2009年5月8日金曜日

写真上達過程回想五年

何か勘違いしているのかもしれない。こういった疑問は時折自分に問うようにしている。

大学三年のころ、写真を始めてすぐにフィルムカメラを壊してしまってから、僕は一眼レフデジタルカメラの Canon EOS Kiss という機種に買い替え、使用していた。この機種は、一眼レフデジタルを一般の人にも普及させるために発売された初心者用のものだった。
3年ほど経ったある日の、自分自身で発言したある言葉を正確に覚えている。前に勤めていた会社で昼食をとりながら写真について話をしていたときのこと。「僕の使っている Kiss(カメラ) はやっぱり限界を感じますね。遅いです。」と言った。確かに動体撮影をする上では、レンズだけではなく、カメラ本体の性能も重要になってくるのだが、今でこそそれを十分感じるようになってきたものの、当時の僕はほんとうの限界を知らなかった。たぶん、いい写真が撮れないことに言い訳をしていただけだった。体験からの発言ではなく、ただの知識からの発言であった。本当にその機種で本気で撮ろうとしていなかったに違いない。そしてそれから2年後の去年の夏、写真のことを深くも知らずに、プロが使用する機種に手を出した。写真は、確かに良くなりつつあった。
写真は今でこそわかるが、経験により上達させていくことができる。そしてそれは、カメラというメカにかかる比重よりも、自分の精神、考えの深さや洞察などのほうがはるかに大部分を占める。そう考えると、いまさら後悔しても仕方の無いことだが、一つの重要な実験を逃しているといえるだろう。僕の写真は、2年前に比べて良くなったことは間違いない。しかしそれは、上級者用カメラに早い段階で買い替えてしまったことによって、純粋な自分の写真の上達なのか、カメラの性能による自分の写真の上達なのかを曖昧にしてしまった。これをもし、kiss でずっととり続けていたらどうだったろう。間違いなく、純粋な自分の上達過程を明確に伺うことができたはずだ。どうせ今でもアマチュアの写真家である。今まで撮ってきた写真などすべて実験にすぎない。どうせなら初級者用のカメラで撮り続けるべきだったのかもしれない。

かといって、いまからそれをやれるほど僕に忍耐はない。1回や2回の撮影行でこういった実験の結果が出るわけは無く、そのため時間もない。今年夏の撮影行はひとつの勝負になるからだ。マクニールリバーでのクマの撮影にその実験をしてみようとはどうしても思えないのだ。初のオオカミアプローチに Kiss なんかで臨みたくない。そこでは自分の最高の機材と状態で臨みたい。そういった意味では技術発展した世の中のように、個人の視点からもそれは後戻りができないのかもしれない。その点で、ひとつの実験を、アマチュアの時にしかできない実験を逃していると言える。

こういうところで、自分の技術発達の苦労をお金で簡単に解決しているために、長い時間をかけて自身を精進させていったひと昔前の写真家のような、深みのある写真が自分に撮れることはないのかもしれないと考えてしまうこともある。ほんとうのところはわからないが、ただ、あるひとつの、おもしろみのある実験を逃したという事実だけは残る。



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