2008年5月6日火曜日

The World Heritage Committee

先日アンコールワットの写真を編集していて、ふと世界遺産についての疑問が生じた。
世界遺産への登録という意味では現在僕は富士山が世界遺産に登録されることを望んで応援しているということもあって、どのような仕組みで、ある国の物件が世界遺産に登録されてきたのかを心得ていたつもりだった。
世界遺産のなかの文化遺産登録について簡単に経緯を説明しておく。まずその物件を持っている国が、自国内部で検討する。次に、NGO団体であるIUCNに推薦状を提出する。IUCNにて事前調査(ビュロー会議)がなされ、ここをスルーしたらようやく国連機関であるUNESCOにおいて世界遺産会議(The World Heritage Committee)が開かれる。京都会議では日本もこの議長国として出席したりしている。ここでの会議で採択された物件のみが「UNESCO世界遺産」とされる。
では何に疑問が生じたかということを述べておくと、この登録基準に疑問を抱いた。世界文化遺産50選などの出版物を眺めてみると圧倒的に石造建築物が多い。僕の持っている雑誌にはロシアのキジ島の木造教会以外はすべて石造建築物だった。登録基準が欧米の価値観に偏っているようにしか感じなかった。木造は残っているものが少ないんだし、世界的に石造での文明が多くを占めるのだから当たり前だというかもしれないが、その考え方こそUNESCOの定めている定義に反する。数量の問題ではない。むしろ朽ちやすいものならより一層保護していく必要がある。
後日よく調べてみた結果、やはり欧米偏重の価値基準で採択されていたようだった。そもそも日本など木造建築が文化財の多くを占める国が、UNESCOへの加入が遅い。日本は1992年である。以後、京都、古都奈良の文化財が遅れて登録されることになり、先に述べた京都会議などにおいて、日本は木造建築の文化価値的な重要性を訴えるとともに、その偏見を打破しつつある。こういった活動は非常に重要だと思う。日本の加入が遅れた原因については、自国内で一定の文化財保護基準が既に固まっていたことと、当時世界文化についての関心が低かったことなどがあると言われている。最近では米国とともに、世界遺産基金への拠出も締約国ではトップを占める。
話しをアンコールワットに戻すと、その貢献は顕著だと思う。アンコール遺跡群については上智大学学長の石澤良昭氏をはじめ、研究、修復などほとんど日本がやっていると言える。石澤氏は去年、現地住民へ自国の歴史を知ってもらうことと、観光客の見聞のために遺跡群の近くにシハヌーク博物館を開館させた。この博物館設立は、自国の歴史をより深く知る必要があるという石澤氏のカンボジアの子供たちへの意思に寄るところが強いと思う。
この石澤氏の例のように、世界にあるすべての遺産が平等に保護され、全人類のために維持されるべき、という視点が重要なのだろう。これこそUNESCOが持つ世界遺産の定義であり、締約国がおのおの自国の遺産を主張するのが世界遺産会議の目的ではない。もちろん上述した京都会議における日本の主張も、日本国京都あるいは奈良の木造建築を例に出すにとどめ、「木造建築一般」の主張をするという節度が大切。今後そういった視点に立って富士山の登録についても考えてみたい。

とまあ、写真の勉強をしているとついつい横道にそれる。でもこれもまた被写体を知るという意味においては重要か。

※ハイパーリンク先には英文ページを多く持ってきているが、なかの写真を見ればそれがどんなものかわかるようなページを優先している。

0 件のコメント: