2008年5月31日土曜日

部屋のかたづけ -part 2-

どうやら癖があるようだ。

僕が部屋をかたづけることは稀だが、急にその衝動に駆られることがある。
いままではその衝動の根拠なぞ問うこともなかったのだが、最近は自分の行動をチェックするようにしているため、ひっかかった。
一般的には、「部屋が汚い」→「気持ち悪い」→「かたづける」が正常な行動の根拠だと思う。でも自分は違った。
たとえ「部屋が汚い」とわかっていても平気。
しかし、自分の頭の中が乱雑になっている時は別のようだ。部屋が汚いことにストレスを感じる。そんな時は部屋を片付ける。そして、片付けながら自分の頭の中を整理していく。
するとすっきりする。

どうやら自分の部屋と頭の中の乱雑さの値はリンクしているらしく、ある程度の量の頭の中のそれが増大していくとストレスを感じ、秩序を取り戻そうとするらしい。いろんなものを削除&撤去しながら「これはここ」「これはこういうこと」というように、部屋と頭の乱雑さを徐々に減少させていく。
だから「頭の中が乱雑」→「気持ち悪い」→「外部環境を整える」となるようだ。
変な癖かどうかは人に聞いたことも無いのでわからない。ただ、僕はそういう癖があるのだとわかった。

I got a certificate of admission and then it turned out a huge courage

やっとアラスカ大学から合格通知がきた。I-20も一緒だ。
昨日までアルバイトは続けていたものの、3週間くらい休憩していた。

これからまたたくさんの申請作業と登録作業が始まる。
クラススケジュールの冊子と寮の登録から利用までのガイド冊子だけでも100ページくらいある。ほかにビザ申請、教育ローン借り入れ、編入手続き、オリエンテーションについてと各支払いなどの、留学までのすべての To Do を含めるとあまり時間がない・・・。
8月半ばには渡米だ。

しかし時間はないものの渡米前にできるだけ友人とは会っておきたいと考えている。2年経ったら一時帰国するも、その後、米国で働くことができたらそっちに行く可能性もあるからだ。
一昨日から合格を知らせるメールを全員の友達に送信している。その返信は何よりの励みになる。僕の尊敬する友達の一人は、「人は最終的には独りだ。人とどんなに関係を深めても。」そんなことを言っていたことがあったが、みんなからのメールを読んでいると独りとは考えられない。とにかくこの「合格した喜び」→「友達から得た勇気」への転成は僕にとって大きなものとなるだろう。

2008年5月6日火曜日

The World Heritage Committee

先日アンコールワットの写真を編集していて、ふと世界遺産についての疑問が生じた。
世界遺産への登録という意味では現在僕は富士山が世界遺産に登録されることを望んで応援しているということもあって、どのような仕組みで、ある国の物件が世界遺産に登録されてきたのかを心得ていたつもりだった。
世界遺産のなかの文化遺産登録について簡単に経緯を説明しておく。まずその物件を持っている国が、自国内部で検討する。次に、NGO団体であるIUCNに推薦状を提出する。IUCNにて事前調査(ビュロー会議)がなされ、ここをスルーしたらようやく国連機関であるUNESCOにおいて世界遺産会議(The World Heritage Committee)が開かれる。京都会議では日本もこの議長国として出席したりしている。ここでの会議で採択された物件のみが「UNESCO世界遺産」とされる。
では何に疑問が生じたかということを述べておくと、この登録基準に疑問を抱いた。世界文化遺産50選などの出版物を眺めてみると圧倒的に石造建築物が多い。僕の持っている雑誌にはロシアのキジ島の木造教会以外はすべて石造建築物だった。登録基準が欧米の価値観に偏っているようにしか感じなかった。木造は残っているものが少ないんだし、世界的に石造での文明が多くを占めるのだから当たり前だというかもしれないが、その考え方こそUNESCOの定めている定義に反する。数量の問題ではない。むしろ朽ちやすいものならより一層保護していく必要がある。
後日よく調べてみた結果、やはり欧米偏重の価値基準で採択されていたようだった。そもそも日本など木造建築が文化財の多くを占める国が、UNESCOへの加入が遅い。日本は1992年である。以後、京都、古都奈良の文化財が遅れて登録されることになり、先に述べた京都会議などにおいて、日本は木造建築の文化価値的な重要性を訴えるとともに、その偏見を打破しつつある。こういった活動は非常に重要だと思う。日本の加入が遅れた原因については、自国内で一定の文化財保護基準が既に固まっていたことと、当時世界文化についての関心が低かったことなどがあると言われている。最近では米国とともに、世界遺産基金への拠出も締約国ではトップを占める。
話しをアンコールワットに戻すと、その貢献は顕著だと思う。アンコール遺跡群については上智大学学長の石澤良昭氏をはじめ、研究、修復などほとんど日本がやっていると言える。石澤氏は去年、現地住民へ自国の歴史を知ってもらうことと、観光客の見聞のために遺跡群の近くにシハヌーク博物館を開館させた。この博物館設立は、自国の歴史をより深く知る必要があるという石澤氏のカンボジアの子供たちへの意思に寄るところが強いと思う。
この石澤氏の例のように、世界にあるすべての遺産が平等に保護され、全人類のために維持されるべき、という視点が重要なのだろう。これこそUNESCOが持つ世界遺産の定義であり、締約国がおのおの自国の遺産を主張するのが世界遺産会議の目的ではない。もちろん上述した京都会議における日本の主張も、日本国京都あるいは奈良の木造建築を例に出すにとどめ、「木造建築一般」の主張をするという節度が大切。今後そういった視点に立って富士山の登録についても考えてみたい。

とまあ、写真の勉強をしているとついつい横道にそれる。でもこれもまた被写体を知るという意味においては重要か。

※ハイパーリンク先には英文ページを多く持ってきているが、なかの写真を見ればそれがどんなものかわかるようなページを優先している。

2008年5月3日土曜日

photo in black and white


今日は下田に行った時の写真。
編集しながらモノクロプリントもいいと思った。自分は専らカラーで、彩度も高めの写真でやっていきたいと考えていたが、あまり早いうちから絞る必要は無い、とも思った。
というのも以前からの考えによる。写真を撮り始めて未だ間もない(いまも十分間もない時期だが・・・。)頃は人間によって数を減らし、希少になった動物やその危惧性を訴えるにはモノクロも良いという考えが、はじめはあった。しかしよく考えると、自分の表現したいことはそういった悲観的なものの見方ではないとわかって、以来しっかりカラーで人の見る目で、という考えに至っていた。そういった経緯があったのだが、今日この写真をプリントしていて、考え方を改めさせられた。アンセルアダムスの写真を考えさせられたということもある。アンセルは「パン・フォーカス」を使って対象すべてにピンをあわせる技術を駆使しているのだが、彼の現すものも現実で、モノクロが現実を現していないというワケではない。彼の写真についてあまり多くを語れないが、直感的に「いい」と感じるモノクロだとおもう。

そもそも、このカラーにするかモノクロにするかという択一の考え方こそ早とちりだと思うようになった。場合によって使い分けていこう。そう思った。

アンセルの写真はこちら→ アンセル・アダムス