2009年7月1日水曜日

Think about Crop



デナリ国立公園で本格的に撮影に入る前に、フェアバンクスに立ち寄った。昨年10月に来たときに比べ街並は青青として日差しも強く、違う町にきたような感覚だった。



アラスカ大学フェアバンクス校の図書館に立ち寄り、バックカントリーのルート計画と、写真について準備している時、ふとトリミングのことが気になった。トリミングとはその意味合いを二大別できる。写真をプリントサイズに合わせるための写真の切り取りと、撮った写真の意図をより強調するための切り取りの二つ。

前者はほとんどの人がプリントの段階で行うことになる。大学の授業で、教授は後者のほうはなるべく避けるべきだと話していた。なぜならファインダーをのぞいているときに考える構図がおろそかになりがちだからだと。他にも、写真に詳しい方の意見では、撮影後のトリミングを想定していると写真のセレクトの段階で非常に時間がかかる、という考えも聞いた。

はじめは僕もこれらに同意できていた。しかし、いま僕はこれに関して疑問を抱いている。たしかに撮影後のトリミングを想定していてはその場での感覚がいい加減になってしまう可能性はあるし、トリミングをすればするほど、後のプリントサイズに制限が出てくるということもある。だが、本当にいいと思える瞬間をおさえることができたのが、対象物が小さかったなどという時、それでもトリミングをしない方がいいなどとは思わない。例えば下の写真、


これは僕の持っている最長の望遠レンズで撮ったもの。撮る前に撮影後のプリント構図まで想定できていた。しかし、ここは鳥の保護地区で、これより先に足を踏み入れることはできない。上の写真だと、あきらかに曖昧な写真になってしまう。

これをトリミングしたのが下の写真。


なにが、何をしようとしている瞬間なのかがはっきりわかる。日のあたり具合や親の翼の広げ方に少し不満はあるが、目的の構図を得ることができた。しかしこれはトリミングをしている。この写真のプリントは限界A4サイズがいいところだろう。それでも、このように表現できる方を選びたいと思う。ある程度のフォトグラファー意識が維持できれば、撮影後にどうにでもなるなどと思いながら撮影する写真家はまずいないだろう。

いまのところ、僕は撮影後のトリミングでよい写真表現ができるのであればこれを積極的に行っていく。









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