、紀元前の時代の中国から影響を受けているからだとされている。しかし、この絵画自体は中国が唐の時代に日本で作られたものであり、当時すでに日本のこの絵に用いられている画法は中国のそれと異なっていたそうだ。

この絵から見て取れる風景画の特徴として、二方向からの風景を遠近法の妙技によって、それらを不自然なく融合させている点にある。具体的には前景に、象とともに踊る4人のひとたち(主対象)を用いており、背景にその土地の様子を用いて、中景でそれらをとけ込ませている。

この技法は、遠近法の矛盾をその時代、故意に興したものととらえるべきなのか、それとも、次の水墨画の時代でこの技法が修正されたように、技術的な未熟さから、発展途上のものとしてとらえるのか、そこを文献から読みとるのは難しい。しかし、写真をやる場合に、これを一つの確立された技法ととらえ、この技法を応用させることは可能である。
それをした場合、少なくとも3カット(主題1カット、風景2カット)必要になり、合成することになるのだが、それが真実性を失うかと言えばそうではなく、一つの土地柄を表現する芸術として考えることができるかもしれない。

日本人である限り(というような考えはやはり留学すると身に付いてしまうものなのだろうか?)、その芸術の歴史を知る必要が出てくる。日本人の感受性は自分のそれと何らかの関連があるだろうし、外国人の撮る写真と自分の切り取る写真とに違いを感じるのにもこの点から理解できるかもしれない。どちらが優れているか、というようなことではなく、日本人の観点からの写真を撮る必要はありそうだ。