2008年6月21日土曜日

Darwin exhibition




ダーウィン展に行った。
時間があったので、すべての活字解説に目を通した。ダーウィンは22歳のころ、運よくビーグル号に乗船でき、世界一周の旅に出た。そこの解説のある一節が非常に印象に残っている。「ダーウィンは出発前は無知な収集家だったが、5年後帰った時には一流の博物学者になっていた。」と。 また、船舶滞在中は膨大な量の書物を読んでいて、一流の地質学者や生物学者との手紙でのやり取りをしていたということも非常に興味深かった。
もちろんダーウィンは自分の力だけでそういったチャンスを物にしていったわけではなく、もともと名家の生まれで非常に環境に恵まれていたこと、それによって世界の一流人物とコンタクトを取るチャンスにも恵まれていたことは覚えておかなくてはならない。ただし、それらの恵まれた境遇を棒に振らず、貪欲に、自分の興味のために利用していった強かさには感心させられる。アメリカの16代大統領であったエイブラハム・リンカーンと35代のジョン・F・ケネディが比較されることがよくある。そこである作家がケネディのほうが立派だったという。それはなぜか。リンカーンは貧しい家に生まれ、生きていくための勉学が必然だった。やらなければ死を意味する環境だった。それでのし上がった。対するケネディは裕福な家の生まれで、のほほんと遊んで暮らせた。しかしそんな何もしなくていい環境に生まれながら、非常に強い問題意識と情熱を身に付けていった。そこがケネディの偉いところだという。これには納得させられた。
ダーウィンも境遇としてはケネディのそれと似ていたのだと思う。非常なまでの、今で言うオタク的な好奇心でチャンスを活かすことを考えていった。
そんな経緯が展示で伺えたため、面白かった。

先述したが、5年間という月日がダーウィンを変えた。その航海での彼のしるした日記の内容には、船酔いしながらも胸の躍るような生物種との出会いや、興奮しきった状態で語る地質変動の一説が翻訳されていた。この5年間で、膨大な量の情報(intelligence)と自ら構築した転成説(後の進化論)をもって、その後生涯をかけて論理構成する(進化論を完成させる)ための素地を作った。この5年間は現代になって知られた、当時にしてみればダーウィンにとっての修業時代だったといえる。
僕は偉人たちの自伝を読むのが好きだが決まって共通する点を見出す。そしてそこがその本の核ということになるのだが、すべての偉人たちに共通する点は、ジャーナリストの立花氏の言葉を借りれば、「謎の空白時代」をすごしているという点である。謎の空白時代とは、世間一般、誰にも知られること無く、長い間修業し、知識や技術を自分のなかに蓄積することである。20代でそれを過ごした後、30代で、その知識や技術をアウトプットしていく。この将来のための知識・経験の蓄えが、本人の身を支える。どんなに貧しかろうが裕福であろうが自分に対する自信を持つに至るこの時代。そんな確固たる自分を築く時代が謎の空白時代である。偉人と言われるが天才ではない。すべてが興味に対する固執と努力から成る、言うなれば創作である。


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