2008年8月7日木曜日

70メートルくらいの絶壁の途中で、下は海。体をザイルでしばりつけたまま、何時間もねばるんです。 -宮崎学


次回、8月10日の情熱大陸を見てもらいたい。
日本を代表する動物カメラマン宮崎学についての特集。
この特集については、以前に記述した遺伝学の研究をしている友人が、電話で知らせてくれた。
現在、宮崎氏はハクビシンやヌートリアなどの帰化動物も対象に取り上げているが、都会に住む彼らについての考えを番組で聞けたらいいと思う。番組のメインはどうやら人間の自然環境との共存について、宮崎氏の考えを辿るような内容らしいので、ここではそことは違う彼のエピソードを、番組を先行して記してみたい。

著書『僕は動物カメラマン』のなかでかれは次のように語っている。
「6年生になるまでに、私は、伊那谷にすむ野鳥たちについてはすべて知っていたし、鳴き声を聞いて、瞬時にしてそれが何という鳥であるかくらい、識別できた。そして、いわゆる "自然の読み" なるものも、私は私なりに、すでに体で覚えていた・・・という自負だけはある。」

彼は幼少期から長野県の南部、伊那谷で、その急峻なアルプスの森を相手に自然を学んでいった。中学を卒業すると、進学せず、一度あるバス会社に就職するが3ヶ月で退職。つぎに、ただ何となくで入った「信光精機株式会社」で、カメラへの興味が爆発する。ここでレンズの製造過程を一から勉強でき、給料3ヶ月分する高級カメラを購入する。

宮崎学の撮影活動は、ここから始まる。

「毎日毎日、十時間も木の上に登って観察を続けた」

鷲は木のかなり高い位置に営巣するから、隣の木に登り、足場を作ってカメラをセットする。
人が近くにいると巣作りをやめてしまうので、現在では遠くからカメラをリモコンで操作するという。動物に興味を持ち、撮影などの活動をいまだに続けているのも、結局、幼児体験からだという。彼は、カメラは別として、小さい頃からずっとこんなことを続けてきた。

彼は「見る/観察する」ということを非常に重要視する。撮影の何十倍もの時間を観察する時間に費やさなければ、その動物の本当のことは分からない。
34歳の頃の彼の考えについて興味深い対談を本で読んだことがある。ジャーナリストの立花隆が、世に知られる前の大胆に生きている人々を特集した「青春漂流」。そのなかで、ワシやタカのあらゆる生態について語る宮崎氏を前にしてのこと。

立花「そんな話、どこから学んだんですか?」

宮崎「全部自分で観察したことなんですよ。写真を撮っている何十倍もの時間を観察に費やしている訳ですからね」

立花「動物生態学の本を読むとかはしないのですか?」

宮崎「そんなもの全然読んだことがありません。だって、どんな学者より自分の方がよく知っている自信がありますもの」

立花「自分で観察している時に観察記録みたいなものはつけてるんですか?」

宮崎「いえ、何も。全部、自分の頭の中にしまっておくだけです。観察をつける手間ひまがもったいないから、ひたすら見続けるんです。結局、見るのが好きなんですね。仕事に出かけて双眼鏡を忘れたのに気がついたら、カメラを持っていても家まで戻りますが、双眼鏡は持っていて、カメラを忘れたというなら戻りません。双眼鏡さえあれば見られますからね。若い人で動物カメラマンをこころざす人がけっこういるんですが、みんな撮ろう撮ろうとして、撮る前に見ようとしない。あれじゃだめですね。撮る前に徹底的に見なければ。」

観察を続けること、時間をそれに費やすことで生態の本当の姿が現れる。
15年の歳月をかけた写真集「鷲と鷹」にはそんな記録が残っているのだろう。



「自然の生態において、食物連鎖の頂点に位置するワシやタカといった猛禽類が、いかに貴重な存在であり保護しなければならない鳥たちであるか、そのことを私はもっと訴えたかった。そのためには、まずなによりも、ワシやタカの生態を撮影して、彼らの "生きざま" のすばらしさを、より多くの人たちに視覚によって訴えていくことからはじめなければならないと思った。」 -宮崎学



参考文献:「僕は動物カメラマン」どうぶつ社 83年発行 宮崎学著
「青春漂流」講談社 88年発行 立花隆著

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