2016年8月16日火曜日

境界線

 ドキュメンタリーであっても、やはり、主観から語らざるをえない。自分の経験から紡いだ物語を、客観的に語るとしたら、とても重要なものを落としてしまう気がする。自然写真は、そこに写る被写体そのものは事実だが、四隅の辺は主観である。切り崩して4辺を決定するという段階で、つまりシャッターを押す瞬間に主観が伴う。さらにそれを、撮影した者が自分で複数枚並べていこうとすれば、主観的表現にならざるを得ないだろう。
 客観的なことに大きく頼ろうとしている自分がいた。アラスカに行くことを決めた時に、主観に従って行動すると決めたはずだ。それを再び思い起こし、作品制作の段階で、自分のスタンスを軌道修正する。この世の「普遍」というものをこらしめたい気持ちも少しは湧いてきた。

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